概要
日本の出版社。
ゴシップ紙「アサヒ芸能新聞」から出発して拡大を続けたが、現在はカルチュア・コンビニエンス・クラブ(TSUTAYAの経営母体)の子会社となっている。
沿革
1946年、読売新聞出身の竹井博友が「アサヒ芸能新聞」を発行するアサヒ芸能新聞社を設立。
1953年、竹井が創刊した一般紙「日東新聞」のせいでアサヒ芸能新聞社の経営は悪化した。
1954年、竹井の同僚だった徳間康快が役員として残務処理に当たったが、債権者・従業員・取引先に推され、徳間が東西芸能出版社を興し、休刊していた「アサヒ芸能新聞」を再刊した。
1956年、「アサヒ芸能新聞」をリニューアルして雑誌「週刊アサヒ芸能」とする。
1958年、東西芸能出版社をアサヒ芸能出版と改称。
1961年、書籍部門を徳間書店として独立させた。
1967年、アサヒ芸能出版も一般書籍を発行するようになったため徳間書店と合併し、アサヒ芸能出版を存続会社として、社名を徳間書店とした。
1972年、太平住宅からミノルフォンを買収し、徳間音楽工業(後に徳間ジャパン)に改組。
1973年、業績が悪化していた「東京タイムズ」を買収して新聞業界に再度参入。黒崎出版から子供向けテレビ雑誌「テレビランド」を引き継いだ。
1974年、破産した大映株式会社に代わる新たな法人として大映映画株式会社を設立し、徳間書店傘下の映画製作子会社とする。
1977年、徳間書店の発行した「ロマンアルバム・宇宙戦艦ヤマト」が40万部を突破。徳間書店児童少年編集部にアニメ雑誌を創刊する許可が下りた。
1978年、日本初の月刊アニメ雑誌「アニメージュ」が創刊された。
1985年、長編アニメーション映画制作を主力事業とするスタジオジブリを設立。ゲームコンテンツ出版の子会社として徳間書店インターメディアが設立され、ファミコン雑誌「ファミリーコンピューターMagazine」が創刊された。
1989年、スタジオジブリは「魔女の宅急便」のヒットを機に、宮崎駿の提案によりスタッフの社員化と固定給の導入、新人の定期採用と育成という方針に転換。
1991年、ダイヤルQ2の事業者ダイヤルキューネットワークの事業譲渡を受け徳間インテリジェンスネットワークを設立。
1992年、売上低迷から「東京タイムズ」が休刊。
1997年、「テレビランド」が休刊。
1998年、「ファミリーコンピューターMagazine」が休刊。
徳間書店は放漫経営とバブル崩壊で1300億円の負債を抱え、住友銀行の管理下に置かれるが徳間は経営権を手放さなかった。
2000年、徳間康快が死去。
2001年、徳間ジャパンコミュニケーションズを第一興商へ売却。
2005年、徳間書店事業本部とスタジオジブリ事業本部を「株式会社徳間書店」と「株式会社スタジオジブリ」に分離独立させ、旧社は債務整理に当たる「株式会社芝ホールディングス」(2006年9月会社解散)に商号変更した。
2013年、カルチュア・コンビニエンス・クラブの子会社となる。
主な出版物
雑誌
Goods Press
ニンテンドードリーム(ニンドリ) - 事実上の前身誌に当たるファミマガの発行元でもあった。
月刊コミックゼノン(ただし2020年4月号限りで発行元をコアミックスに移管)
単行本
トクマ・ノベルズ(一般文芸)
アークライトノベルズ(ライトノベル)
漫画単行本
アニメージュコミックス
リュウコミックス
キャラコミックス(BL・女性向け)
トクマコミックス
文庫
徳間文庫(一般文芸)
キャラ文庫(BL・女性向け)
その他
徳間アニメ絵本
廃刊・休刊
雑誌
テクノポリス:テクノポリスソフト名義でパソコンゲーム(エロゲ多め)も出している。
ファミリーコンピューターMagazine
書籍単行本など
アニメージュ文庫/AM文庫/AM文庫JuJu
徳間デュアル文庫
5次元文庫(オカルト系・トンデモ系)
少年キャプテンコミックス
レコード会社
レコード会社の徳間ジャパンコミュニケーションズを以前所有していた。
太平住宅から買い取ったミノルフォンが前身で、徳間音楽工業となり、ジャパンレコードと合併して徳間ジャパンに改称。
関連タグ
出版社 スタジオジブリ 大映 平成ガメラ カルチュア・コンビニエンス・クラブ