島倉千代子
しまくらちよこ
1938年3月30日生、東京都出身。愛称は「お千代さん」。
八人兄弟(※姉二人が夭折しており、実質的には六人兄弟)の四女として生まれる。弟が二人おり、それぞれ俳優として数年間活動していた。すぐ下の弟の征夫は立ち上げ当初の島倉事務所の代表を務めていたが、後に関係が悪化し絶縁している。
歌が上手だった姉の影響で歌手を志し、9歳の頃より地元・北品川の商店街の面々と結成した「若旦那楽団」で歌とアコーディオンを担当するようになる。12歳でテイチクの童謡レコード『お山のお猿』の歌唱を担当する形でデビュー。この時の名義は「戸倉千代子」だが、これは誤植である。
高校入学を機にコンクールなどに積極的に参加するようになる。1954年にコロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、翌1955年、「島倉千代子」名義で正式にデビュー。
その後は多数のヒット曲を飛ばす。
私生活では慢性肝炎や乳ガンといった病気に悩まされ、結婚に失敗したり、何度か騙されて億単位の多額の借金を負ったりと波瀾万丈の人生であったが、それにも負けず第一線で活躍し続けた。
1987年に発売した代表曲「人生いろいろ」は、文字通り「いろいろ」なことがあった本人の人生もあって、思い入れのある楽曲だと語っている。
1957年から『紅白歌合戦』30回連続出場を成し遂げ、1986年で出場勇退を宣言する。しかし、視聴者からのリクエストで1988年に復帰し、最終的には通算35回の出場となった。
山田邦子やコロッケなどがものまねを披露していたが、自身のものまねを好意的に受け止めており、コロッケとはプライベートでメールのやり取りなどもしていた。
2013年11月8日に肝臓ガンで逝去。享年75歳。
歌への情熱は最期まで熱く、病気療養中の身ながら南こうせつ作曲により新曲の準備を進めており、死の3日前に自宅で南の立ち会いのもと最期のレコーディングを行っていた。
- この世の花(デビュー曲)
- 東京だョおっ母さん
- 武蔵野エレジー
- からたち日記
- 愛のさざなみ
- サーシャわが愛(「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」挿入歌)
- 夢飾り
- 人生いろいろ