概要
1947年7月9日生まれ、東京都港区出身。1969年デビュー。
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のリーダーにしてベース担当として知られる。
もともとはフォーク畑の出身だが、1970年代前半にアメリカンロックの影響を受けて松本隆・大瀧詠一・鈴木茂とともに「はっぴいえんど」を結成。当時はほとんど無かった日本語のロックを本格的にはじめる。
そして1970年代後半にアメリカでディスコが流行りだすと、シンセサイザーを使った電子音楽を作ってアメリカに売り込もうと考え、坂本龍一・高橋幸宏・松武秀樹の3人とともにYMOを結成する。YMOでは電子音楽に民族音楽の要素を取り入れつつ、最終的には無国籍的な音楽づくりを志向した。
環境音楽にも造詣が深い。
実は、ベースだけでなくギター、鍵盤楽器、三味線、木琴・鉄琴、ドラムスなどいろいろなものを演奏できる。これを生かし、再結成以前のYMOではシンセサイザーを用いた鍵盤ベースを使用することが多かった。それだけでなく、松武の専門分野であるサウンドプログラミングの技術も持っている。
2023年にYMOメンバー3人のうち坂本と高橋が相次いで死去、細野が最後の存命メンバーとなった。
ベーシストの細野悠太は孫。
彼にまつわるエピソード
- 祖父の細野正文は、タイタニック号から生還した唯一の日本人である。後に晴臣がタイタニック沈没シーンの描かれているアニメ映画『銀河鉄道の夜』(杉井ギザブロー監督作品)の音楽を担当する事になった際には「偶然ではなく運命的なものと捉えた」と述べている。
- ぼーっとした感じの顔立ちから、よく高橋に「実は起きてるんですよ、寝てるわけじゃないですからね細野さん」とよく茶化される。
- かつて漫画家を志していたことがあったため、かなり絵が上手い。彼がバンド仲間に曲のコンセプトをするためのメモには数々の絵が描かれていたほか、YMOの曲「TAISO」のPVには彼が描いたアニメが使用された。ちなみに「三丁目の夕日」の作者・西岸良平とは高校~大学にかけて同級生で、細野が漫画家を諦めた理由は彼の才能には到底勝てないと悟ったためである。
- YMOでは、ヒットチャートにあまり関心を示さない坂本や高橋と異なり一人だけオリコンチャートやビルボードを楽しそうに見ていた。しかし、「とても当たり前の曲としか思えない」と評していた坂本作の「BEHIND THE MASK」が、いざ売りだしてみるとアメリカで大ヒットして、「この曲の良さが売れるまで理解できなかった。僕はプロデューサー失格だなと思った」とのこと。
- 1983年に一世を風靡したナムコのゼビウスが大好きで、それがきっかけでナムコのCMに出演したり、ゼビウスのBGMや効果音をサンプリングして曲を作ったりしていた。
- 「チェリー」という入手困難なタバコを愛飲する。
- 一種の癒し系ボイスの持ち主であるため、2010年以降、NHKでナレーターとしての活動が急増した。実は本人は自分の声を気に入っておらず、YMO時代は自らのボーカル曲をあまり作らなかったほか、数少ない細野ボーカル曲も声に何らかの加工をすることが多かった。
- 親交のあるアーティストは枚挙にいとまがないが、自らがプロデュースした松任谷由実、戸川純とは長年の付き合い。事務所の縁で平沢進やサエキけんぞうとも付き合いがある模様。
- 坂本龍一が1979年ごろに行なっていた、同じ楽器のプレイヤー2人を戦わせるように演奏させる「カクトウギセッション」に呼ばれた際、気が進まなかった細野は渋々楽屋に現れたが、結局演奏するのが嫌になって楽屋の裏から柵をよじ登って逃げた(表向きは「急病」ということになっている)。
- 再結成前のYMO活動中期(1981年頃)は坂本ととても不仲になった時期があり、顔も合わせないこともあった。無論現在は完全に和解しているが、坂本が冗談の通じにくい性格であることもあって、「TAISO」で見せたユーモアのある動きなどはその後高橋と二人だけで行うことが多くなった。
- 若いころはコントユニット・スネークマンショーのメンバーで声優の伊武雅刀と顔がよく似ていた。スネークマンショーはYMOのアルバムにネタを提供するなど親密な関係だったこともあってか、後に細野そっくりの髪型にして同じ服を着た伊武と細野本人が二人で「実は兄弟でした」というネタを披露したことがあった。
- 水原希子が細野の大ファンであり、妹の水原佑果と共にロンドンツアーについていった際に声をかけたことがきっかけで水原姉妹との共演も増えた。
- 自身の名前が主人公の名前の元ネタになった4コマ漫画「はるみねーしょん」を雑誌で紹介された際、「面白いね。今度買おう」とコメントした。
バンド・ユニット遍歴
名称 | 活動年 | 細野以外のメンバー |
---|---|---|
エイプリル・フール | 1969年 | 小坂忠、菊池英二、柳田博義、松本零 |
はっぴいえんど | 1969年~1973年 | 大瀧詠一、松本隆、鈴木茂 |
ティン・パン・アレー ※1 | 1973年~1977年頃 | 鈴木茂、松任谷正隆、佐藤博、林立夫 |
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO) | 1978年~1983年 | 坂本龍一、高橋幸宏 |
フレンズ・オブ・アース | 1984年~1987年 | 野中英紀、西村麻聡 |
HIS | 1991年 | 忌野清志郎、坂本冬美 |
YMO(再生) | 1993年 | 坂本龍一、高橋幸宏 |
LOVE,PEACE&TRANCE | 1994年~1995年 | 遊佐未森、甲田益也子、小川美潮 |
Swing Slow | 1996年 | コシミハル |
HAT | 1996年~1998年 | アトム・ハート、テツ・イノウエ |
ハリーとマック | 1999年 | 久保田真琴 |
Tin Pan ※2 | 2000年~ | 鈴木茂、林立夫、松任谷正隆 |
スケッチ・ショウ | 2002年~ | 高橋幸宏 |
ヒューマン・オーディオ・スポンジ ※3 | 2003年~ | 高橋幸宏、坂本龍一 |
ハリー細野&ザ・ワールド・シャイネス | 2007年 | 徳武弘文、高田漣、伊賀航、コシミハル、浜口茂外也 |
※1:キャラメル・ママから改名。
※2:ティン・パン・アレーの復活名義。
※3:略称は「HAS」で、別名義に「HASYMO」。スケッチ・ショウに坂本龍一が合流した形。
出演
Daisy Holiday!(interFM897、毎週日曜日深夜1:00〜1:30)