重慶
じゅうけいまたはちょんちん
中国有数の工業都市として急速な発展を遂げ、中心部には超高層ビルが立ち並ぶ。北京、上海、天津と並ぶ直轄市の一つ。
人口は約3,213万人で、単独の市域では世界最多の人口である。2017年の都市圏人口は1962.66万人のメガシティである。
長江流域の四川盆地東部に位置する。元々四川省に属するが、1997年に直轄市として分離した。中心部である重慶は嘉陵江が長江に合流する地点にある。
市の人口は3,022万人に達するが、面積は北海道よりも広大であり、市内には農村部や中小都市を抱えている。都市部の人口は1,962万人。
曇ることが多く日照が少ない。夏は大変蒸し暑く、同じく長江流域の武漢、南京と並んで「三大火炉」(火炉はボイラーのこと)と呼ばれるほど過酷な気候である。
歴史には四川盆地の中心地は、シルクロードの拠点でもあった成都であり、対して重慶が歴史の表舞台になったことは少ない。そのため保守的な市民性を生み、成都への対抗意識が強い。
日中戦争中に中華民国の臨時首都となり、発展した。戦争によって日本陸軍・日本海軍による重慶爆撃を受け、1万人規模の犠牲者を出した(そのため、反日感情が非常に強い都市としても知られ、サッカー日本代表がフーリガンに囲まれたこともあった)。
1949年11月30日、中国人民解放軍は重慶に入り、その後、重慶市は中華人民共和国の直轄市となった。1954年7月、重慶市は直轄市から地方都市と変更され、再び四川省に併入された。
1997年に四川省から独立して直轄市に昇格した。しかし、内陸部の重慶は沿岸の都市と比べて発展が遅れており、大気汚染も深刻であった。
2000年に始まった西部大開発によって工業化が加速し、インフラ整備と環境改善も進んだ。とりわけ、深刻な大気汚染を緩和するため、山がちで起伏が多い地形を活かせる(那覇市の都市交通にモノレールが選ばれたのもこれが理由)跨座式モノレール敷設計画が始まり、市内を縫うように走っている世界最大級のモノレールネットワークが誕生した。なお、重慶軌道交通は日本のODAによる円借款によって実現したもので日立製作所技術協力や子会社であった東京モノレールなども社員育成や運営ノウハウ提供に協力している。そのことが次第に市民が知られるようになって、反日一辺倒だった市民の感情に変化が起き始めている(なお重慶モノレールは国内初の本格的なモノレールだったので、世間の注目を浴びた)。当初計画の3線全通によって日中友好の記念碑が市内に作られる。2017年~2018年あたりに双方でお互いが紹介される番組が多かったのもこれが理由で、日本ではそのときに火鍋が盛んに紹介された。
ちなみに、日本との交流は戦後も普通に行われており、広島市は古くから同市と姉妹都市関係を結んでいる(アメリカのセントルイスからの呼びかけは固辞しているが)。
なお、重慶市は普通に地下鉄もあり、2024年現在6路線あるが山がちの地形なので今後もモノレール主体の開発が進んでいる。
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