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解説

中華人民共和国首都
行政区画上は直轄市であり、華北の中央に位置する。
人口は2,152万人であり、中国では上海に次ぐ第二の規模。

世界有数の巨大都市であり、中国の大企業が集積している。
また政治用語として、中国政府を指して北京と呼ぶこともある。

名称

日本では「ペキン」と呼ばれるが、これは中国南部の歴史的な読み方に由来する。「ペキン」でも通じないわけではないが、現代中国語(普通話)では一般にBeijing(ベイジンorペイチン)と呼ばれる。

交通

中国国鉄の中心地で、中国国内の都市間列車や、外国の主要都市と結ぶ国際列車が発着する。
北京地下鉄(北京地铁)は23路線(うち地下鉄19路線)を持つ世界最大の地下鉄網を有している。地下鉄利用者数だけなら東京を超え世界一の多さであり、近年は通勤ラッシュが酷いという。
代表駅として北京駅、北京西駅、北京南駅がある。

歴史

春秋戦国時代にはで薊(けい)と称された。
都の洛陽からは遠く離れ、常に北方遊牧民族の侵入による被害を受ける辺境であった。
代には北平(ほくへい、ベイピン / Běipíng)と称されるが、満州開発が進み、高句麗など周辺国の勢力が強大となると戦略上、また交易上の重要な拠点として重視されるようになった。

北京市に隣接する、河北省涿郡(たくぐん)は三国志英雄劉備の故郷として知られるとともに煬帝が築いた大運河の北の起点とされている。

末~五代の騒乱期には、内モンゴルから南下してきた(キタイ/カラ・キタイ)が後晋に対し軍事支援を行った代償に燕京を含む燕雲十六州が後晋から割譲された。遼はこの都市を副都の一つ南京(現在の南京市とは無関係)と定め、その後女真族)が遼を滅ぼし華北を獲得すると中都とし、更にモンゴル帝国(→)が金を滅ぼすと大都と改名して首都とされた。

朱元璋が元を北方に駆逐し朝が成立すると、名称を北平に戻し、首都は南京に定められたが、1402年に燕王朱棣(元璋の子。後の永楽帝)は血縁上の甥である建文帝の地方弾圧に対し下剋上を行い政権奪取、皇帝に即位した後遷都を実行し地名を北京に改めた。
紫禁城もこのときに建造され、清朝でも用いられた。

辛亥革命後も中華民国袁世凱政権)は北京を首都と定めたが、南京を根拠とした国民党政府(蒋介石中心)は、1928年6月15日に直隷省を河北省、北京を北平と改称した。
1937年から1945年まで続いた日本軍占領期は北京の名称が用いられ(公式には1940年に改名)、日本の敗戦によって再び北平に戻された。

1949年10月1日中華人民共和国成立により北平が新中国の首都とされ、再び北京と改称され現在に至っている。
このため日本では大陸政府のことを「北京政府」と呼んでいた時期もあった。

しかし台湾(中華民国)では現在でも公式名称として「北平」の名称が用いられている。

関連タグ

中華人民共和国 / 中国
北京語 京劇
万里の長城 天壇 天安門 天安門広場
天安門事件 北京オリンピック
中華鍋 … 片方に持ち手のあるものを「北京鍋」と呼ぶことがある。
北京料理 満漢全席 北京ダック

北京を舞台とする作品

(50音順)


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