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サザンオールスターズ

さざんおーるすたーず

日本の音楽バンド。通称「サザン」「SAS」。 デビュー以来40年以上にわたり日本の歌謡曲、ロック、ポップスなど大衆音楽を牽引するバンド。
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メンバー編集

桑田佳祐・・・メインボーカル、ギター、ハーモニカ

サザンオールスターズのリーダーにして日本を代表するシンガー。

茅ケ崎に生まれ、茅ケ崎の海をこよなく愛している。

「日本の国民のみなさんは素敵で優しい人たちだと思う。この国に生まれて良かったなと思います」 「日本が、そして世界が平和でありますように」といった名言でも分かるように日本への愛を奏で世界の平和を願う詩人。あとちょっとエッチ、否、スケベ


詳しくは記事を参照。

明日は今日より素晴らしい。

桑田佳祐


原由子:キーボード、コーラス、ボーカル

サザンのキーボードでありコーラスでありボーカルであり桑田さんの妻。

その歌声で我々を癒しの世界に導いてくれる。サザンのアルバム一枚につき一曲、彼女がボーカルを務める曲が入るのはほぼ恒例となっている。


松田弘:ドラム、コーラス、ボーカル

日本でも指折りのドラムの名手。彼の刻むリズムから曲を作っていくことも珍しくない。

キーの高い声が特徴で、サザンの曲の中でも数曲彼がボーカルを担当している曲がある(「松田の子守歌」「夏の日のドラマ」他多数)。


関口和之:ベース、コーラス、ボーカル

おひげと帽子がキュートなサザンのベース。ベースの腕前には桑田さんも感心してしまう。

ウクレレ界でもかなりの名手として知られており、ソロでの活動も活発。TVゲーム桃太郎電鉄の音楽も手掛けている。

「ムクが泣く」「最後の日射病」ほかでボーカル担当。


野沢秀行:パーカッション、コーラス、ボーカル

通称毛ガニ。サザンのリズムチーム。俳優としても活動している。

桑田さん曰く「ホラ吹き」らしい。ぞのことは熱心なサザンファンなら誰もが知っている。島田洋七に並ぶホラを、メンバーもファンも楽しみに待っている。

なお、「Five Rock Show」でボーカルをやっているが、どれが毛ガニさんの声だか未だに判明していない


元メンバー編集

大森隆志:リードギター、コーラス、ボーカル

「自分よりギターが下手だから」という理由で桑田にスカウトされた。サザンでの愛称は「ター坊」。

実際には名うてのギタリストであり、毛ガニと並び、ライブでの盛り上げを担当。また「猫」「Still I Love You」などでボーカルを担当。

アマチュア時代にヒロシさんと毛ガニさんをスカウトしたり、ビクターエンタテインメントの高垣健氏と組むきっかけとなったコンテスト「イーストウエスト」に応募したり、その当時ではただ一人事務所との契約を真剣に考えて情報収集していたりなど、サザンがプロデビューする際の功労者のひとり。

2001年8月7日に脱退し所属していたアミューズとビクターからも離れ独立。

2006年に覚醒剤大麻の所持が発覚し逮捕・起訴される。桑田は「当たり前ですけど社会とかファンの皆様とかずっと見守って応援してくれた皆様に今できることは罪を償うことでしょ」「それからですよ、私が彼を半殺しにするには。ギターで殴ります」「いいスタッフを自分で見つけろ、叱ってくれるスタッフとか傍に置きなさい」「人間関係作るのサボるな」と叱責した。

今はソロ歌手、またライターとして活動。

2019年に出版された『サザンオールスターズ公式データブック』(リットーミュージック)には6人時代の写真がたくさん掲載されている。


どこまでも元気で、優しくて、楽しい「歌謡ロック」編集

サザンの楽曲は、夏をイメージさせるロックやバラードから、愛や男女を歌うもの、日本への愛や国民へのエールを歌うもの、ヒップホップ調の曲やテクノ系、エロス、和風、反戦歌、社会批判、世相風刺、サスペンスに至るまで非常に幅広いジャンルの曲を世に送り出し続けている。

「勝手にシンドバッド」や「気分しだいで責めないで」などの方向性の頃はコミックバンドとして認識されたり、一発屋で終わってしまう可能性を懸念する風潮があったが、「いとしのエリー」のヒット以降はその振り幅の広さが驚きとともに受け入れられ高く評価されるようになり、一躍人気バンドの仲間入りを果たした。この頃の風潮やサザンに対する印象の変化についてはサザンファンを公言するさまぁ~ず太田光爆笑問題)、北村晴男らが番組や雑誌のインタビューなどで証言している。

ビートルズ、ビーチボーイズ、ボブ・ディランエリック・クラプトンらの洋楽、加山雄三美空ひばりらなど日本の歌謡曲文化、植木等ザ・ドリフターズのようなコミックバンド的軽妙さなどが渾然一体となった音楽世界をつくりあげ、時折見せる挑戦的で斬新、前衛的な姿勢は、時に売り上げの不振を生み出す要因になったりもしたが、「TSUNAMI」の大ヒット以降はそのキャリアや影響力が再評価され「国民的バンド」とも呼ばれるなど、日本の大衆音楽史において不動の地位を獲得しつつある。

桑田はベスト・アルバム『海のYeah!!』『海のOh,_Yeah!!』を聴き比べた際に、前者を「英語と日本語を融合させようとあれこれ格闘している跡が見てとれます」、後者を「やっぱり日本語を大切にして歌いたいという気持ちが、全面に出ていますね」と自己分析している。


30周年

なんてったって最強はSAS


評価編集

サザンの幅広い音楽性やエンターテインメント性は藤井フミヤ浜崎あゆみaiko平井堅を始めとして挙げればキリがない程幅広い国内のミュージシャンからリスペクトされており、草野マサムネスピッツ)をもってして「今現在日本のポピュラーソングを作ってる人間で直接的でも間接的でも(サザン及び桑田の)影響受けてない人ってほとんどいないと思うんですよ」と言われる程の影響力を誇っている。また、レイ・チャールズKISSなどの海外のアーティストからも高い評価を得ている。


サザンと同じく夏、海、湘南をテーマとした曲を多くヒットさせているTUBEとは、何かと比べられる事が多く、桑田はライブのMCなどで「どうも、偽TUBEです」と挨拶するなど、半ば自虐的にネタにすることがある。双方が才能を認める発言をしたり、桑田がTUBEの楽曲「シーズン・イン・ザ・サン」をカバーしたこともある。TUBEはデビュー前に参加したオーディションに、サザンの曲で出場したことがあり、TUBEのボーカルの前田亘輝は「サザンオールスターズがいなかったら、バンドをやっていなかった」と2024年8月12日放送の『明石家紅白!』(NHK総合テレビ)で語っている。


長きに渡り活躍しているため10代から70代まで幅広い年齢層の老若男女にファンが存在している。メンバー全員はファンレターにすべて目を通しており、返信ハガキが同封されたものは時間が許す限り返信を書いている事がチーフマネージャーから語られている。日本だけに留まらず英語圏中華圏韓国、フランス語圏を始めとした海外のファンも散見されており、2014年にiTunesでの世界111カ国配信が開始されたのはこうした海外のファンからのリクエストがあったことも影響している。


楽曲に桑田の出身地である神奈川県茅ヶ崎市横浜市及び鎌倉市などの周辺都市が取り上げられることも多く、市の関係者をはじめとして知名度や経済への貢献を評価する声も多い。この功績が讃えられ2013年に桑田が茅ヶ崎市民栄誉賞を受賞。原・松田・関口・野沢にも感謝状が贈呈された。


2014年に桑田が紫綬褒章を受章したり、2019年秋に今上天皇がサザンファンである事が判明するなど、皇室関係者からの評価も高い。


桑田と親交がある世良公則は、自身と異なりバンド活動を継続しているサザンに対して尊敬の念を持っていることを言及しており「サザンには老衰になるまでやってほしい」とも語っている。


南こうせつは「いとしのエリー」がヒットした頃から「この人たちはいずれすごいグループになるかもしれない」とその後の活躍を予見していた。2019年に『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)にゲスト出演した際にも「もうほんとにときめいてました。自分のラジオでたくさんかけてましたよ。チューリップユーミン、サザン、はっぴいえんど…。私は九州の田舎でラジオから音楽を知っていったので。今、若者が求めている音楽はたくさんかけていました。求められているってことは絶対“素敵”ってことなんですよ。」と語っている。2010年に同番組に出演したさだまさしも「サザンオールスターズも天才だね」と発言した。


代表的な楽曲と主な活動編集

アマチュア時代 : 1974年に青山学院大学に入学した桑田は「温泉あんまももひきバンド」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」などのバンド名を名乗り断続的に音楽活動を行う。1976年にバンド名が「サザンオールスターズ」に定着。名付け親は桑田の友人の宮治淳一であり、ニール・ヤングの「サザン・マン」とファニア・オールスターズを組み合わせたものだった。1977年にサザンとして『EastWest '77』に出場し、桑田はベストヴォーカル賞を受賞。この際にビクターのディレクターの高垣健にスカウトされた。アマチュア時代の桑田以外のメンバーに関しては入れ替わりが激しく、固定されたのは『EastWest '77』の決勝戦よりも後の事である。また、野沢はデビュー決定後に加入している。


70年代 : 1978年「勝手にシンドバッド」にてデビュー。上述した通り当初はコミックバンド然とした取り上げられ方であったが、「いとしのエリー」の発表とヒットにより評価が変わる。他、「思い過ごしも恋のうち」、「C調言葉に御用心」などリリース。79年の年末にNHK紅白歌合戦へ「いとしのエリー」で初出演。


80年代 : 「チャコの海岸物語」、「ミス・ブランニュー・デイ」などリリース。82年、83年の年末にNHK紅白歌合戦へ出演するも、この後は長期にわたり出演せず、年末は年越しライブに注力することになる。83年、プライベートレーベル「タイシタレーベル」設立。デビュー以来ほぼ年に1枚のペースで精力的にアルバムをリリース、ライブを重ねていたが、85年にアルバム「KAMAKURA」をリリースした後の86年、原の産休に合わせて活動を休止。各メンバーがソロ活動を行った。88年、デビュー10周年にあわせ「みんなのうた」を発表し、ライブ「1988大復活祭」を開催し活動再開。89年「さよならベイビー」が初のオリコンチャート1位獲得。


90年代 : 「エロティカ・セブン」、「涙のキッス」、「あなただけを_〜Summer_Heartbreak〜」、「愛の言霊〜SpiritualMessage〜」が4作品ミリオンセラー。

他に「真夏の果実」、「希望の轍」、「シュラバ★ラ★バンバ」、「マンピーのG★SPOT」、「太陽は罪な奴」をリリース。1998年、デビュー20周年。ベストアルバム「海のYeah!!」発売。大規模野外ライブ「モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~」開催。同年10月、アルバム「さくら」を、99年に怪曲「イエローマン〜星の王子様〜」をリリースし、初のドームツアー「Se O no Luja na Quites 〜素敵な春の逢瀬〜」を敢行。


2000年代 : 「TSUNAMI」が歴代CDシングル売り上げ一位を記録、「HOTELPACIFIC」、「涙の海で抱かれたい_〜SEA_OF_LOVE〜」、「I_AM_YOUR_SINGER」が50万枚以上を売り上げる結果(2008年オリコン3位)となった。2000年、桑田の故郷である神奈川県茅ヶ崎市にて初の野外ライブ開催。市民の活動と協力によって実現した「茅ヶ崎ライブ」として伝説となる。この頃より「国民的バンド」と呼ばれはじめる。一方でこの頃よりバンド活動の一時休止、ソロ活動、そしてバンド再開を繰り返す様になる。05年、7年ぶりのアルバム「キラーストリート」リリース。08年デビュー30周年を節目として無期限の活動休止を発表。メディアで「解散か」と騒がれるも、解散に関しては否定。記念ライブ「真夏の大感謝祭」を開催し活動休止。


2010年代 : 休止期間中の11年、同年起こった東日本大震災の被災者支援を目的とした企画盤「Let's_try_again」にメンバー全員参加。デビュー35周年である13年6月25日に活動再開を発表。8月7日に新曲「ピースとハイライト」の発売と記念ライブツアー「灼熱のマンピー!!G★スポット解禁!!」開催を発表。新聞の号外、NHKを含む多くのメディアで報道されるなど、大きく取り上げられることとなった。14年、年越しライブ「ひつじだよ! 全員集合!」を開催し、ライブ中継の形で31年ぶりにNHK紅白歌合戦に出演。15年には10年ぶりとなるアルバム「葡萄」リリース。18年、デビュー40周年をむかえ企画アルバム「海のOh,_Yeah!!」リリース。同年末、NHK紅白歌合戦にNHKホールへ出演し、特別企画大トリにて「希望の轍」「勝手にシンドバッド」を演奏。ホールと茶の間を狂乱の渦に巻き込み平成最後の年越しとなった。19年、40周年記念ライブツアー「“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!」開催。


活動は続く。

 


サザンオールスターズのオリジナルアルバム編集

1.熱い胸さわぎ(1978年)

2.10ナンバーズ・からっと(1979年)

3.タイニイ・バブルス(1980年)

4.ステレオ太陽族(1981年)

5.NUDE MAN(1982年)

6.綺麗(1983年)

7.人気者で行こう(1984年)

8.KAMAKURA(1985年)

9.Southern All Stars(1990年)

10.稲村ジェーン(1990年)

11.世に万葉の花が咲くなり(1992年)

12.Young Love(1996年)

13.さくら(1998年)

14.キラーストリート(2005年)

15.葡萄(2015年)


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茅ヶ崎 湘南 江ノ島 桑田佳祐

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