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米騒動

こめそうどう

米騒動とは、米の流通量減少や価格高騰などが要因となって起こる騒動である。
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という穀物は特にそれを主食とする民族にとっては欠かせないものである。ところが、需要に対する供給が他の作物により少なく、他の作物よりも何らかの事情により米が流通から姿を消す、あるいは価格が上昇することが多いといわれる。その場合、それは騒動野本となる。
 また、日本において2008年から2014年まで活動したロックバンドTHE★米騒動の省略形としても使用される。

主な騒動

 日本においては主なものは4回あり、明治23年、明治30年、大正7年、そして平成5年に発生している。このうち前三回は富山県を最初の発生地としており、全国的な暴動に発展している。
 これはなど副食の摂取が少なかったため日本人の食生活は穀物類が主体だったこともあり、特に肉体労働者は激務のため1日に1升(1.8リットル、1.4kg)もの米を消費していたといわれ、その結果米価の高騰は家計を圧迫し、人々の生活を困窮させるどころか生死にかかわる問題だったからである。

大正7年の米騒動

 1918年、朝鮮の米の不作、シベリア出兵(ロシア革命に対する干渉戦争のひとつであり、日本は盛大にこれを行ったが、結局何一つ得るものはなく逆に外国から不信感を買うことになる)の決定などにより米相場が上昇傾向にあり、さらに相場師の操作により価格が上昇し、兵庫県では暴動が起こっていたことが明らかとなっている。
 政府にはこれを憂慮する声もあったものの、予算の不足により米相場のの暴騰をとめることは行われなかった。
 また、新聞も米の暴騰を報じ、これをあおったといわれている。

はじめは富山

 富山県中新川郡東水橋では、大正7年(1918年)「7月上旬」から、「二十五六人」の「女(陸)仲仕たちが移出米商高松へ積出し停止要求に日参する」行動が始ったとされる。
 また7月23日『北陸政報』によれば7月22日の昼には富山市中長江町ほかで富豪であった浅田家の施米にもれた細民200名「杖にすがったむさ苦しい婆さん達もあれば子供の手を曳いた女房連も」が市役所に押し掛けたとされ、「昨今の米高が如何に細民をして生活難に陥らしめているが窺われる」と報じている。
 同日夜間、富山県下新川郡魚津町の魚津港には、北海道への米の輸送を行うため「伊吹丸」が寄航していたという。この時は巡回中の警察官の説諭により暴徒は解散させられたものの、住民らは米商店を歴訪するなど窮状を訴えた。荷積みを行っていたのは十二銀行(北陸銀行の前身のひとつ、昭和18年、中越銀行、高岡銀行、富山銀行と合併により消滅)であった。
 7月24日および25日の『北陸タイムズ』にはそれぞれ「二十日未明同海岸に於いて女房共四十六人集合し役場へ押し寄せんとせしをいち早く魚津警察署に於いて探知し」、「二十日未明海岸に集合せしを警察署がいち早く探知し解散せしめ」と魚津の動きが20日未明または19日夜間から発生したと報じている。
 8月9日の『高岡新報』は「魚津町にては、米積み込みの為客月一八日汽船伊吹丸寄港にに際し細民婦女の一揆が起こり狼煙を上げたる」と、魚津でも7月18日以来一揆の発生を報じている。

県内での広がり

 その頃、東水橋、富山市、魚津町以外にも、東岩瀬町(28日)、滑川町、泊町(31日)等富山県内において廉売を要望する人や貧困の救済を唱える人の数はさらに増加。
 8月3日には当時の中新川郡西水橋町(現・富山市)で200名弱の町民が集結、米問屋や資産家に対し米の移出を停止し、販売するよう嘆願。そして8月6日にはこの運動はさらに激しさを増し、東水橋町、滑川町の住民も巻き込み1,000名を超える事態となった。住民らは米の移出を実力行使で阻止し、当時1升40銭から50銭の相場だった米を35銭で販売させた。

他県への広がり

 これにより「暴動を起こせば米が安くなる」と誤って広まったため、京都名古屋に飛び火し、さらに全国に広がり鈴木商店(明治から昭和初期にかけて存在した貿易商および各種事業を行った会社、台湾とつながりが深かった)の焼き討ちが発生した(これは大阪朝日新聞、後の朝日新聞大阪本社の捏造により発生したものだと城山三郎の調査により判明している)り、最後は主として九州での炭鉱の賃上げ要求にまで広がった。

影響

 この影響により高校野球の前身である全国中等学校優勝野球大会が中止となった。また、部落出身者が多数暴動に参加したことを受け、部落改善の予算がつくようになった。
 さらには政府は責任を追及され寺内正毅内閣が倒れ、元老による後継は西園寺公望が指名されたが、西園寺はそれを辞退し原敬を推薦し、ここに平民宰相が成立することとなった。
 また、政府は報道規制をしき、鎮静を図ったが新聞社がそれに反発し抗議、これを撤回させた。

現在

 魚津市大町の十二銀行倉庫前には「魚津市の自然と文化財を守る市民の会」により記念柱が立てられていたが、東水橋町(現・富山市水橋)の郷土資料館前にも、米騒動記念の碑が建立された。

関連タグ

富山県 兵庫県

参照

wikipedia:1918年米騒動

平成の米騒動

 1993年(平成5年)には、自然災害が主因となる米不足と、それに伴う流通の混乱が発生して、後に「平成の米騒動」と呼ばれるようになる。

1993年の冷夏

 この年は沖縄県を除く全域で梅雨明けが特定できなかったほどの長梅雨による極端な冷夏により、九州南部を中心に豪雨災害が多発、また全国的な日照不足を記録するなど、当時でも稀に見る異常気象となった。冷夏の原因として2年前の1991年に発生した、フィリピンのピナツボ山噴火の影響(エアロゾル)が有力視されている。

米不足の発生

 当然ながら全国的に米を始めとした各種の農作物にも多大な被害を及ぼし、特に東北地方全体で米の収穫量が56%、青森県岩手県では3割以下、さらに収穫ゼロの地域まで続出する程の「大凶作」となり、備蓄米と合わせても当時の国内の需要量の8割しか確保できない状況となった。ここまで事態が悪化した遠因として、当時のブランド志向により消費者に好まれていた品種が冷害に弱かったこと、これまでの「米余り」による減反政策などの影響で、生産者による生産意欲が低下していたことも一因とされた。

米価の高騰と混乱

 米の大凶作が表面化すると、必然的に市場で品薄になった米は高騰し、一般の消費者はもちろん、小売業者や卸業者も米の確保に散々振り回される状況に陥ることになる。当時既に日本の食料自給率は4割を切るなど、米への依存度は年々低下していたとはいえ重要な「主食」であることには間違いなかった。そのためスーパーなどの小売店の広告に「国産米の販売」と載ろうものなら、まるで旧共産圏の配給の如く、早朝から長蛇の行列ができることも日常茶飯事であった。また農水省や食糧庁などの職員が「職務上知り得た情報」を利用して、「自分用」の米を確保するなどの忌々しき事態も発生した。

米の緊急輸入

 1990年代初頭、日本は主に工業生産品の輸出による莫大な貿易黒字を計上していたが、同時に各輸入国と「貿易摩擦」を起こしており、アメリカなどの農業輸出国から米をはじめとする農産物について関税の撤廃など、貿易の自由化を強く求められていた。
 当時既に日本の一次産業は衰退の一途を辿っており、ひとたび無策に自由化してしまえば輸入品に席巻されてしまうのは確実であった。こうした事情から自動車などの工業製品の黒字幅を抑制させること、農業製品も分野を限って関税を下げるなどの対応をとってきた。
 しかしながら、米そのものが不足する事態に農水省は「コメは一粒たりも輸入しない」方針を転換、不足分を補うためアメリカや中国、タイなど海外から米の緊急輸入を行った。しかしながら今度は世界レベルで米を暴騰させるなど市場を混乱させてしまい、後に米の輸入義務という「ツケ」を払わされることになる。

輸入米の悪評

 こうまでして確保した輸入米であったが、当時の日本市場の評価は散々であった。本来加工用に回すはずであったタイ米が、何のフォローもなしに食用として流通させた上、当時の一般家庭ではタイ米の適切な調理法を簡単に調べる手段が存在しなかったため、調理法の相違による風評被害が数多く発生した。
 さらに販売方法にも問題が多かった。国産米と輸入米の「セット販売」はまだいい方で、国産米にまるで品種の違う米(主にタイ米)を混ぜた「ブレンド米」に至っては、味も食感も「せっかくの国産米をゴミにした」としか言いようがない代物であった。そのため当時を知る者の中には、現在でもタイ米などの「輸入米」に抵抗を感じる者も少なくない。

国際関係への影響

 結局、家庭でも流通でもかなりの量の輸入米が「ゴミ」や「産廃」として廃棄され、結果としてタイの日本に対する心象が悪くなったとされる。 またバブル経済期以降、海外から金にものを言わせて高級品や流行りモノなどの物品、果ては不動産まで手当たり次第に買いまくるなど、日本の経済的モラルの欠如も問題視された。(現在の某国も同じ轍を踏んでいるが・・・)
 さらに上記のように、後の貿易交渉にも悪影響を及ぼしている。

米不足の終息

 秋から始まった米不足による混乱も、翌年の初夏に沖縄産の早場米が出回ることで状況は落ち着き、さらに1994年は猛暑による豊作となったため米不足が解消され、一連の混乱はこのシーズンのみで終息した。また暴動も国内では発生しなかったとされるが、国産米を狙った窃盗やヤミ米販売などの刑事事件は発生している。

関連項目

参照

wikipedia:1993年米騒動

関連項目

暴動 騒動

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