概要
1972年1月17日生まれ。大阪府東大阪市生まれ、三重県名張市育ち。
所属レーベルはソニーレコード(デビュー〜2000)→デフスターレコーズ(2000~2013)、アリオラジャパン(2013~)。デビュー当時は研音所属で、現在は同社から独立したピンナップス・アーティストに所属している。
サザンオールスターズの大ファンで、大学在学中からコピーバンドや横浜市関内のライブハウス専属の歌手等で活動する。
Sony Music Entertainment Auditionに自作ビデオを応募し、入選したのをきっかけに1993年よりソニーレコードと契約。1995年に「Precious Junk」でデビュー。
デビュー当初はさほど話題を集めなかったが、「これが売れなければ引退」という状況で2000年にリリースした「楽園」が、江角マキコを起用したCMの効果もあって大きなヒットとなり、一気に人気が高まった。
「瞳をとじて」、「大きな古時計」(カバー楽曲)、「why」、「Strawberry Sex」、「ソレデモシタイ」「POP STAR」などが代表作としてあげられる他、「もういちど教えてほしい」などコアな人気を持つ曲もカバーしている。
透明感のある甘い声質とファルセットによる高音を活かした歌声が特徴。
本人はサザンや洋ロックへの憧れから桑田佳祐やトム・ウェイツのようなハスキーボイスに憧れており、若い頃にバーボンでうがいをして河原で叫ぶことでわざと喉を枯らそうとしたが、数日で元に戻ってしまったという。
エピソード
阿部寛と共に日本人離れした彫りの深い顔を持ち、なかでもスパニッシュや中東系の顔立ちに近いと言われている。実際に、キャビンアテンダントに外国人と間違えられて英語で話しかけられたこともあったらしい。
特に外国にルーツを持つというわけではなく、両親とも日本人で、父方母方とも四代遡っても全員日本人であるという。
本人が語るところによれば、父が外国人のような濃い顔立ちであったらしく、兄弟はみな父親似であるとのこと。実際に『桔梗が丘』のMVは実家でのロケが行われ、実母も出演しているが、日本人らしいすっきりした目鼻立ちであることが確認できる。
学生時代のあだ名は「彫 深男(ほり ふかお)」、「ジュリアロバ男」など。
『ソレデモシタイ』のMVは、インドのデリーでインド人に扮した平井やインド人ダンサーが踊るインド映画風の映像となっているが、これは自身が新宿駅西口を歩いていた際に、インド人からインド人に間違われて集会に誘われたことから着想を得たという。
また、『鉄拳7』に登場するシャヒーンが平井に似ていると話題になった。なお、シャヒーンはイラストレーターのNINNINがコンセプトデザインを手がけ、サウジアラビアの学生らによって監修されたものであり、別に平井がモデルというわけではない。
カラオケ好きで、週に1、2回は行く。「無責任に歌えるので、仕事で歌うより楽しい」と語っており、知らない曲もカンで歌うという。
『トリビアの泉』では、一青窈の楽曲のピッチを下げると平井のような声に、逆に平井の曲のピッチを上げると一青のような声になる、というトリビアが紹介された。この事は本人達もラジオで公認している。
清水ミチコ、坂下千里子とは友人。ミュージシャンでは、古内東子とは旧知の仲であるほか、草野マサムネ、椎名林檎、aikoと仲が良い。椎名桔平は高校の先輩にあたる(在学時期は全く別)
上述の通りサザンオールスターズに大いなる影響を受けており、学生時代桑田家のポストに「コーラスで是非使ってほしい」と手紙を添えてデモテープを投函したことがある。その後音楽番組で共演を果たした。
また、松田聖子や中森明菜のファンでもあり、松田の『瞳はダイアモンド』を聞いてバラードに目覚めたという。