1967年3月30日生、和歌山県出身。
学生時代から演歌歌手になる事を夢見ており、当時は石川さゆりに憧れていた。高校時代には当時の彼氏の影響でサザンオールスターズにハマり、ボップスにも関心を示すようになる。
NHKの『勝ち抜き歌謡天国』(和歌山大会)で名人となり、審査員だった猪俣公章の内弟子となり
1987年に「あばれ太鼓」でデビュー。
以降ヒット曲を連発する。
2002年に病気で一年休業したが二葉百合子の元でレッスンを受けた後に復活。
「夜桜お七」のようなロックテイストを取り入れた曲や、
「また君に恋してる」「ずっとあなたが好きでした」などのようなフォークのカバー曲もこなす等幅の広さが特徴。
また、忌野清志郎・細野晴臣と共にユニット「HIS」を結成しアルバム「日本の人」がヒットした。
2011年5月22日には和歌山県田辺市の新庄総合公園で行われた「第62回全国植樹祭」の記念式典で当時の天皇・皇后両陛下の前で国歌「君が代」を独唱。
5日前にゲスト出演した『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」ではこれに対する緊張の胸の内を語り、相応しい歌い方を「カラオケでは君が代ぐらいしか歌えない」と度々語るタモリに相談した。
2020年秋にはサザンオールスターズの桑田佳祐から「ブッダのように私は死んだ」を提供される。
この曲を引っさげて『明石家紅白!』『第71回NHK紅白歌合戦』といった桑田と交流がある著名人が司会を務める番組に立て続けに出演。桑田本人も手紙やVTRでゲスト出演し笑いをとった。