概要
1989年6月4日、人民解放軍が北京の天安門広場( 故宮の正門である天安門の前にある広場 )で起こした自国民に対するテロ行為を特に日本では指すが、天安門広場では各種の事件が発生。
特に1976年に類似した行為が発生しており、そちらを「第1次(四五天安門事件)」、1989年のものを「第2次(六四天安門事件、8964)」と名付けることもある。
奇しくも、1976年の第一次天安門事件で天安門広場に集まった若者達に批判されて一時的に権力を失なう事になった中国共産党の実力者達は、1989年の第2次天安門事件で、またしても、天安門広場に集まった若者達に批判される事となった。
状況
ソ連でのゴルバチョフによる自由化( いわゆるペレストロイカ )が進み、中華人民共和国でも鄧小平(毛沢東の死後、事実上の最高指導者となった人物であり、経済的な開放路線を進めたことで知られる)による改革・解放路線が広がり、学生達を中心に中国の自由化を求めるようになった中、改革・解放路線推進者の一人・胡耀邦(鄧の腹心、中国共産党中央委員会総書記、保守派に疎まれ失脚)の死去の追悼をきかっけに、天安門広場で100万人規模の自由化デモが起こり、中国の民主化と自由化の機運が高まった。
白色テロ
しかし、中国共産党の李鵬(国務院総理。当時の首相)を筆頭とする保守派は共産党独裁を転覆させかねないとデモ隊を危惧、結局鄧小平もそれを承諾、遠方から軍隊を出動させ、広場にいた無防備の民衆を装甲車や機関銃で弾圧(虐殺)を行い、多数の死傷者( 中国共産党公式発表で死者319名、通常この種の死者数は数字が操作されており、一説には「デモの参加者3千人」「すべての死者3万人」という説も存在する )を生み、国際的に批判を受けた。
死者数に関する報道は報道機関や国の政治的在り様が色濃く出ており人数もまちまち。
概ね西側諸国では公式発表を信用しないスタンスで、2000人以上と報じられた例が多い。
結果
この結果に対し中国指導部は全く意に返さず、結果中国においては「経済の開放」は進むものの「政治の開放」および「思想の開放」は全く進まず、21世紀に至っても資本主義の市場経済と共産主義政治の共産党一党独裁という歪な国家体制が続いている。
その他
無名の反逆者
この事件時、道路を行進する戦車隊の前に立ち塞がる一人の男性「無名の反逆者」の画像が世界的に知られた。
R-18G注意!
言論統制
中華人民共和国に限らず、強権的な政治を行う体制などにおいては、「政府による言論統制」が行われることが多いが、この言葉(六四天安門/8964)は現代の中国国内において口にしてはならない言葉であるかのような言論弾圧および封鎖、例えばこの言葉を検索するとNoPage状態になるなど、を受けており、これは当局がこれらの悪事や暴走の一切を否定、隠蔽しているためである。
これを利用した無断転載等への対策
- なおこれを利用し、中国国内からのスパムに悩む日本のWebサイトがHTMLのソースコード内部にコメントという形で「六四天安門」を入れることで中国からのアクセスをシャットアウトする事例がある。
- 2022年9月には、vpixiv対策として「天安門事件」「六四天安門」等のワードをpixivのプロフィールや作品の中に入れるユーザーが多く見られている。
- 2023年8月の福島第一原子力発電所ALPS処理水放出を巡って中国からの迷惑電話が問題になった際、「天安門事件」等と言い返したところ相手が電話を切ったりしたという事例が確認された。
- 2023年からX上に現れ始めたインプレゾンビへの対策として「天安門事件」とプロフィールに書くとインプレゾンビが湧きにくくなるという噂が増えてきている。真偽は不明であるが、中国のネット回線サーバーが利用者の人口密度の割合的には多い為、上記のWebサイトの対策と類似の効果があるという見解が出ている。しかし先述のALPS処理水放出を巡る迷惑電話の件ともども人種差別に当たるのでは等という声もあるため行う場合は自己責任である。
日本の音楽シーンにおける影響
1989年の第2次天安門事件生起ののち、日本のグループ・爆風スランプが発表したアルバム「I.B.W.」の2曲めに収録されているタイトルナンバーは、1番がこの第2次天安門事件における中国指導部によるデモ隊弾圧を暗に批判した歌詞となっていた。ちなみにこの「I.B.W.」という楽曲の2番はアフリカゾウの密猟問題に心を痛めた歌詞、3番は環境問題をテーマにした歌詞である。
文化大革命との関連
天安門事件発生時の中国共産党の事実上の最高実力者達であった鄧小平ら「八大長老(八大元老)」は文化大革命時に若者から吊るし上げられ、一時的に権力を失なった面々だった為、「若者による現政権批判=文化大革命の再来」を過剰に警戒した結果が大惨事につながったとする説も有る。
(下記の四五天安門事件も参照)
付記・四五天安門事件
この事件は周恩来( 建国以来国務院総理を務めた人物、国民から人気があった)の追悼集会が天安門広場で行われたが、これを江青ら四人組は反革命行為ときめつけ実力行使、複数の逮捕者が出たほか、死傷者も出た可能性が存在し、この事件により毛沢東は文化大革命の締め付けを強め、そのあおりを受けて鄧小平は失脚した。