概要
昭和~平成初期にかけ、特に「若者の代弁者」として若年層にカリスマ的人気を誇った男性シンガーソングライター。
肺水腫のため26歳で急逝したが、没後も根強い人気を誇り、特に平成3年リリースのシングル『I LOVE YOU』は、多数のミュージシャンによってカヴァーされている。尾崎裕哉は息子。
経歴
1965年11月29日生まれ、東京都出身。青山学院高等部中退。
1983年にアルバム『十七歳の地図』とシングル『15の夜』でデビュー。
偏差値教育や受験戦争に違和感を覚え、その影響から若者の挫折や反感、社会への反発と怒りをこめた楽曲を発表し「若者のカリスマ」、「十代の教祖」と呼ばれるようになった。
特に代表作『15の夜』の「盗んだバイクで走り出す」というフレーズは有名。
なお、尾崎本人は登校拒否を続けていても、当時競争率20倍の陸上自衛隊少年工科学校(現在の高等工科学校)の一次試験に合格し、最終的に青山学院高等学部に進学した優秀なエリートである。父は自衛官であった。
1987年のライブ中に倒れコンサートツアーは中止となり、同年12月に覚醒剤使用で逮捕された。中止となったコンサートツアーには日本武道館公演も含まれていた。
1989年に長男が誕生してからは心の内面を描いた楽曲やラブソングも著すようになった。
教育
かつては教育界に嫌われていたが、バブル崩壊以降の日本は少子化と社会の停滞も手伝い学校が落ちついており(別の言い方をすると学生側が偏差値教育に降伏した)、鉄パイプを持ったような本物の不良自体が昔話となったことから、1980年代の文化として教科書などでも取り上げられるようになった。
曲の内容の移り変わり
デビュー〜活動休止まで
受験戦争への疑問などから、反支配を題材に「15の夜」の他にも「十七歳の地図」や「卒業」など、多くの作品を歌い続けた。高橋克典はそんな彼の高校時代を支えていたらしく、完成前の15の夜を聞いていたという。
活動休止復帰から死まで
覚醒剤逮捕からの復帰後は長男が誕生したこともあり,これまでの反支配的内容とは真逆の贖罪的内容を歌うようになった。しかしそれと同時に恋愛的内容の「ILOVEYOU」や「OHMYLITLLEGIRL」などの曲も歌うようになった。
死亡
1992年4月25日の早朝、足立区の民家の軒先において全裸で傷だらけの状態で倒れている姿を発見された。この時点では尾崎本人はまだ意識があったものの、すぐ様病院に緊急搬送され、診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に診てもらった方がいい」と診断したが、尾崎は妻と兄とともに自宅マンションに戻った。しかし、昼過ぎ容体が急変し呼吸停止の状態で自室で倒れているのに気がついた家族が119番通報した。その後、搬送先の日本医科大学付属病院で手当てを受けるも、午後0時6分に死亡した。死因は肺水腫と診断され、26歳という早すぎる死に数多くのファンが涙した。
4月30日に護国寺で行われた追悼式では雨の中、37500人ものファンが詰めかけ、吉田茂や美空ひばりなどの国葬レベルだったという。
またこの年、自身初の日本武道館公演も予定されていたが、実は少年時代に試合で武道館の畳の上には上がったことがあった。
墓所は埼玉県所沢市の狭山湖畔霊園。現在もファンが線香の代わりにタバコを供えていくという。
現在も残る謎
当時、検視を担当した監察医によれば、尾崎の死因は肺水腫であることのみを発表しており、肺水腫の引き起こした直接的な原因は大量の覚醒剤服用によりオーバードーズを発症させ、急性メタンフェタミン中毒を併発させたことで結果的に肺水腫を引き起こした結論づけられた。更に内臓も覚醒剤を経口摂取した形跡があり、肺にも覚醒剤中毒の症状が見られたという。事実、尾崎は過去に覚醒剤所持の件で警察に目を付けられていたものの、証拠不十分で本人に接触する事は出来ず、そのまま逮捕を見送り続けていた。
その為、警察は自殺だと断定したが、何故か裸で発見された体は多くの部分が傷だらけとなっており、実は他人が自殺に見せかけて殺したのではないかという疑惑が浮上。しかし、それでは死因が肺水腫なのはおかしいという反対意見もある。警察は自殺である根拠を「薬物乱用に再度走ったことから、幻覚によって自傷行為を繰り返し、更に摂取した為に副作用で亡くなった」としている。しかし、それでも裸体のまま見つかった原因は未だに分かっていない。
関連タグ
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