概要
本名:南高節(1949年2月13日~)
日本の歌手。フォーク・グループ「かぐや姫(フォークグループ)」ではリーダーを務めた。
略歴
誕生より
1949年、大分県大分郡竹中村(現・大分市竹中)に誕生。父は曹洞宗勝光寺の住職であった。
1967年、大分県立大分舞鶴高校(大分市)を卒業後、明治学院大学に入学したが、結局ほとんど通わないまま中退した。実は大学進学は、東京に出るための方便でしかなかったらしい。
第一期「かぐや姫」
1970年4月1日、シングル「最後の世界」(日本クラウン)でソロ歌手としてデビュー。その後、大島三平、森進一郎と第一期「かぐや姫(南高節とかぐや姫)」を結成し、10月25日、シングル「酔いどれかぐや姫」(日本クラウン)でデビュー。読売テレビホスト日本テレビ系列にて放送されたバラエティー番組「桂三枝のさかさまショー」のエンディングテーマとして使用された。
1971年6月25日、ファーストアルバム「レッツ・ゴー! かぐや姫」(日本クラウン)を発売するも、第一期「かぐや姫」は解散。
第二期「かぐや姫」
第一期解散後に山田パンダ、伊勢正三と第二期「かぐや姫(南こうせつとかぐや姫)」を結成し、1971年9月25日、シングル「青春」(日本クラウン)で再デビュー。
1972年3月、須藤リカ/南こうせつとかぐや姫名義でテレビアニメ「海のトリトン」(朝日放送ホストTBS系列局ほか)のテーマ曲を発売。件の作品のエンディングで顔出しもしている。
1973年9月、南こうせつとかぐや姫はシングル「神田川」(日本クラウン)を発売。年をまたぐ大ヒットとなる。ただ第25回NHK紅白歌合戦のオファーが来たにもかかわらず、歌詞の「クレパス」が商品名なので「クレヨン」に代えて下さいと言われて激怒、結果出場を断念した。
1974年、グループ名をかぐや姫と改名。シングル「赤ちょうちん」、「妹」(日本クラウン)がヒットするが、自分達の意に反する形のリリースで、アーティストとして蔑ろにされていると感じた。
1975年4月12日、「かぐや姫」は東京・神田共立講堂で解散コンサートを行い解散。ただしその後何度か再結成している。
ソロ活動
1976年2月、シングル「今日は雨」(日本クラウン)を発売。以降、ソロシンガーおよび作曲家として活動。同年3月には単独の日本人歌手としては初めて日本武道館でコンサートを行った。しかも二ヶ月後には追加公演という格好で再び武道館コンサートを実現させた。
1978年、シングル「夢一夜」(日本クラウン)を発売。資生堂のCMに使われヒットした。
1982年、大分県杵築市に転居。現在も在住。ちなみに転居の理由は「河口湖畔は冬の寒さが厳しくてかなわない」とのことから。
1984年、シングル「ひとときの別れ」(キャニオンレコード)を発売。南が出演したドラマ「東中学3年5組」(TBS系列局ほか)の主題歌に使われた。
1992年、第43回NHK紅白歌合戦に出場。「神田川」を披露する。この頃になってようやく商品名のことでうるさく言われなくなったことで出演出来るようになった。以後合計5回、そしてかぐや姫のメンバー(リーダー)として1回出場している。
2013年、島倉千代子の生前最後のシングル「からたちの小径」(日本コロムビア)の作曲を手掛ける(2014年にセルフカバー)。
余談
- かつては飛行機嫌いで移動は極力鉄道を利用していた。飛行機で移動したところ、ストレスで手にカビが生える奇病に罹ったことがある。
- バラエティー番組「鶴瓶の家族に乾杯」のロケが杵築市で行われた際、地元民の一人として出演した。
- 長渕剛曰く、「新幹線のグリーン車に乗っていた時、酔っ払ってデカい態度を取っていたヤッチャンにブチ切れ、その胸ぐらをつかんで、『こういう人を許していいんでしょうか?』とほかの客にアピールしてしまった」との事。さらに一説によれば、吉田拓郎と喧嘩しても勝てる程の腕っ節の持ち主らしい。
- 本名の「南高節」だと「なんこうぶし」と読まれてしまうので、ひらがなの芸名に変えた。
- 土浦駅(土浦市のイメージソングは南こうせつが作曲した「風の贈り物」。常磐線土浦市内の3駅、荒川沖駅(2番線)、土浦駅(2・3番線)、神立駅(2・3番線)(上り方面)の発車メロディーで使われている)