概要
暴動(riot)は民衆が集団で暴行・破壊・略奪などを行うことをさす。暴動を起こす民衆を暴徒という。
この行動が発生する発端として、サッカーなどの試合をきっかけに発生するフーリガンのほか、喧嘩などをきっかけとして自然発生的に起こることも多い。革命・クーデターを企てた首謀者などの煽動によるものも存在する。権力者に抵抗する一揆やストライキの戦術として組織的に破壊行為を行う民衆も暴動扱いされる場合もある。
多くの場合において、背景として貧困や経済・政治・犯罪などに対する民衆の不満が存在しているが、特に理由もなく群集心理で暴動に突き進む場合も多い。
この行為を制圧するにあたり、為政者は過剰な反応を起こさないことが必要であり(天安門事件のようになりかねない)、ライオットガンや催涙ガスなどの非致死性の兵器を用いる必要性がある(ただしそれでも暴徒が死亡する可能性はある)。
日本
江戸時代には、年貢や飢饉に不満を抱く農民や都市下層民による一揆や打ちこわしがしばしば起こっていた。明治期には日露戦争の講和条件に不満を抱いた東京市民による日比谷焼打事件、大正期には投機加熱による米価が暴騰に不満を抱いた人々による米騒動が起こった。
昭和期には終戦後のアメリカ軍占領下の混乱期に頻発し、在日米兵の集団脱走に起因するもののほか、朝鮮総連関連のものや、日本共産党などが関与するものが発生している。また、米軍占領下の沖縄においても、米兵犯罪の多発に鬱屈した感情を抱いてきた人々の不満から暴動が発生している(コザ暴動など)。
また保守系の代議士などに雇われたヤクザがデモ隊などへの襲撃・暴行を行っていたほか、1960年代の学生運動華やかなりし時代には、革命を叫ぶ極左暴力集団の先導で安保やベトナム戦争などに反対するデモ隊が暴徒化する事件がたびたび起こっていた。しかしそれらの団体が扇動したとされる暴動は昭和60年の「10.20成田現地闘争」を最後にその後を絶ち、主導者がはっきりとわかる形の大規模な暴動は発生していない。
しかし日本人の特異性は暴動にも現れている。それが昭和48年「上尾事件」と「首都圏国電暴動」である。この2つはいずれも主導者がいたわけではなく、集団心理から1000人以上が起こした騒乱であるが、その動機が電車がダイヤ通りに動かないことに腹を立てて起こしたというシロモノである。更にその原因が国鉄労組の労使争議行為によってもたらされたものであり、「行き過ぎた労使闘争をする労働者に対しエンドユーザーが直接反撃を加える」という、海外では考えられない事象である。
平成に入ってからは若者らによる成人式やハロウィーンが各地で暴徒化しているほか、競馬や野球、サッカーの試合をきっかけに暴動が発生することもある。大阪市西成区に存在する「あいりん地区」(日雇い労働者が多い地域)では平成20年まで実に24回(ただしうち21回は1970年代までに発生し、3回は1990年代以降に発生)にわたる暴動が発生している。
なお、日本の法律では、暴動としりつつ参加した人間は騒乱罪(旧名称:騒擾罪)が適用され逮捕される対象となる(ただしそれ以前に傷害罪や器物損壊罪、さらには公務執行妨害などで逮捕が可能である)。
関連項目
米騒動:お米は大切にしましょう。
参照
楽曲の暴動
鬱Pが投稿した楽曲。