洛陽
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らくよう
古代中国における首都の一つ。東周、後漢や北魏などの都。
周王朝の頃、洛水という川の北側に築かれた副首都が起こりとされる。洛は洛水のこと、陽は川の北側の山腹にある陽当たりに恵まれた土地を意味する。洛邑、あるいは成周、東都などとも呼ばれた。平王の代、西周の都であった鎬京が戦乱で荒廃した後に洛陽が都となった。東に遷都した以後の周王朝を東周と呼ぶ。
前漢の代には長安が王都であったが、赤眉の乱にて荒廃したため、乱を治めた後漢初代の光武帝は洛陽を再び都とする。この時代には「雒陽」と呼ばれた。儒教で漢室が火徳を尊ぶとされたので、五行思想によって火を剋する水のサンズイが忌まれたからという。三国志の世界でも序盤に後漢の絢爛たる都として登場し、董卓の焦土作戦により灰燼に帰している。
魏や晋そして南北朝時代に入って北魏でも都となった。唐王朝は長安を都としたが、洛陽を副都、東都にしている。これは洛陽が江南の食糧を輸送する大運河に近い要所であったかららしい。唐が滅んだ後の王朝は大運河に直結する開封を都にするようになり、洛陽は地方都市となっていった。
日本が遣唐使によって唐の文化を摂取した時、西都長安と東都洛陽という考え方も持ち込まれた。これが平安京で西の右京を長安、東の左京を洛陽と呼ぶ区分をもたらした。右京が衰退し左京が繁栄し後の京都となると、洛陽は京都の別名となった。洛中は京都の街中のこと、京都に来ることを上洛と呼ぶといった用法はここから来る。
北魏の時代から、都の南方14kmほど、龍門という村に石窟寺院が彫られるようになった。唐の時代に最盛期を迎え、高宗と則天武后の刻ませた諸像は最高傑作とされている。これらは現代において世界遺産「龍門石窟」に指定されている。
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