タイタニック
たいたにっく
タイタニック号は、20世紀初頭に建造された豪華客船である。
イギリスのホワイト・スター・ラインが北大西洋航路用に計画したオリンピック級客船のうちの2番船であった。船長はエドワード・ジョン・スミス。
当時最大級の大きさを誇り内装も豪華で、浸水を防ぐ区画構造から「不沈船」とまで謳われていたが、当初は同型船「オリンピック」の存在に隠れており、知名度を得たのは皮肉なことにその沈没後のことであった。
1等船室には広大な室内空間を備えたスイートルームも併設された。これは建造時点ではオリンピック号にもない設備であり、この点ではオリンピック号をも上回るフラッグシップとしての期待もあったといえる。他に豪華な食堂やラウンジ、カフェなどの写真が残されており、まさに豪華客船として相応しい内装を誇った。
先述のスイートルームやカフェなど、設計の一部は先に就航した「オリンピック」の運用上の反省点を活かしたものでもある。他にAデッキの遊歩道は「オリンピック」では吹きさらし構造であったのに対し、「タイタニック」では大西洋の強風を遮るため窓が設けられるなどの改良がされた。そのため「オリンピック」と似た姉妹船ではあるが、外観上も多くの違いが生まれている。
一方、3等客室は2段ベッドに洗面所程度の設備しかなく、移動に不便な低層階の船首部及び船尾付近の煩い機関室周辺などに集中していた。また3等客の移動も当時の階級意識に加え労働者の伝染病感染防止のために厳しく制限されるなど、まさに当時の社会構造縮図のような船であった。
ただし、ホワイト・スター・ライン社はオリンピック級に対しては速さよりも質を追及しており、1 - 3等に至るまで旅の快適さを徹底して追求していた。当時の一般的な客船の3等客室が、汚水の溜まった掃き溜めのような船底同然であったのに対し、タイタニック号3等客室では(処女航海でもあったため)新品の真っ白なリネンや食器を揃え、食事も1日3食(しかも昼・夜はデザート付)用意されており、生還者の証言からも非常に快適な旅であったことが窺える。これから新天地に活路を開かんとする移民達にとってタイタニック号はまさに「夢の船」であった。
沈没事故
1912年4月10日にイギリスのサウサンプトン港から米国ニューヨークへ向けて出発し、その処女航海中、4月14日深夜氷山へ接触し、翌日未明にかけて沈没。
接触した船首から海水が流入して初めに船首部分が沈んで船尾が海上に高く持ち上げられ、最後は自重に耐えきれずに船体が真っ二つにへし折れて海中に没したといわれている。
このような沈没の仕方は非常に稀であり、絵画や映像作品においても船体が大きく傾き船尾が海上から大きく持ち上げられている様子はタイタニック沈没の瞬間の象徴として扱われることが多い。
タイタニックは氷山に正面衝突した訳ではなく、船体側面を大きく掠めるような形で氷山と接触したとされるが、これが却って広範囲に損傷個所が発生することへ繋がり、海水流入スピードが速まることへ繋がった(一説には、船底にも損傷が発生し、そこからも浸水したとも)。
元々タイタニックは、「不沈船」と呼ばれていただけのことはあり、当時としては対策は十分取られていた方であり、4区画に浸水しても浮力を保てる設計が成されていたが、氷山を回避しようとして横腹を損傷して海水が浸水した区画は想定を上回る6区画へ達していた。
もし回避が早ければ避けられたのは勿論なのであるが、逆に回避が遅れていた場合でも、正面衝突で船首を潰しても浮力をある程度は保てていた可能性があるとの見方もあり、それが事実であれば本船は最悪のタイミングで回避行動をしてしまったといえる。
タイタニック設計では防水隔壁が最上部甲板までは達しておらず、浸水で区画を満たした海水は隔壁を乗り越えさらに隣区画へと流れ込むこととなった。
また、船体耐久性そのものが元々そこまで高くはなかったのではないかという説も出されている。
実は、タイタニックは出航前に船内で積載していた石炭に端を発した火災が発生しており、出航した時点でも完全に鎮火することが出来ていなかった。この火災の影響で船体に使われた鋼材の強度が大幅に落ちていたのではないかとする説が近年有力視されている。
加えて、姉妹艦であるオリンピック号と同時並行して建造されたために当初使用が予定されていた部品(特にネジ)が調達出来ずに別の部品で代用せざるを得ず、これも結果的にタイタニック号耐久性を低くしたといわれている。
加えて、大型船の黎明期にして、未だ経験が不足した時代の中、本船への絶対的な信頼と共に、当時は救命ボートは所詮救助船が来る前の気休め程度と軽視されていた傾向があった。さらにこの3年前に起きたリパブリック号沈没事件では船が沈没するまで39時間掛かり、大型船は沈没までに多大な時間を要し、それまでに乗客救助が完了するはずと楽観視されていたことがこの認識に拍車を掛けた。そのため救命ボートが全乗員乗客の頭数に対して半数程度しか備えられていなかった。
また、避難時の混乱(船員が救命ボートの扱い方についてほとんど訓練を受けていなかったことやボートの安全性への懸念※、3等客へ避難指示が十分に行き渡らずに結果的に船内へ取り残された人が多数出たこと)等から、大きく定員割れした状態で避難したボートもあり、予想以上のスピードで沈没したことも合わせて犠牲者数は大きく増えた。
※1873年アトランティック号や1904年クララム号沈没事故においてボートに乗った乗客の多くが亡くなったように、小型救命ボートは容易に転覆・沈没する恐れがあり、救命ボートでの脱出は危険と考えられていた。
また、ボートそのものやボートを下す装置(ダビット)の強度も疑問視されており、本事故では当初、余裕を持った状態でボートを下した後に海面に近い3等客入口から残りを移乗させることも検討されたが実行されなかった。
乗員乗客合わせて約2,200人のうち、1,513人(他に1,490人、1,517人、1,522 - 23人など様々な説があるが、概ね全乗員乗客の約3分の2に相当)が死亡した。
生存者のほとんどは沈没前にボートで脱出出来た人々であった。ボートに乗ることができず海に投げ出された乗客乗員は低体温症で死亡し、4名のみが救助のために引返して来たボートによって辛うじて海中から救い出された(うち1人は間もなく死亡)。
この沈没事故は当時世界最悪の海難事故として世界中に衝撃を与えた。
事故の影響
このように、タイタニック号直接の沈没原因は氷山への衝突であるが、それ以外にも様々なヒューマンエラーやトラブル、安全管理を軽視する風潮や法整備の遅れ等が事故被害拡大の要因となったことがうかがえる。
この事故を教訓として、船舶安全性確保のための規則を定めた国際条約(海上人命安全条約、通称:SOLAS条約)が締結された。この中には救命ボートに関する条項も含まれており、救命ボート・究明筏を合わせて必ず定員を上回るよう定められている。
また氷山の早期発見を目的としてソナー開発も始まり、後述にある第一次世界大戦のUボートの脅威に対して有益な対抗策となって行く。
事故を原因としてホワイト・スター・ライン社は経営が悪化。続く第1次世界大戦で客船が徴用された他、オリンピック級3番船としてタイタニック号沈没後に就航した「ブリタニック」も1度も客船として使用されることなく、病院船として徴用された上、最後はドイツ軍の機雷によって撃沈されてしまった。この時は十分な救命ボートの数があり、タイタニック号の3倍のスピードで沈没したにもかかわらず、犠牲者はスクリューへ巻き込まれた一部救命ボート乗務者数十名に留まり、タイタニック号沈没事故教訓が生かされることとなった。唯一残ったオリンピック号は輸送任務を続け、終戦間際には攻撃して来たUボートへ反撃し衝角攻撃によって撃沈するという快挙を打立てた。
戦後にオリンピック号は再度客船として、姉妹船達の分をも取り戻すかのように航海を続け、1935年にOld Reliableと親しまれたその艦歴を終えた。
しかし運営会社の方は、1926年にはホワイト・スター・ライン社はライバルでもあったイギリスのもう1つの客船会社であるキュナード・ライン社へ吸収合併された。これにより一時的に「キュナード・ホワイト・スター・ライン」となったが、第2次世界大戦後は社名が再度キュナード・ラインとなり、ホワイト・スターの名前は完全消滅した。
ちなみに現在、キュナードは世界でほとんど現存しない大陸間横断客船(オーシャン・ライナー)の機能を有した船舶(クイーンメリー2)を保有する希少な会社であり、定期航路を持つものとしては唯一である。
タイタニック号の現在
タイタニック号は船首側と船尾側の二つに分かれた状態で、事故から110年以上が経過した現在もニューファンドランド島の南南西690kmの水深約3700mの深海底に沈んでいる(ただし、船尾側は船体が破断してから海底に落下するまでの間に激しく損壊し、ほぼ原形を留めていないという)。調査によって、沈没前の位置からほとんど移動せず、船内内装や備品の中には、当時のままの状態を保っているものなども確認されている。また、甲板には搭乗者が履いていた靴も発見されており、大半は沈没時の混乱で脱ぎ捨てられたものと思われれるが、中には綺麗に揃えられたものも見付かっており、甲板で亡くなった人の遺体が深海生物による捕食や化学的な分解により失われた後もその場に残り続けたものではないかと考えられているという。
しかし、船体の大半が鉄で構成されていたことや、深海の中では比較的水深が高く、バクテリア活動が活発であったこと等が災いして、鉄バクテリアによる腐食・分解が進んでおり、後80年程でタイタニックの船体は自重により完全に崩壊してただの鉄屑と化すであろうと考えられている。また、タイタニックを分解している鉄バクテリアの中には新種も発見されている。
映画作品
ジェームズ・キャメロン監督・脚本による1997年のアメリカ映画。1912年に実際に起きたタイタニック号沈没事故を基に、貧しい青年と上流階級の娘の悲恋を描いている。レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレットのW主演。
詳細は「TITANIC 」を参照。
細野正文と宮沢賢治
当時、タイタニック号には一人だけ日本人が乗船していた。鉄道官僚の細野正文は研究員としてロシアのサンクトペテルブルクに留学し、その帰路でタイタニック号に二等船室乗客となっていた。沈没の時は辛くも救命ボートに乗れて生還し帰国を果たした。
沈没から十数年後の1924年頃から詩人の宮沢賢治は童話『銀河鉄道の夜』を執筆し、死後の1934年に発表された。
物語の中で銀河鉄道へ乗車する主人公・ジョバンニとカンパネルラは車中で幼い姉弟を連れた青年と出会う。彼は子供達の家庭教師であったが、乗っていた客船が氷山と衝突したことで沈没し、青年は子供達を守ろうとして気付けばここにいたという。
その客船モデルこそタイタニック号であったとされているが、作中では彼らが乗っていた船は太平洋を航行していたとされており、大西洋を航行していたタイタニックとはこの点が大きく異なる(賢治が太平洋と大西洋を間違えた可能性もあるが、詳細は不明)。
それから半世紀経った1985年にますむらひろしの漫画版を元とした杉井ギサブロー監督のアニメ映画が公開。YMO所属の音楽家・細野晴臣が本作の音楽担当をしたのであるが、この晴臣氏こそ先述の正文氏の孫に当たる。本人曰く偶然ではなく運命的なものを感じたという。
2023年の事故(タイタン潜水艇沈没事故)
2023年6月、沈没したタイタニック号を見るためのツアーが行われ、観光客と操縦士、運営会社「オーシャンゲート」CEOの5人を乗せた潜水艇タイタンが行方不明となる事故が発生。懸命に捜索が行われたが、数日後にタイタンの破片が確認され、5人の生存は絶望的なものとなった。
詳しい分析を待つ状態であるが、残骸の状態等から、船体が水圧に耐え切れずに爆縮(周囲からの圧力で押し潰される破壊現象)したと見られ、乗員は苦しむ間もなく即死したものと見られる。
なお、この観光ツアーを運営していたオーシャンゲート社は、以前から危機管理や運営体制が極めて杜撰なものであったことが指摘されており、潜水前のプロモーションの時点で装備が粗末な点をタイタニックの映画を撮影したジェームス・キャメロン氏などからも指摘されていた(下記の動画)ようだが、そうした懸念は無視されてしまい、今回の悲劇へと繋がってしまった。
キャメロン氏は、「安全性が軽視された結果引き起こされたタイタニックの事故とまったく同じ失敗が現代社会で繰り返されてしまった」「安全性についてもっと警鐘を鳴らしておくべきだった」と悔しさを滲ませている。
なお、今回犠牲になったオーシャンゲート社CEOの妻は、タイタニック号事故で犠牲となったストラウス夫妻の子孫(曽孫)とのことである。
日本では、何の因果か、沈没事故発生から間もない6月24日及びその翌週7月1日に、映画『TITANIC』デジタルリマスター版をフジテレビ土曜プレミアムの枠で放送することが決定していた。
タイミングがタイミングなだけに放送の中止を求める声も多かったが、フジテレビ側はホームページ上で、「タイタニック号見学ツアー中の潜水艇で乗客乗員が死亡する事故が発生しました。犠牲となられた方々に心より哀悼の意を表します。」という追悼のメッセージを送ると共に、予定通り放送することを発表。前編の放送時には、冒頭で「本日の土曜プレミアム『タイタニック』前編では潜水艇探査機のシーンが含まれています。ご懸念のある方は、ご視聴をお控え下さい。」という1文が表示される措置が取られた。
- 悲劇的な最後を遂げた本船は伝説的な存在となって語り継がれ、乗って居た者の中ですらタイタニック号は姉妹船で当然ほぼ同じ大きさであるオリンピック号と似てはいたが遥かに巨大だったと述解する程だった。
- 4本の巨大な煙突は本船をバランスが取れた優美なものに見せることに献上しているが、本当の煙突は3本のみで、4番煙突は本船を外見を美しく見せるために造られたダミーであった。ちなみに出港前に何者かが悪戯で黒く塗った顔を4番煙突から出して乗客を眺めていたといわれ、後の海難事故と結び付けられて不吉の前兆であったともされている。
- タイタニック号生存者として最後まで存命していたのは、2009年に97歳で死去したミルヴィナ・ディーンである。当時は生後9週間の赤ん坊で7歳の時に母から聞かされるまでタイタニック号に乗船していたことすら知らなかった。
- クルーズ会社ブルー・スター・ラインフラッグシップ客船として、タイタニック号沈没から104年後に当たる2016年に、タイタニック2号の処女航海が予定されていた。タイタニック号と同様の外観をしているが、機関設備・救命ボート等は最新鋭の装備とされている。しかし業界団体の調査で豪華客船の建造能力がないことが分かり、タイタニック2号建造計画は早くも座礁してしまった。2022年までの航海を目指すと修正していたがそれも果たされておらず、そもそもコロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻等の世界情勢変化もあり、修正後の計画も上手く行くかどうかは未知数である。2024年7月現在では、2027年6月に処女航海予定とされている。
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