俺の名前は大嶽徳史。東京侵攻を自分の極道生命を賭けている天王寺組の若頭や。
CV:畑耕平
公式サイトでの解説
関西系天王寺組の若頭。
天王寺組に代々伝わる関東極道の奇襲による遺恨を晴らすべく関東制覇計画を遂行中。
獰猛で狡猾な性格で指揮能力に非常に長けている。
羽王戦争終結後、自身の死が関東と関西を戦いを渡しになることを願い自害した。
基本情報
概要
主に、小峠華太を主人公とするチャンネル内シリーズ『華の天羽組』にて登場。
「羽王戦争」にて小峠与する天羽組が相手取ることになった、“関西トップクラスの武闘派”と評される極道組織「天王寺組」の若頭で、他の極道派閥を巻き込んでの大抗争にまで発展した今回の騒動を巻き起こした中心人物。
かつて天王寺組組員であり人格者でもあった祖父への憧れから自らも天王寺組の門を叩き、持ち前の視野の広さと機転の良さで邁進していたが、当時同盟していた東京極道の裏切りを受け、組長や祖父を含めた組員約100名が惨殺されるという悲劇を経験。同じくこれまで関西極道が被ってきた関東極道の被害と合わせ、その復讐として関東制圧を目論み、組織の二大武闘派である城戸派・戸狩派と共に天羽組の本拠で関東最大の繁華街でもある「空龍街」の利権を狙っている。
容姿
銀髪と黒髪2色のツーブロックのオールバックヘアーに血の気が引いたように白い肌、赤い瞳を光らせる鋭い目元が特徴の、作中屈指の強面の初老男性。衣装は白ワイシャツに黒スーツと比較的シンプルだが、上着を肩にかける着こなし、また足には裸足下駄という、どこかバンカラな雰囲気をしている。
最大の特徴として、関東人への復讐を完遂する決意から顔(口元)を含めた全身にムカデの刺青を彫っており、その凶相をより一層強調している。これは敬愛する祖父に幼少期に教わったムカデの性質と、没後の墓参りで偶然発見したムカデの姿が由来であり、大嶽の「絶対に後戻りしない」という不退転の意志の現れである一方、顔・両腕・胴体に巻き付くように描かれた大ムカデはまるで大嶽を締め上げているようにも受け取れ、この刺青を彫った際の「後戻りできへん(できない)」という発言から、自らに科した呪いであるとも解釈できる。
実際、上述の経緯が明かされた時点で既に城戸丈一郎・浅倉潤・室屋柊斗・岸本隆太郎と可愛がっていた部下の多くを失い、彼らの犠牲に対する後悔と贖罪の念をそれぞれの葬儀または一人思案する際に言葉と表情で示しつつも、刺青と共に自ら誓いを立て30年という膨大な時間を費やした計画をなんとしても成し遂げんと、そうした悲哀を新たな燃料に、執念と憎悪を再燃させている。
その他、過去に鉄火場で負った怪我なのか、左耳が僅かに裂けている。
性格
狂気
狡猾な性格で、仲間の死すら利用する程の功利主義者。
その性格はこれまで主導した作戦にもにじみ出ており、お抱えのヒットマンを使った天羽組幹部・野田一の襲撃、疑いをかけて村雨町支部に訪れた天羽組長らを正当防衛と称して銃殺するよう部下に仕向け、失敗し返り討ちにあっても界隈に「証拠もないのに突然事務所が潰された」という大義名分を主張したりなど、敵の戦力だけでなく信用まで貶めようと画策した。
彼のこうした狂気は、約50年に1回の間隔で関東極道から襲撃を受け続けている「関西極道の悲劇の歴史」を基軸としており、大嶽や現在の世代の多くも、当事者である先代たちから関東人が如何に卑劣かを教え込まれ「関東人は地方の人間を見下している」「奪われるくらいなら先手を取ってこちらから奪う」と執念を燃やしている。
これについて、当初リスナーの多くは「当事者でもないのに鵜呑みにし過ぎているのでは?」とその一方的な危険思想に疑念を向け、実際にその部下の一人である城戸も(己の出世の為に関東侵攻に加担しているものの)京極組の一条康明との交流の中で、過去の怨嗟に縛られ続ける現在の関西極道界隈に疑念を抱いていることを明かしていた。
しかし、更にその後の7月28日に公開された大嶽視点のエピソードの中で、彼自身が本編30年前に関東侵攻の被害を受けた当事者の一人で、その際に当時天王寺組に所属していた自身の祖父も殺害されたことが判明(ムカデの刺青もその出来事や祖父に教えられた知恵に起因して彫ったものであるとのこと)。尊敬していた身内を含め多数の犠牲が出た現場を目の当たりにした以上、関東極道全体に対して並々ならぬ恨みを抱いてしまうのはある意味仕方ないことなのかもしれない。
人情味
一方で、後述される城戸の討死に際しては(作戦中に成果をせっつきはしたが)純粋に彼の人柄を認めていたことを明かし、早すぎる死を惜しんでみせたり、過去に路頭に迷っていた戸狩を拾う、何発も銃で撃たれている戸狩を見て心配したりなど、普段はあまり表に出さず、また限定的ではあるが、仲間への愛着を示している。また、たとえ抗争中の相手でも極道として最低限の仁義を通しており、天羽組の阿久津敏朗の葬儀の会場をつかんでいながら「冠婚葬祭を襲うのは完全な仁義外れ」という渡世における暗黙の了解を引き合いに、もし襲撃したら今後お互いに葬儀が出来なくなるとして襲撃自粛を厳令していた。ただ、先日南雲梗平の襲撃で体半分以上が動かないながらも生存した室屋柊斗が、南雲へ最期の復讐をしたいという執念には折れ、葬儀の時間外、また単独でやるのであればと条件付きで黙認。最終的に室屋は自ら用意したダイナマイトで南雲諸共玉砕し、爆風により死体を遺さず塵となったが、後日戸狩たちと葬儀を執り行っている。
また、過去経験した事件と組織の血の歴史からか差別への嫌悪感も強い一方、差別経験のある人物、現行で差別を受ける人物に対する優しさも垣間見せており、伊集院シリーズのとあるエピソードでは、知的障害を持つ17歳の青年・丸山慶也から体の刺青について指摘されても(話せる範疇で)丁寧に回答し、更には似顔絵を描きたいという要望にも快く応じ、完成した絵を見て注文通りダンディに描いてくれたと感謝を送り「将来は絵描きになれる」と称賛してみせたりと、終始親切に接していた。後にその慶也含む特別児童養護施設の子供たちは外道によって惨殺されるが、そのことを知った大嶽は戸狩と共に慶也たちを差別した外道への怒りを顕にし、描いてくれた絵を「守り代」として粛清に動いた。その他にも戸狩と出会ったエピソード内でも、当時彼がバイトとして務めていた工事現場に差し入れを持参したりと、カタギに対する気配りもみせている(夏場の炎天下でたこ焼きというチョイスはアレだが)。
趣味趣向
その超が付く威圧的な風貌に反し意外にもギャグが好きで、馬渕春斗に「隙あったらボケようとしよる」と言われるほど頻繁にギャグを言っている模様。それ以前からも、チャンネル内シリーズの主要人物たちが集まった23年元日投稿の特別編では、出演者全員での新年の挨拶の主導権をしれっと奪ったり、城戸と共に楽しげにギャグを絡めた今年の抱負を語っていた。
こうしたギャグを含んだ会話は天王寺組内部の描写各所で散見されるが、二大武闘派トップの一人である城戸は大嶽とそのあたりのセンスが近いようで、上述の動画での共演時には(あいかわらず成果を早く出すよう突付いてはいたが)彼のキレッキレ(?)のギャグセンスを絶賛していた。一方、戸狩は城戸のようにギャグは得意ではないようで、城戸の死に落ち込む大嶽を気遣って絞り出した化石級のダジャレを聞かされ、余計に気を落としていた。ただツッコミには光るものがあるのか、よくボケを振っては彼のリアクションを楽しんでいる様子。また、大嶽のギャグの中には(回想シーンにかかわらず)投稿日が2月14日の前だったことと絡めて「今からバレンタインが楽しみ」だと呟いたりと、メタ発言が含まれたりすることも。
(これに戸狩は真顔で「どの顔で言うてますの」と割りと酷いツッコミを入れている。)
戸狩派の面々同様に関西愛も強いようで、傘下の組員とは関東上陸後、関西あるあるネタに花を咲かせる場面も多い。室屋が出発の時間に遅れた理由が関西限定のお菓子を買い溜めするためだと聞くと理解を示していた。
食の趣味として栗どら焼きを好んでいるらしく、当時鈴原組との抗争で東京への参戦を見合わせていた馬渕に買ってくるよう指示していた。相当楽しみにしていたのか、合流時に「忘れてしまいました」とあっけらかんと答えられた際には、過去指折りの戦慄の表情でショックと怒りを顕にしていた。
(曰く「ここ最近の楽しみがそれしかなかった」とのこと。その後、馬渕は大嶽と戸狩が丁度話題にしていた御露血(オロチ)という半グレ集団を単独襲撃し、降伏したリーダーへの初任務として買いに行かせていた。)
因みにこれ以前にも、戸狩から東京ではわらび餅に黒蜜をかける話を聞いて「普通 きな粉だけやろ 考えられへん」と普段より強めの語気で返答しており、和菓子愛好家なのかもしれない。
また、天王寺組の恒例行事「大阪城での花見大会」は“宿命”と言い表すほどの凄まじい思い入れを抱いていたようで、当人曰く「桜が俺に見てほしい言いよんねん」とのこと。…お、おう…?
そんな彼を含む多くの組員を失った24年の花見では、乾杯の音頭を務めた三國も「みんなのアイドル大嶽」「大嶽ロス」など珍妙なワードを挟みつつ、彼が残したものを背負い、これからも動き続ける時代を進んでいかなければならないと挨拶をまとめ、その場にいなくとも言葉の中に落とし込む形で、亡き弟分を大好きだった花見に“今年も”参加させる心配りを見せた。
戸狩の下の名前である「玄弥」に関する言及や、五条組との交渉で引き合いに出したダーウィンの一説など、軍略以外でも知識の深さを覗かせる他、サブカルチャー作品(特にこの漫画)も好んでいるようで、東京入りして間もなく天羽組と鉢合わせし、敵味方双方の当事者たちが突然の事態に焦燥する中、大嶽は結構ノンキした様子で「お互いスタンド使いやあらへんのに」と呟いていた(遭遇場所がコンビニだった事も絡めてか)。
能力
頭脳面
公式より、当初から天王寺組のブレインとして作戦を指揮していた幹部・高見沢斗真の師匠である事が明かされ(その高見沢は「天王寺組のスーパーブレイン」の異名を持っており、大嶽は教育者としても非常に優秀である事が窺える)、戸狩派と共に関東入りし自ら陣頭指揮を取る事になって以降、その真価を存分に発揮している。
基本は車移動中の奇襲、天羽と同盟する極道の懐柔、その組織と連携しての不意打ち…といった高見沢と同じ作戦を行使しているが、大嶽は天羽組の戦力を「上は武闘派として優秀だが下が育ち切っていない」と的確に分析し「如何に彼らの戦力を分散するか」に焦点を置き、高見沢が指揮官だった当時より二手三手先を読んだ巧妙かつ苛烈なものとなっている。組長である天羽桂司も、その被害に心痛と怒りを抱えつつ、敵ながら「優秀なブレイン」と認めている。
人材育成についても徹底した実力主義を敷く事で組員のモチベーションを高め、また将来有望な人材か否かを目を見ただけで選別できる観察眼の高さも併せ持つなどかなりのヤリ手。実際、確認できているだけでも後に強力な武闘派派閥のトップとなる城戸丈一郎と戸狩玄弥、そして戸狩派最高戦力の一人になる馬渕春斗を天王寺組に入門させた張本人である(詳細は余談の項に譲る)。
戦闘面
一方、戦闘での実力については本人曰く「平凡」とのことで、綾波町制圧時に戸狩からの「一人で関東制圧もできる」という称賛(ボケ)に「明日死ぬ」と返していたりと、彼や他の武闘派極道たちのような一騎当千の猛者ではないと自認している様子。ただ、持ち前の頭脳と視野の広さでどんなに危機でも盤上をひっくり返す作戦を練ることに長け、若手時代も単独、三國や他の構成員との連携で前線を駆け回り相応の成果を挙げていた模様。
こうした実績と自身の長所への信頼からか、回想を含め作中何度か敵方の急襲を経験しているものの、己の身の危険から動揺や焦燥をみせることは今のところなく(この辺りは戸狩はじめ優秀な武闘派組員が脇を固めているところもあるだろうが)、現時点で最も表情と声に動揺を浮かべたのは、鳴宮組による奇襲時に自身を庇った戸狩が8発もの銃弾を受けたことを心配する場面である。
過去
2023年7月28日の動画にて、大嶽の抱く東京侵攻への決意や関東極道を憎む詳細が判明した。
大嶽の祖父は当時現役の天王寺組構成員で、任侠精神を重んじる人格者でもあった。孫である大嶽も(両親はカタギなのか、祖父に関わらせたくなかったようだが)幼少期からよく祖父の家を訪ねては交流し、治安維持の理屈とは別に義理人情からホームレスへの炊き出しを行ったり、また自身に対しても「知恵は力」だとして勉学の大切さを教えたりと、他者の為に率先して行動する姿に憧れを抱いていた。
そんな祖父の背中を追うように、成長後は両親の猛反対を押し切り極道の世界へ足を踏み入れて天王寺組で禄を食む事になった。戦闘能力は平凡ながら、祖父の教えから研鑽した知恵と視野の広さでカチコミは勿論、シノギでも頭角を現し、組内でもそうした才能や貢献が認められ徐々に地位を上げていき、当時兄貴分だった三國貞治からも目を掛けられていた。
厳しい世界ながらも、祖父や三國と過ごす天王寺組は大嶽にとっても居心地の良い場所であったが、あるとき三國や大嶽ら実働要員が、当時シマ内で麻薬売買を斡旋していた組織への対処のため駆けずり回っている間に、天王寺組と協定を結ぶ東京の極道派閥が事務所を急襲。武闘派が出払い手薄になっている隙きを突かれ、また同盟を結び利益を折半することで関東による関西への侵攻を制御できると信じていた組員らに対処の術はなく、祖父も咄嗟に刀を握り応戦したが、彼らは齢60の彼にも容赦なく凶刃を振るい、結果的に組織は当時の組長(三國から数えて四代前)も含めた約100名もの死者を出す大被害を受けた。
事務所に戻った大嶽と三國はその惨状をみて激昂し、まだ現場に残っていた敵勢の下っ端共を粛清。そして血の海に沈む祖父の姿を発見した大嶽は、既に冷たくなった彼の体を抱きながら慟哭。敬愛する祖父や組長たちの喪失と同盟組織の裏切りにより、大嶽の心は深い絶望と関東極道への怨讐に染まり、たとえ今後どれだけの時間を費やしてでも必ずこの恨みを晴らすという決意を固めさせた。
以後、祖父の墓参りが日課になっていたが、あるとき祖父の墓石を這うムカデを発見した大嶽は、幼少期に祖父が教えてくれた「ムカデは体の構造上後戻りが出来ない」という話が蘇り、自らも関東制圧の悲願を果たす不退転の意志を固めるため、その日の内に彫り師の元へ足を運び、全身にムカデを象った入れ墨を施した。
襲撃事件後に襲名した新たな組長も、件の出来事を切っ掛けに関東極道を完全に敵対視するようになり、以後は「関東侵略」を大目標に掲げ、三國が組長となるまでの歴代組長らもその方針を推し進めるように。大嶽も、天王寺組での事件と同じく関西の被ってきた関東の暴挙の数々を先代組長から常々語り聞かされ、それを祖父を奪われた己の怨恨、不退転の決意と結びつけ、関東極道への憎悪をさらに増幅させていった。
活躍
初登場。村雨町の支部が天羽組によって壊滅した時には、組員達の死を逆に報復のチャンスと喜ぶ姿を見せていた。
「そらぁ報復せなあかんなぁ。大義は俺らにあるでこれ」
天羽組が野田襲撃の犯人は天王寺組の仕業であるという証拠を残した録音テープを流布したが、捏造だと断定する。また今田派が壊滅したことを受けてまたしても報復のチャンスと喜ぶ姿を見せていた。
「今田死んでくれてありがとうな」
まだチンピラだった城戸が天王寺組への門を叩いた際、並々ならぬ覚悟と潜在能力を認め組へ引き入れた。また5年前の関東侵攻計画において優秀な城戸や浅倉が戦死するかもしれないと高見沢が指摘した際、たとえ死んだとしてもそれを大義にして今度は派手に攻めたらいいだけと返した。
「でもガキにしてはええ目しとるやんけ 決意がある」
「アイツらが死んだとしてもそれを大義にしてド派手に攻めたらええだけや」
動画の終盤で登場。ブレインの高見沢が暗殺されたことを受け、組長に咎められた。
「親父…ここから巻き返しますんで…」
刑務所から出所した波多野に泉屋が黒焉街で暴れるように指示した。
「でかした波多野 関東で暴れさしてえ」
高見沢の暗殺を受けて電話であと1ヶ月で関東を落とせなければ、城戸派を撤退させて戸狩派を出陣させると城戸に強烈なプレッシャーをかける。
今回の関東侵攻において組員が何人死のうと悲しむどころかむしろそれを利用してきた彼だったが、城戸の訃報を聞いた際はさすがの彼でも落胆する、寂しいと感じる、有能な部下を亡くしたなどの様子を見せた。というのも城戸を引き入れたのは自分自身であり、どの任務でもほとんど失敗したことがなかったほど優秀だったためまさか死亡するとは思わなかったからである。また戸狩を飲みに誘った際、城戸にプレッシャーをかけたのは関東侵攻計画は何代も引き継がれる組の重要なミッションなので本物の鬼になったからだと戸狩に告げた。悲しんでいる大嶽を見て戸狩がギャグを言ったが城戸の方が面白いと言い、再び城戸の死で落胆した。そして城戸の葬式では今までの功績を評価し、プレッシャーをかけてきたことを詫びた。
「アイツらはな…うちが攻めへんかったら結局いつかは攻めてくるんや。うちが関東侵攻して攻め落とした方がなんぼも平和な世の中になるんや」
「戸狩 城戸の方がおもろいわ。余計悲しなったわ」
「城戸ぉ…なんで死んだんや」
まだ2年目の戸狩に強いからこそあまり下の人間に厳しくしないように言葉をかけた。当時は鳴宮組に狙われており、左右から急襲を仕掛けられるが戸狩が庇ったことで無事で済んだ。そして敵のヒットマンを殲滅した際、戸狩の恐るべきポテンシャルに嬉々とした表情を浮かべていた。
「戸狩…なんちゅう男や…これは将来ど偉いことになるで」
戸狩派が東京へ進行するに当たって、大嶽自身も東京で指揮を取る事になった。
東京に降り立ち、綾波町にヤサを作り町を支配している極道組織「北大路組」を乗っ取る事を画策する。室谷と岸本隆太郎を派遣させ、天羽組への助力を求める隙を与えない策を実行し、武闘派構成員2名を始末した事で「北大路組」を手中に収めた。この時、北大路組長は天羽組の助力を求めて何度も電話をかけたが、天羽組に電話が通じることは全くなかった。大嶽はスマホの電波を攪乱させる装置を使って北大路の電話を妨害していた可能性が高いと考えられるが、詳細は不明である。
- 2023年7月14日の動画(伊集院茂夫)
戸狩と共に登場。伊集院シリーズに天王寺組が絡む展開は渋谷に続き二度目となる。
ある日の外出中、アジト近くの特別児童養護施設『大空ポプラ園』で暮らす軽度の知的障害持ちの青年・丸山慶也から自身の刺青について興味を持たれ、声をかけられる。描かれている百足を「サソリ」と勘違いしながら遠慮のない質問を大嶽にぶつける慶也に保護者の女性園長は戦々恐々とするが、大嶽のほうは(すぐ彼が障碍者と悟ったのか)これがサソリではなく百足で、どんな意味を込めて彫ったのかを端的に説明し、更に彼から「おじさんの絵描かせて」とリクエストされると快く応じた。普段から人物画を好んで描いている慶也の絵はお世辞抜きに非情に洗練されており、大嶽も上手に描いてくれたことを喜びながら「将来は絵描きやな」とその画力を称賛し、似顔絵を貰い受けて別れた。
しかし、慶也を含む養護施設の児童たちはその後、障碍者を利用し犯罪を働かせている外道半グレ『下離羅(ゲリラ)』のリーダー・大貫に目をつけられ、貴金属店への強盗を強要される。結局、犯行は店の防犯機能で未然に防がれ、警察も厳重注意に留め大きな事件にならなかったものの、大貫の顔を偶然見ていた慶也がいつもの習慣で似顔絵を描いてしまい、児童たちを探していた大貫は壁に飾られた自身の絵をみて「奴隷(慶也)が自分の素性をチクった」と逆上、その日の晩に児童たちを皆殺しにした挙げ句、施設を放火して逃亡する。そして、唯一生き残った園長の依頼と、彼女が主犯(大貫)の人相書きとして死守した慶也の絵を手掛かりに、拷問ソムリエ・伊集院茂夫が大貫の捕獲に動くことになる。
全国ニュースにもなった大空ポプラ園放火事件は大嶽たち天王寺組の耳にも入っており、慶也と面識のある大嶽も、独自の調査で事件を起こした下離羅のこれまでの手口を掴み、彼らの所業が「障害者への差別」だとして激怒し、あの日慶也が描いてくれた自身の似顔絵を守り代として、最強戦力である戸狩に大貫たちの始末に動くよう命じた。
(結局、例の如く伊集院と居合わせた戸狩は「彼に任せれば自分たちよりもっと凄惨に粛清してくれる」という期待から主犯の大貫の身柄を譲り、代わりに彼以外の構成員を圧倒的な実力で蹂躙した。)
絵を描いてくれた恩義で外道の始末に動いた大嶽の行動には、SNSでも「子供に優しい大嶽、ギャップすごい。」や「守代の代わりに似顔絵で敵討ちをやってくれるあたり本当に優しいな戸狩と大嶽」と好意的なコメントで溢れていた。
周到にガラをかわす大嶽を見つける奇策として関西の天王寺組本体に目を向けた小林たちの潜入調査により、とうとうヤサである『北大路本部』を天羽組に特定される。その後、本部に戻った小林の報告内容を元に、組長の天羽と最年長幹部の野田が、いよいよ大嶽を追い詰めるための作戦を練ることとなった。
同じ頃、大嶽は組長の三國から電話を受ける。三國は先日、自身の前に現れた小林の前で明かした通り、過去の関東裏切りの最大の被害者である大嶽の意志を尊重し、今回の侵攻作戦を一任したものの、その因縁を新世代まで引き継がせることに正義はあるのかと思い悩んでいた。また、そうした想いと共に、長年の弟分でもある大嶽の身を純粋に案じてもおり、「久々に一緒に串カツが食べたい」「桃谷屋に可愛い子が入った」などの他愛のない内容で濁しつつ、大阪に帰ってこないかと提案する。兄貴時代から変わらぬ三國の軽いノリに大嶽も珍しく邪気のない笑みをこぼしていたが、やはりその意志は変わらず、改めて「関東極道との因縁に俺が終止符を打つ」と決意表明し、通話を終えることになった。
その後、大嶽は戸狩派の主戦力構成員を招集し、天羽組への次の一手として「手薄となったタイミングで天羽組本部を一気に叩く下準備に空龍街に裏拠点を作る」と提案。奇しくもこの同日、天羽組でもとうとう大嶽包囲作戦が決定し、翌日、戸狩が大嶽の指令通り空龍街で半グレ『流運破(ルンバ)』のアジトを占拠しに出かけている最中、天羽組の野田一・須永陽咲也・和中蒼一郎・永瀬光一・小林幸真・速水泰輝の6名による、北大路本部の各出入り口3方向からの同時突撃作戦が決行されることになる。
天羽組による想定外の奇襲に部下たちが焦燥する中、大嶽は監視カメラの映像記録から冷静に状況を分析し「現在自身らのアジトに天羽の主戦力が集中している」ことを看破。命を狙われる立場にありながら、まさに今が前日に戸狩たちにも伝えた「天羽組本部が手薄な状況」という絶好のチャンスであるとし、空龍街に出払っている戸狩に「そのまま一人で天羽組本部に行け」と命令を下した。
戸狩は「アジトが攻められているなら自身も戻ってカシラを守る」と反論されるも、大嶽はこれまで見せなかった凄まじい怒声で、目の前の大将首(天羽)を取ることが最優先だと主張。電話越しにその気迫を感じ取った戸狩も腹を括り、必ず天羽を仕留めることを宣言した。
大嶽・天羽組の最終決戦
その後は北大路・天羽の両組織本部それぞれで、武闘派たちによる激闘が展開された。
北大路組では馬渕と永瀬が交戦の末共に相打ちとなり無力化、天羽組では戸狩が香月・小峠を瀕死に追い込むも、戸狩の同行を悟った野田の指示で急遽舞い戻った和中と死闘を展開、僅差で敗れることになり、味方の主戦力は渋谷のみとなってしまう。そして、最奥の建物前で最終防衛ラインを形成する渋谷たち構成員の様子から小林・速水のコンビが「その建物に大嶽がいる」と目星を付け、渋谷の一軍と交戦を開始する。
部下を介して渋谷から「自分たちが小林をおさえている隙に逃げてほしい」と指示された大嶽は、それが最悪の事態を避けるためだと理解しつつも、敵である天羽勢力もまた、野田が馬渕と永瀬を闇医者に送るため一時離脱、和中も戸狩と闘うために天羽の下へ向かった現状、今は玄関で孤軍奮戦する須永と眼前に迫る小林のみなら「小林さえ討てばこの戦争は自軍の勝利」だと結論付け、自らもドスとチャカを握って前線へと姿を現した。この判断には渋谷たちも困惑したが、大嶽の先程打ち出した結論で鼓舞され、小林の変幻自在の戦法に翻弄され下がっていた士気を回復することに繋がった。
大嶽の参戦で体勢を立て直した渋谷とその部下たち(峯田と高槻)であったが、小林もまた、大将首である大嶽が眼前に現れたことで更に集中力を高め、両者は互いに庭園の大岩と巨木を盾に銃撃戦を展開する。歴戦の猛者たる小林を前に大嶽も肩を撃たれてしまうが、頭数で勝る大嶽たちも銃による弾幕でその攻撃機会を遮り応戦。それにより小林も、先程馬渕に斬られた背中の傷の出血で徐々に消耗し始めた。
しかし、馬渕たちを搬送していた野田が舞い戻り、またその場の全員がマークから外していた速水の狙撃により渋谷がとうとう倒れることになり、いよいよ窮地に立たされることになる。大嶽は、総大将である自身が囮となり、残った若手の高槻に、渋谷と峯田を連れて闇医者に向かうよう命令し、一人で敵勢指折りの武闘派である二人を相手取ることになる。
敬愛する多くの組員の命を奪った大嶽に対し凄まじい憎悪の念を向ける小林と野田を相手取るという全くの勝算が見出だせない状況の中でも、大嶽もまた自身を突き動かす「関東への憎悪」から一切物怖じすることなく大声量で啖呵を切る。その姿に、今回の抗争の発端でもあるジョンとダンによる襲撃事件の被害者・野田が自らが1対1で相手をすると宣言(これは大嶽の気概を買ってのフェアプレイ精神ではなく、2対1の絶望的状況で死に花を咲かせようという大嶽の都合の良さに苛立ちを覚えたためである模様)。
現役の武闘派狂人である野田に、元々平凡な実力しか持ち合わせておらず、また若頭になって戦線から長期間離れていた大嶽が敵うはずもなく、すぐに満身創痍へと追い込まれてしまう。そして、いよいよとどめを刺そうとする野田であったが、その間に速水が滑り込み「親っさん(天羽)が今コチラに向かっているので待って欲しい」と願い出る。それは電話を受けた速水は当然、野田にとっても全く信じられない話で速水が嘘をついていると疑って詰め寄るが、そうした問答をしている内に本当に天羽が4人の前に現れる。
大嶽はこの天羽の出現で戸狩が敗れたことを悟り、また彼がわざわざ自身に会いに来たのも「直接とどめを刺しに来た」と踏んだが、天羽は大嶽を今すぐにでも殺そうと息巻く小林や野田を制し、改めて「何故今回の騒動(東京の侵略作戦)を起こしたのか」と、その経緯を追求する。大嶽は天羽の問いに、自身の被った悲劇と、これまで抱えてきた関東への憎悪を爆発させる。当然、それらは天羽組、ましてや現在抗争で闘う組員らは一切関与していない問題だと反論するも、大嶽は「関東極道は結局その性質に仕上がる」「ならばコチラ(関西極道)が恐怖で抑止して二度と悲劇を生まないようにしなくてはならない」と強弁を張る。その中で工藤や阿久津をはじめとする組員らの殺害を「一定の犠牲」と称したことに再度殺意を増幅させる小林たちだが、天羽は二人を再び制止した上で、続けて「何故当事者ではないお前の部下まで『怒り』に支配されているのか」と質問する。そこで大嶽は「自分たち上の世代が、東京の人間が如何に大阪を見下しているかを言い聞かせているからだ」と説明し、その返答に天羽は酷く悲しみに満ちた表情を浮かべた。
天羽はこの最終決戦に至るまで「大嶽を討ったとして、関西極道の抱く関東への憎悪は絶たれるのか」というどうしても払拭できない疑念を抱えていたが、大嶽の言葉から「たとえ彼を討ったとしてもその憎悪は消えず、寧ろ大嶽が討たれることでその意志を継承する若い世代が更に憎悪を拡散させる」という確証を得る。そして、今回の抗争で愛する部下たちを失った心痛は人一倍大きい立場である天羽だが、それ以上にこの永遠に続くであろう負の連鎖と未来の悲劇を今断ち切るべきだとし…
「俺はアンタ等(大嶽たち)を許す」
…と決断した。
そのまさかの言葉には野田や小林は当然ながら、大嶽も酷く驚き、言葉を失ってしまう。野田は最初は絶句の表情で動揺を見せつつも、天羽の語る先々の多大なリスクを理解してか、その場で立ち尽くしうなだれた。しかし、大恩ある阿久津たちを奪われている小林は、天羽のその決定を受け入れられず、悲嘆とも絶叫とも呼べるような声で反論。そして、大嶽に「俺はテメエが生きている事を許す気はねえんだわ」と改めて殺意を向け、静かに歩み寄っていった。
最後の対話 その先にあるものとは・・・
天羽の決定にそれぞれ抵抗を見せる野田と小林だが、それは大嶽も同じであった。得物を握り歩み寄る小林の始末を受け入れようと「やれや」と急かすも、それを再度、天羽が止めに入る。尚も納得しない小林に、天羽はその答えに至った理由は戦争第一陣の総大将・城戸の最期の言葉にあると語る。
「皆さんに恨みはありませんでした」と語り果てた城戸の姿に、今回の戦争には、従来の極道同士の抗争に必ずある「勝利の先の実利や名誉」といったものがなく、「怨恨」が要因して起こったもので、それを払拭するには「戦争に勝利した上で、勝者が“許す”決断をする以外にない」ということに気付いたのだという。そうした結論に至ることに遅れ、また同じ心痛を抱える皆々にそれらを事前に伝えることも出来なかったことも合わせ、己の落ち度として謝罪した。
一連の話を間近で聞いていた大嶽だが、「ここに天羽がいるということは戸狩が殺られた」「新たな怨恨の火種を自ら作った」として、天羽の意見を聖人ぶった綺麗事だと糾弾。しかし、天羽はここに来る直前に、和中と合わせ戸狩の救命にも動いており、お抱えの闇医者・氷室に電話を繋いで戸狩が一命をとりとめた事実を伝える。大嶽は再度驚くとともに、戸狩が生きていることへの安堵、そして天羽が真剣にこの手打ちを望んでいることを悟る。続けて天羽は、自身の組織に多くの犠牲が出たことに怒りと哀しみを噛み締め涙しながら、それは数十年前の関西極道、そして大嶽自身の背負い苦しみ続けた苦渋と同じだとし、改めて「この争いは終結させよう」と呼びかけた。
天羽が胸中の全てを語り終えた後、大嶽は静かにポケットからトランシーバーを取り出し、本部に残る部下たちに戦争の終結を宣言。これにより、長きに渡る羽王戦争は両軍総大将の合意の上で幕が下ろされることになる。
その後は天羽組の各組員の判断が生きて存命した戸狩たち共々、本拠である関西の病院へ搬送された。命に関わる怪我はなかったとはいえ、野田に徹底的に痛めつけられ長期入院を余儀なくされた大嶽は、天羽の言葉を反芻しながら、自らの怨恨が巻き起こした今回の抗争、犠牲となった多くの命を想い、自問自答を続けていた。
「爺ちゃん…俺の今までしてきた事は間違とったんか?」
「世の中で起きとる戦争は大概が恨みの連鎖や」
「せやけど誰かが矛を納めんと戦争は永遠に続く」
3週間後、大嶽はまだ傷も完全に癒えぬ状態ながら、関西の親分衆が集まる会合にて今回の抗争の顛末を報告するために出席。開始前、三國の元へ向かい主導者である自身が話すことを宣言。これに三國は「お前が生きて帰ってきただけで嬉しい」と励ましつつ、その目には何処か悲しいものが宿っていた。
そして会の中盤、いよいよ大嶽が関東侵攻の結果報告を行う場面が訪れる。
既に事の顛末が界隈に広く知れ渡っていることもあり、壇上に上がった大嶽が冒頭からその結果が「失敗」であったことを報告するや、席の方方から非難の声が上がる。大嶽はそれらの声に「自分の不徳」だと認め謝罪した後、戦争前の自身も抱えていた「関西と関東の遺恨」について話を切り出す。
これまで大嶽が語ってきた通り、脈々とその遺恨を継承してきた関西極道たちは「関東が関西を攻めるのだから当然」だと語るが、大嶽は「直近でその被害の経験があるのは自身と三國組長ぐらい」「今声を上げている方々は上の世代からそう刷り込まれているだけに過ぎない」と反論。
そして、あの日天羽の出した結論と同様、憎悪を持って相手を討てば、また憎悪が宿った相手の報復を生む血みどろの連鎖が続くことを熱弁。そして三國からの「解決策はあるんやろな?」と疑問を投げかける形での助け舟を受け、「天羽組が自分たちを許したように、我々も矛を収めるべきだ」と応える。
当然ながら、関西極道たちはそのような提案を受け入れられる筈もなく、更に厳しい言葉で大嶽を批難する。その内の一人から「ならば何故ここまでの大金や兵隊を消耗してまで侵攻を起こしたのか」と声が上がると、大嶽は悔恨の表情に浮かべ「その悲劇の引き金を引いたのは他でもなく自分」だと認め、失った部下たちの名を一人ひとり挙げながら「自分が戦争を起こさなければ誰も死なずに済んだ」「関東の侵攻を止めたいなら武力行使以外の方法はいくらでもあった筈なのに、己の思い込みでその模索を行わなかった」と後悔の涙を漏らした。
そして、己のあまりに大きすぎる罪へのケジメをとるため、大嶽は懐に手を入れた。
次の瞬間取り出したのは、懐に隠し持っていた手榴弾だった。
そして、数十年に渡る今まで面倒を見てくれた三國、怨恨に支配された己に道を示してくれた天羽それぞれに感謝を贈り、会場の関西極道たちに「自身の命に免じて、どうか東京との対話の窓口を持ってください」と願いながらピンを抜いた...
俺に生きる資格なんかあるかいな
未来の悲劇をなくすため俺の命を使う
アホな俺にはコレしか罪の償い方を思いつかんかった
「最後だけは格好つけさせていただきます!」
「これが天王寺組若頭」
「大嶽徳史の死に様じゃぁあああ!」
そして、最後にこれが自分の死に様だと叫んだと同時、手榴弾は大爆発。
天王寺組若頭の大嶽徳史は、過去の悲劇を怨恨として後世に語り続け、怒りのあまり話し合いもせず関東に攻め込み、双方多大な犠牲者をだした。だが、関東極道の深い器を知った後は自身の過ちを反省し、死を持ってでしかケジメは取れないとして、会場内で壮絶な爆死を遂げた。
周囲が騒然とする中、組長の三國は即座に出席者たちに向き直り、命を賭けた大嶽の訴えをどうか汲んでやって欲しいと深々と頭を下げる。大嶽の後悔の涙に気付き心が揺らいでいた面々も、彼の覚悟を見届けたこともあり、三國に続いて頭を下げる形でそれを受け入れた。
その後の各極道界隈の動向
大嶽は壇上での演説中「大事な人間を奪われた者はたとえ上の命令を無視してでも復讐に動く」と語っていたが、実はその読み通り、この日の会場には再びボーイに扮した小林が大嶽を殺そうと潜入しており、早期に気付いた三國から「今は大嶽(の報告)を見といたってくれ」と進言され物陰でその内容に聞き入っていた。最終的に大嶽が自ら命を絶ったことで、手を下せなかったことへの空虚感を抱えつつ、己の憎悪と向き合い同じ過ちへ進もうとする関西極道を止めようと決死の行動を起こした大嶽の最期に、あの日納得がいかなかった天羽の「許す」という決断の意味を改めて理解した。
そんな心の整理に兆しが見えかけたところで、会場前で屯する怪しいチンピラ二人組を発見。二人は関東極道『丸高会』の構成員で、自身が『天羽組の小林』であると知った上で気安いノリで声をかけてきた。そして「関西の利権は関東が握るべき」「戦争で弱っている天王寺組を一緒に奇襲しよう」と持ちかけられた小林は、彼らがまさに大嶽たち関西極道が長年苦しみ怨嗟を重ねてきた「争いの火種」そのものだと気付き激昂。大嶽に果たせなかったトドメの分も上乗せした超ハードグリングリンで秒殺、大嶽の決死の主張に水を差さんとする因子を人知れず排除した。
大嶽が「関東を恐怖で抑止する」という目的で起こした今回の騒動は「本隊抜きの少数のみで『コロシの天羽組』を壊滅寸前まで追い込んだ」紛れもない事実もあり周辺の関東極道を恐怖させ、以後は関西侵攻に動く組織は出なくなったという(そんな中で上述の丸高会がわざわざ関西までやって来て暴挙に出たのは、小林を勧誘する際に口走ったとある闇組織の後ろ盾を得たためと推察される)。
一方、当初はその「両者痛み分けの和睦」とも受け取れる表面上の結果を知った周辺組織から「天王寺本体を怖れた天羽が大嶽たちを生かす事で全面戦争を避けている」と見くびられ、主要武闘派ほぼ全員が入院中の好機にシマを乗っ取ろうと計画する動きもあったが、会合での大嶽の大々的な自決が伝わると「敵の大将にあそこまで言わせて自害に追い込んだ天羽はただならぬ策士」だと逆に畏怖の念を向けられ、全組員復帰までの約一ヶ月半の間、目立った騒動もなく各自快復に専念できた模様。
この界隈の一連の動きを知った天羽は、狂気の論理に聞こえた大嶽の「恐怖による抑止」という主張が奇しくも事実として成り立っていると認め、またその最期についても「東西極道の関係性に間違いなく一石を投じた」と評した。最強戦力・戸狩を相手取るという大役を務めた和中も、天羽と大嶽がそれぞれの行動で指し示した「許すことで未来を作る」という考え方に見識を深められたとし、阿久津殺害の実行犯でもある戸狩を含む相手構成員を生かした判断を責めることはなかった。
尚、大嶽の存在は大阪の天王寺組傘下外の組織や京都の五条組の相談窓口的な役割と広島等の九州の組織の抑止力的な存在になっていたので彼の死後に三國の命を狙う輩が増える等、かつて羅威刃の2代目ボスの城ヶ崎が死んだ事で関東周辺の半グレ達が暴れ始めたりする等、混乱が起きたように影響が出始めている。又、五条組の佐久間を天王寺組との関係を考え直すと怪しげな考えを持っている事から、関西に不穏な影が見え隠れしている。
人間関系
- 大嶽の祖父
大嶽が肉親として、また人生・渡世両面の大先輩として敬愛した祖父。
幼少期より家に通っていた大嶽と交流し、人情や勉学の大事さなど様々な教えを与えていた。大嶽もそんな祖父への憧れから高校卒業とともに天王寺組で禄を食むことを選び、祖父孫の二代で組織を支えていた。
当時より関西関東の因縁の歴史を踏まえた上で「利権を分け合うなどで良い関係を築く」という方法で抑止に努め、連携する東京極道派閥との通話をみていた大嶽にもその理由を伝えていたが、上述の裏切り事件を受けて凄惨な死を遂げ、大嶽はその悲哀と憎悪から狂気に走ることになってしまう。
…なお、大嶽の栗どら焼き好きは祖父の影響らしく、日本酒のアテにどら焼きを食べていたとのこと。その飲み方を真似し「じいちゃんもこう飲んどったんですわ」と話す大嶽に三國はひどく驚いていた。
大嶽が見出した猛者の一人で、天王寺組が誇る2大武闘派派閥の片割れ「城戸派」のトップ。
ただし、後述される戸狩や馬渕とは実力を見出した経緯が大きく異なり、彼が入門志願に現れた際に大嶽は最初あしらおうとしていた。しかし、それでも食い下がる城戸に向き合った際に、目の奥にある並々ならぬ覚悟を感じ「見込みがある」と認め組へ引き入れた。
後述2名に比べ具体性の欠いた見定めであったものの、結果的に城戸はその後「出世」に対する凄まじい執念で幾多の過酷な仕事をこなし続け、ついには(建前上は兄貴分である)戸狩と並ぶ武闘派一派を率いるまでに成長。大嶽もその執念を買っていたようで、城戸に関東侵攻作戦の先陣という大仕事を過去2度に渡って任せている(1度目は若手時代の黒焉街侵攻、2度目は羽王戦争)。
1度目の作戦時、大嶽は城戸(と追従した弟分の浅倉潤)について「たとえ向こうで2人が死亡しても、それを大義名分に本腰を入れて侵攻できる」と、その犠牲を歯牙にもかけない様子であったが、羽王戦争で実際に城戸が死亡した際には戸狩が心配する程気を落とし、後日の葬儀では彼の底力を引き出すため数々のプレッシャーを与えていたことを謝罪していた。
城戸自身は、大嶽を出世のチャンスをくれる存在として敬愛していたものの、根底にある「関東への怨嗟」については大嶽とは真逆の建設的な考えの持ち主(ただし、出世にひびきそうなので意見は自重していた模様)。一方、ギャグのセンスは近く、リズム良く韻を踏むジョークを好む。共演したお正月動画では互いに楽しげにギャグを絡めた抱負を語っている他、彼自身の派閥内でもよくギャグを口にしていた(浅倉や苅込一輝からバッサリとした批評を返されることもあったが…)。
大嶽が見出した猛者の一人で、天王寺組が誇る2大武闘派派閥の片割れ「戸狩派」のトップ。
彼が日雇いの作業員として工事現場で働いていたある日、進捗確認のために現場を訪れた大嶽が、鉄筋を一人で軽々と運ぶ姿から実力を、その後の会話の中で精神の強さを見抜き、その場でスカウトした。
戸狩にとって大嶽は、(形は異なれど)「差別」に対する嫌悪でも共感し合える存在で、これまでの母子家庭や殺し屋時代の中で名前ですら呼んでもらえない冷遇を受けてきた中、はじめて自身の「玄弥」という名に触れ、そこに込められた名付け親の想いを受け止めてくれたことも含め絶対的な信頼を寄せている。そのため、大嶽を守るためなら自らを盾にすることも一切厭わない(このあたりは「鋼鉄の戸狩」の異名を取る自身の頑強な肉体に対する自負も含まれているかもしれないが)。
一方、当初はギャグセンスが壊滅的で、城戸の死に落ち込む大嶽を励まそうと絞り出したダジャレには「余計悲しなったわ」と酷評され、「調子悪かった」と言い訳しての再挑戦は完全スルーされる始末だった。しかし、自身ら一派の東京入りに大嶽も同行する決定を受けた際の「ほんまでっかのデカプリオ」は珍しく大嶽のお眼鏡に叶ったようで「タイタニックに乗った気持ちでおったらええ!」とウキウキ声で更に畳み掛けてギャグを返していた。また、こうしたコミカルな会話の中でよく大嶽の凄まじい強面をイジることもあった戸狩だが、告別式の写真に写る彼は「男前」だと褒めていた。
大嶽が見出した猛者の一人で、天王寺組が誇る超武闘派の剣豪。
友人の敵討ちをしたのが原因で少年院送りにされ、出所後も更生せず町中で暴れていたところを大嶽にスカウトされた。
大嶽および天王寺組全体として見ても基本的にギャグに乗り気ではないらしく、戸狩派合流時の「お邪魔します」に対して大嶽が「邪魔するんやったら帰ってやあ」というお約束のギャグを返した際は、戸狩も「コイツはホンマに帰る奴ですよ」と慌てて注意していた程。
そんな感じで常々会話にギャグを挟んでくる大嶽には何処かしれっとした態度をとっていたものの、厚い信頼は寄せていたようで、大嶽の訃報を受けた際は戸狩・渋谷と肩を並べ、その死を心から哀しみ泣き腫らしていた。
“リアルパーフェクトヒューマン”を自称する戸狩派のNo.2。
戸狩と同じく赤森地区出身であったことによる差別被害の経験者であり、彼ら同様に差別に強い嫌悪を抱いている。また羽王戦争では常々、彼の台詞がモブ兵含む大嶽一派の総意とも取れる形で描写されていた。
北大路組本部での最終決戦では、大嶽のいる最後の砦を防衛し、小林を討つため現れた大嶽とは共倒れを約束し決死の覚悟で奮戦した。結果的に速水の狙撃が決定打となり意識を失い、以後は他の構成員と同じく入院していたが、その間に大嶽が出席した会合で命を散らしてしまう。訃報を聞いた際は戸狩・馬渕と同じく涙し、渋谷は先の約束を引き合いに「一緒に死んだら地獄でコンビ組も言うてたやないですか」と悔しさも滲ませていた。また、告別式で五条組・佐久間の言葉に真っ先に怒りを顕にしたのも渋谷であった。
ギャグについては、わざわざ公式ツイッターに出向いて大嶽の説明したがり+ボケたがり(後述)をボヤいていたため馬渕同様に呆れているようにも見えるが、彼も彼で、とある事情で大阪にやってきた東京出身の喧嘩屋の青年の前で(相手は真面目にやってるのに)一人ボケ・ノリツッコミを連発したり、戸狩派との交流(本編および解説回)でも先輩後輩の小ボケに過敏に反応してリアクションを返しており、なんやかんや派閥で一番ギャグに貪欲ともいえる…これに加えて彼の戦闘能力のズバ抜けた特性が「受け流しの卓越さ」なのもある意味ギャグである。こうして考えると大嶽のボケを絡めた説明も、実は渋谷のリアクションを期待しての“振り”だったのかもしれない。
天王寺組の当代組長。
大嶽にとっては入門したての若手当時より数十年に渡り世話になった兄貴分であり、現在のスマホの電話帳リストにも、彼の番号は「組長」ではなく「三國の兄貴」として登録されているあたり、当時より変わらぬ敬愛を感じさせる。
(…ただ、彼が部下を褒めるたびに加点するポイントシステムの詳細は大嶽にもわからないらしい。)
大嶽と同じ30年前の事件の当事者で、祖父を失った弟分の悲痛を誰より理解する存在でもある。それ故、大嶽の想いを汲んで今回の関東侵攻作戦を一任したものの、城戸と同様に「当事者がいなくなった今、この怨嗟を継承し続けることに意味はあるのか」という疑念を抱え人知れず悩み、またその渦中に堕ちていく大嶽自身のことも純粋に心配していた。
大嶽の最期を見届けた際は、「組長」の立場で即座に「若頭」の想いを汲んで欲しいと周囲に願い出ていたが、告別式では「兄貴」として「弟分」が命を落としたことを純粋に悲しみ、これまで一貫していたポーカーフェイスを崩し、鼻を赤らめるほど号泣した。
因みに大嶽と付き合いが長かった影響か「大嶽の声真似」が得意なようで、戸狩は背後から如何にも彼がそのとき思ってそうな事を言われて毎度のように驚かされているらしい。
「天王寺組のスーパーブレイン」と称される幹部。
上述通り大嶽とは計略を伝授された師弟関係で、城戸が若手だった頃から既に右腕として活動していた様子。
そんな長年の付き合いがあるはずなのだが、静岡の生瀬組との協定交渉を奇襲した小峠によって討たれて以後の抗争中、大嶽の口から触れられることはなく、その小峠と遭遇する場面でも彼の殺害を引き合いに出すことはなかった。ただ、戦争終結後の病室での自問自答や、最後の演説時には高見沢の顔や名前を挙げているあたり、他の犠牲者と同じく思い入れは強かったとおもわれる。
他の敵総大将との比較
羽王戦争自体は22年8月の野田暗殺未遂事件を発端に開始されたものの、大嶽個人の戦争にかける心情やその狂気を確立した経緯について詳細が明かされたのは23年に入ってからとなった。そうした心情が語られて以降も、天羽組を標的にした理由の裏付けがないこと、また大嶽はともかく戸狩や彼の派閥が経験した差別が東京の極道に向けられるものではないこと、城戸の死以前に語った全国統一とは結局なんだったのかなど多くの矛盾が残りファンの間でも賛否が分かれた。
また、この23年は奇しくも、チャンネル内シリーズにて大嶽同様に戦争の首謀者・敵総大将となったキャラクターである我妻京也(京炎戦争)、黒澤航太郎(獅子王戦争)、銀田栄角(EL戦争)についても、各々の過去や戦争の真の狙いが本人視点のエピソードとして掘り下げられた年で、彼らも大嶽同様に耐え難い苦悩を経験したことで狂気じみた持論を打ち立て、それを何としても成そうという執念に縛られ続け、(我妻のみ24年3月と大きく遅れたものの)その執念の先に訪れた、敵だけでなく味方、己自身にも降り掛かった更に悲惨な結果と、それらに直面した際の心境なども含めた顛末が描かれる形となっており、いずれの戦争シリーズも、抗争劇を通して「狂気に走り続けた男の人生」を裏テーマとして描いた2重構成の物語となっている(この辺りは、天京戦争での日下孝次郎、京羅戦争の城ヶ崎賢志など、上記4名以前の長編抗争劇にも大なり小なり同様の要素が含まれていた)。
そうした上で大嶽含めた4名を比較すると、年齢や人格、戦争内で発揮した能力、与する裏社会派閥の属性や内部での立場などは決して合致しないものの、狂気が生まれた経緯や率いた組織の人物らの心情、迎えた結末には様々な共通性、もしくは正真逆ともいうべき部分が各所から見て取れる。
狂気の発端と過去関わる人物らの主張
当初はいずれの人物も、相手(主人公サイドの派閥)と意見対立したり一方的に攻撃を仕掛けた理由を「利益のため」と主張していたものの、実際はそれとは別(もしくはそれに結びつく)過去経験した悲劇から確立した「一方的な正当性」を押し通すことが真の目的であることが明るみとなっている。
また銀田を除く2名は祖父を失った大嶽と同じく、長年同棲し近々我が子を産むはずだった「恋人」、常々仁義を説いて可愛がっていた「舎弟たち」と、それぞれ家族愛・男女愛・(渡世の)兄弟愛と形は異なれど、当時深い愛情を持って接していた人物らとの死別が狂気の発端となっており、この犠牲者たちも生前に何かしらの「主張」を当人らにぶつけていたことでも共通する。主張の内容もそうだが、当人らが各々受け取った主張を生前の交流・死別を通して最終的に同意・否定したかに付いては様々である。
- 大嶽:当初より先輩組員でもある祖父の「東京極道と仲良くすることで関西への攻撃を抑止する」考えに同意だった(というより当時は若手で組織方針に意見できる立場でも無かった)が、祖父含む大多数を犠牲にした裏切り奇襲事件を受け、それによって生じた関東極道への憎悪から祖父の考えを否定して「関東への復讐」と「恐怖による抑止」を重要視する。
- 我妻:当時より半グレとして活動していたことに同棲中の恋人・千尋から「いつか大きな恨みを買って京也に不幸が降り掛かってしまう」と心配して止められていたが真剣に受け止めず、組織を小規模化しつつも半グレを継続。結果、我妻を恨む暴漢に千尋が惨殺され、我妻は二度とそんな悲劇を経験しないため、千尋の願いと逆行するようにより組織を巨大化させていく。
- 黒澤:組織の掲げる仁義の上でヤクを御法度としていたにもかかわらず、当時面倒を見ていた舎弟の青木・木村の二人がヤクの売買に手を出してしまい自ら始末を付けることになる。空腹を誤魔化すため自らもヤクを接種してボロボロに痩せこけた姿で「ひもじいのが嫌だった」と涙ながらに語る二人を銃殺するも、二人の経験した苦しみに同情、また兄貴分である自身にもっと金さえあればという後悔から悲嘆。以後は二人の最期の訴えを汲み取り、二度とひもじい思いをする部下を生むまいと、仁義より利益を優先したシノギを推し進めるようになる。
- 銀田:上記3名のような親しい人物の死は経験していないが、由緒ある名家に生まれ、実親からは「兄(嫡男)のスペア」として扱われる疎外感の中で、当時から実家と接点のあったCODE-ELのアサシンとなる道を自ら選び、組織の下す任務を「社会悪を討つ正義の行い」とし、ようやく見つけた己の天命だと信じていた。しかし、後の某国での単独任務を通し、組織の任務が決して正義ではないと気付き失望(これ自体は銀田に限らず多くの隊員たちがどこかしらで直面しており、悲哀を押し殺し任務に従う者、人並みの倫理を持たず狂気に染まる者、出来る範囲で組織方針に逆らう者も当時からいた)。結果、当時のELの理念を綺麗事だと全否定し、自身のトップ就任を機に利益最優先の新方針を掲げることになる。
部下・協力者たちの心情
4名がいずれも与する組織における重役で、表立った主張が利益であることもあり、幹部も含めた部下の多くが戦果によって生まれる報奨金や戦後の地位の約束、また相手方の名のある戦闘者を討ち取って己の名を上げようという功名心…など、各々の目的も概ね「戦争によって舞い込んでくるマージン」から該当人物らに協力している場合が殆どである一方、中には過去の類同する経験から派閥の掲げる理念に心から同調している者であったり、主導者から過去代えがたい大恩を受けた忠臣であったりなど、主人公側の視点からは推し量れないであろう「総大将の本来の人間性」を物語る人物も在籍していた。
- 大嶽:人間関係の項目で触れた通り、戸狩派の多くは(形はそれぞれ違えど)過去経験した「差別」に対する嫌悪感や、大嶽に掬い上げてもらった大恩から厚い信頼を寄せている他、戦争そのものには関与しなかった組長の三國貞治も、同じ悲劇を経験した大嶽への同情から今回の関東侵攻を一任している。
- 我妻:過去を知る者はいないものの、榊原周は完治不可能な死の病の中「死に場所を与える」と歩み寄ってくれた我妻に絶対的な忠誠を誓った過去を持つ。いよいよ症状が誤魔化せなくなり吐血する姿を我妻に見られたことで見限られ、鉄砲玉のような任務を与えられようと、死力を尽くして完遂してみせようと動いた。
- 黒澤:派閥幹部の来栖三成は「組織の財政が安定しなければ仁義は通せない」という心情から黒澤派に付いたが、眉済派の井上月麦からの主張(このとき既に黒澤が羅威刃、戒炎といった仁義を持たない因子を自軍戦力に加えていることへの指摘)により心変わりが生じ、井上との対戦後、真っ向から黒澤に「半グレ共とは手を切るべき」だと説得に動いている。
- 銀田:EL所属以前より両家一族の盟約から銀田に従う鵺(智也)は、変貌前の主君の内包する正義感と優しさを常々感じ入り篤く信頼し、ときに無辜の民を討たなければならない己の境遇にもなんとか耐え忍んでいたが、それ故に苛烈な独善的思想を持つ姿に変貌してしまったことを誰よりも悲しみ、また生きる気力を失い任務に託けて敢えて戦死しようとまでした。結果的に彼を制した瓜生や毛利が手を差し伸べたことで未遂に終わり、最終局面まで戦死者として身を隠していたが、最終局面では銀田への純粋な心配から人知れず戦場に赴くなど、袂を分けようと変わらず彼の身を案じていた。
戦争によって生じた負い目とそれぞれの選んだ顛末
当然ながら、彼らの暴挙とも呼ぶべき行動によって、作中世界にて多大な被害を生むこととなったものの、首謀者である4名の中には、その結果を通して己の罪深さに気付き後悔する者、逆に最期まで一貫して己の主張に間違いはなかったとして果てる者まで様々であった。
また、首謀者の最期の意志はどうあれ、主人公サイドにも相手の心情を汲み取り、彼らが現在まで抱え苦しんだ悲痛に歩み寄り、最終局面で当人に呼びかけたり、戦後に組織方針を立て直す場面に彼らの主張も組み入れようと務める場合もある。
- 大嶽:天羽組では阿久津・工藤・南雲と、その他多くの若手組員が、それ以外にも天羽と懇意の近隣・他地方の組織が崩壊するほどの被害を生んだものの、敵総大将の天羽桂司は、戦争を通し自らが経験した愛する部下たちとの死別を過去の大嶽や関西極道の経験した悲劇と同じだと感じ、自身ら被った悲痛より東西極道の抱える「怨嗟」が今後も続くことを危惧し、大嶽が抵抗の術を完全に失ったタイミングを見計らい、和睦を申し出る。はじめは疑っていた大嶽だが、最後は天羽がそのために起こした行動(自身の部下たちの救命)で天羽の願いが真意であると悟り和睦の申し出に承諾。同時に、自らの行いで部下を含め多くの極道が犠牲になったことも重く受け止め、関西極道の会合では今回の事件で自ら招いた悲劇を赤裸々に語り、列席の親分衆に天羽と己の嘆願を伝えながら自爆した。
- 我妻:最後の最後まで己の主張を曲げず、激戦の末に敵の最強戦力である守若冬史郎に討たれる結末を迎える。マウントポジションで捉えた守若に、犠牲となった京極組の仲間たち(およびそれに最も悲痛を抱え苦しむイガ親父)の分を一撃一撃に込めて叩き込まれる中、幻覚の中で妻となった千尋、生まれてくる筈だった息子の真也との明るい未来を思い描き「何故みんな俺から大事なものを奪うんだ」と悲しみを吐露するも、守若は彼のこれまでの行いを「(己の受けた理不尽を他者にぶつける)八つ当たり」だと指摘した。この言葉が息を引き取る寸前の我妻の耳に届き、後悔が生じたかは定かではない。
- 黒澤:先述の来栖からの主張を受けた際は「もう後に引けない」として遮っていたが、その後まもなく彼ら半グレの「仁義がない故に行える所業」の恐ろしさ、彼らの真の狙いが「内紛による潰し合いで組織力を失った獅子王組から利権を奪うこと」だと気付き戦慄、己の推し進めた行為に後悔する。しかし、上記の発言通り自身、そして眉済の両派閥に多大な被害が生まれている手前引けないことも事実であることから、両陣営の被害をこれ以上生まないため、総大将同士の決闘で早急にこの戦争の勝敗を喫すことを選んだ。最終的に眉済俊之に討たれるものの、同期のよしみで黒澤を誰より知る眉済は彼が「自身に討たれるつもりで決闘を挑んだ」ことを悟り「仁義や任侠を通すにしろ、金は軽く見るな」という遺言にもその真意を理解した上で深く頷き最期を看取った。周囲には黒澤の暴走とも言える行動もまた組の為を思ってのことだったと理解を求め、その後は純粋に「苦楽を共にした同期」の死に涙した。当代組長を襲名した後日には、元黒澤派の幹部陣と自身の部下たちとの和解の場を設けたりと、以後も己の信念に黒澤の遺志も踏まえた上で組織の立て直しを目指している。
- 銀田:毛利公平と敵総大将同士の最終決戦で満身創痍に追い込まれた上、多くの兵を差し向けられていたハズのバースがズタボロになりながらも銀田の元まで辿り着く。聞けば、バースに対峙していた兵たちは、バースの強さもそうだが強い覚悟を持つ姿に対し、金や出世といった目先のことでしか動いていない自身らの在り方に思うところがあり道を譲ったらしく、毛利からも、その事実を踏まえた上で彼の主張の正当性を訴えかけられるが、銀田はそれでも「俺は間違えていない」と突っぱねる。そして自らの信念を貫くために毛利たちに殺される最期は好しとせず、高台から身を投げて絶命する道を選んだ。毛利は対立した立場から銀田の主張を「歪んだ信念」としつつも、彼自身も銀田以前から根付く組織理念に異議を持っていたことも確かであるようで、それに翻弄されたことについては以後も各所で同情を向けている。銀田栄角の死後に登場することになった兄の銀田栄山と協定を結ぶ際にも、毛利は「理由はどうあれご家族を手にかけたのは事実」として対面時に謝罪した。この際、栄山は弟の招いた被害の重さを認め逆に頭を下げているものの、言葉では「誰かが止めなければならなかった」とし、栄角を見限り「不出来な愚弟」と罵る実父とは違い「家族である己の歩み寄りが足りなかった」ことへの後悔を滲ませていた。
上記4名に日下や城ヶ崎も加えたこれまでの敵総大将の顛末を比較すると、大嶽は最終的に己の非を全面的に認め、それによって生じた被害の落とし前を付けることに加え、主人公サイドと共有した未来への懸念を僅かでも改善させようと、戦後も生還しながら自ら凄惨な死を選ぶという、シリーズの中でも珍しい形での最期を遂げた敵役でもある。
その他
かまってちゃん説
日頃から組員と漫才のようなやりとりを繰り広げていることもそうだが、城戸の訃報をはじめて聞いた際には、これまで失敗が殆どなかった彼が殺されたことに改めて関東人のエゲツなさに驚くとともに「寂しいなあ」と呟いている他、海岸沿いである綾波町を確保し武器流通ルートを抑えたことを戸狩が褒めて「一人で関東制圧いけるんちゃいます」と言われた際には「アホか 明日死ぬし寂しいやん」と反論しており、割りと寂しがり屋なのかもしれない。…可愛い。
また、戸狩と車に同乗して8時間かけて東京入りした際に「メンタル鍛えられました」と(別の回では「よう意識保ててたと思てます」とも)答える彼に「癒やされたんちゃうんかい」と少しショックを受けた言葉を返した。…可哀想。
その他、公式ツイッターでのリアルパーフェクトヒューマン渋谷の言によると、大嶽は毎回戦闘などの作戦を(聞いてもないのに)解説してくれるとのことで、渋谷は「誰かに聞いてほしい」のだと察している。…うん、やっぱり可愛い。
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かまってちゃん(?) みんなのアイドル(??) ギャップ萌え(!!?)
阿久津敏朗・大園銀次…敵対組織である天羽組と京極組の若頭。彼らもまた組織内では日々のシノギや抗争での指揮系統の要として立ち回り、内部から敬愛、外部から警戒を向けられる組織のブレインであった。
五十嵐幸光…京極組の元若頭で現組長。若頭時代の時に組長に変わって天羽組との戦争で総指揮を取っていたと言う共通点があるが、五十嵐の場合は全ての元凶で前組長である日下に丸投げされてやっていたのに対し、大嶽の場合は率先して指示を出していると言う点で異なる(なんの偶然か日下と大嶽は大切な人を外道に殺された過去を持っている)。また、抗争編の最終回にて自分たちの非を認めたうえで全責任を取るための自決を試みた点も共通しているが、最終的に死亡した大嶽と異なり、五十嵐の場合は小峠華太の介入により死亡することなく両小指欠損で済んだという点で異なる。
小峠華太…天羽組の武闘派構成員。関東への復讐の決意から刺青を彫った大嶽と同様に、彼もまた過去世話になった兄貴分・江藤を惨殺した極道崩れたちへの報復を完遂する意志を固めるため、生前の江藤と同じ昇り鯉の和彫を背中に刻んだ過去を持つ(因みにこちらはその経緯が明かされた本編中に復讐を果たしている)。また幼少期の人情に篤い渡世人との交流から極道に憧れた過去、入門後は機転の良さで組に貢献する姿など何気に似た要素が多い。
小湊圭一…大嶽同様に敵方主要人物として本人視点エピソードが描かれたキャラクターの一人。奇形が原因で差別を経験し、同じく肉親(コチラは実母)を殺害されたことを機に狂気に染まった過去を持つ。ただし、彼の場合は当時心身共に幼く、唯一の理解者だった母を亡くし孤立無援となったことからそのまま狂気が暴走し、母を死に追いやった外道やいじめっ子を手に掛けるに留まらず、成長後は温情を向けていた剣術の師や何の罪もないカタギすら惨殺する狂気の殺戮者となった。
野々村竜太郎…泣きながら必死に謝罪会見をした者繋がり。ただし、野々村氏は保身の末に支離滅裂な主張をしただけなのに対し、大嶽の場合は己の罪を認めたうえで会見に参加した他の極道たちを説得しようとしていた点が異なる。