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島田洋七

しまだようしち

「B&B」で漫才ブームを牽引し、ビートたけしをして「漫才では敵わない」と評された芸人。ベストセラー『佐賀のがばいばあちゃん』や、無類のホラ吹きでも有名。もみじまんじゅう!!いや、これはホンマやて!

解説編集

1950年2月10日生まれ、広島県出身、佐賀県育ち、本名:徳永昭広(とくなが あきひろ)

日本のテレビタレント漫才師作家


2歳の時原爆症で父を亡くす、8歳から15歳まで佐賀県に住む祖母もとで過ごし、それを綴った「佐賀のがばいばあちゃん」がベストセラーとなる(ちなみに、洋七の語るばあちゃんの話があまりにも面白いので、これを本にしろと言ったのはビートたけしである。)

その後、広島県の広陵高校に進学。

島田洋八とともにB&Bを結成しもみじまんじゅうのネタ(メイン画像はこのネタ)で一世を風靡し、漫才ブームを牽引することとなる。


かつてのレギュラー&準レギュラー番組に『笑ってる場合ですよ!』『風雲たけし城(「まわってビーチボーイズ&ギャルズ」の島娘や、「おしおき洞窟」鬼婆など)』『北野ファンクラブ』などがある。

現在は佐賀県在住である。


ビートたけしとは漫才ブームのときに知り合い、それ以降生涯にわたる友情を結んでいる。

『がばいばあちゃんスペシャル 俺の彼』(徳間書店)はたけしとの親交を綴った著作で、横山やすしが知り合いの店へ連れていくという誘いに乗った際にふたりが出会うことになった。

たけし曰く「漫才では全盛期のB&Bに敵わない」「洋七から漫才を取ったら、変態、ウソツキ、詐欺師などしか残らない。でもギセー者はみんな笑って許してやる男です」と彼の芸人としての才能を評している。


また、ホラ吹きとして有名で、『ビートたけしのオールナイトニッポン』や『北野ファンクラブ』などで、たけしがしょっちゅうネタにしている。


代表的なものに、

母親を京都に連れていって、コイのエサ100円という看板を見た母親が、池に100円玉を投げ込んでいた」→たけし「銭形平次じゃねぇんだからそんなことあるわけねぇだろ!」

「観光客の声を聞かせてください」という投書箱を見た母親が、その穴に「あああああ」と言い続けていた。その後に来たおばさんたちも列をなして「あああああ」と言い続けていた」→たけし「そんなバカな婆ぁどこにいるんだ!」

カジキマグロを釣りに行って、(たけし「この時点でウソだろ」)ガイドがホエール!というたびに「吼える」と勘違いし、アオーン!と吠えてしまった

母親を海外旅行に連れていく際、Sightseeingを「斎藤寝具店」と覚えさせたところ、空港の税関で「山田布団店」と言ってしまった」→たけし「(洋七の首を軽く掴みつつ)お前はウソのチーズケーキみたいなやつだな!」

(ちなみに、「たけしの斎藤寝具店」という、外国人の出身地を当てるクイズ番組があり、そのまんま東などレギュラー陣の出身県を海外出身者が当てる企画が「山田布団店」だった)

沖縄では、みんなトビウオを頭に突き刺して歩いている


などがある。

実際に彼の話を聞く際は、まず疑おう。



『がばいばあちゃん』シリーズのヒットに対してたけしは、「ちきしょう、洋七はばあちゃんというすごい武器を持っていやがった」「次はがばいじいちゃん、がばいとうちゃん、がばいポチとかで売り出す気だ」など、彼なりの愛情表現をしている。

B&Bの漫才を見て、洋七の師匠に弟子入りを志願したのが島田紳助である。

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