概要
サザンオールスターズのデビューシングル。1978年6月25日発売。
桑田が「目立ちたがり屋の芸人です!!」と叫んで『ザ・ベストテン』に出たことは今なお語り草。歌謡曲で溢れかえっていた当時の邦楽業界ではこの曲のようなテンポが速い曲はかなり珍しかった。また今では当たり前となった音楽番組で歌詞のテロップを出すきっかけとなったと言われている。これは当時の視聴者には桑田の歌い方が聞き取りにくく、歌詞が分からない為の苦肉の策だったとされる。
デビュー曲ながらオリコン最高位3位まで上昇しいきなり50万枚の大ヒットとなった。
しかしあまりにも売れすぎたためコミックバンドと誤認され、皮肉にもバンドが一発屋で消えてしまいかねない危機に瀕する元凶にもなってしまった。
当時ビクター側からの同じ路線の要求もあり桑田がノイローゼにかかってしまったのはあまりにも有名だが、『いとしのエリー』のヒットで無事迷走からは脱却した。
ちなみに同じアミューズ所属の後輩も似たような事態に陥っている。
2003年、サザンデビュー25周年で再発売され、25年越しのオリコン1位を達成。
なお、曲名は沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」を合成させたもの。ちなみに、ザ・ドリフターズの志村けんがやはり同名のギャグをやっており、桑田本人もそれからの借用を認めている。『8時だョ!全員集合』でドリフと共演した際にはその事を指摘されタジタジになっていた。2020年に志村が新型コロナウイルス性肺炎により死去した際には『やさしい夜遊び』で改めてこの曲に関するエピソードを語り、「志村けんさんがいなければ我々も表舞台に出てきていないと思います」と感謝の言葉を述べていた。
関連動画
逸話
サザンのデビュー曲だが、ファーストアルバム『熱い胸騒ぎ』に収録された曲はこの曲のB面(現在で言うC/W)である『あたって砕けろ』を除き、サザンのメジャーデビュー前に作られた曲である。この事実から明石家さんまが「『いとしのエリー』が『勝手にシンドバッド』より先に作られていた」と勘違いしてしまい(『いとしのエリー』は2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』収録)、噂として広めてしまった。
さんまの場合、悪意があるのかないのかすらわからない。あの男は嘘をつかないと死ぬし、本人も嘘かどうかわかっていない。もっとも、その点では桑田も割と同類だったりするのだが。