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俺は歌う。


概要

1965年8月18日生まれ、広島県安芸郡府中町出身。

現在の所属は株式会社アクセルミュージックエンターテイメント(個人事務所)。同社の代表取締役社長を務める。既婚で、妻との間に子供が一人いる。


1984年2月1日モニカ」で歌手デビュー。同時に主演映画「すかんぴんウォーク」が公開され、俳優としてもデビューを果たす。


1980年代はアイドル扱いで歌手活動を中心としていたが、90年代以降は本格派のロックミュージシャンとして認知されるようになる。

2000年代からは俳優活動にも力を入れており、数々の映画やドラマ、ミュージカルに出演している。


2020年には「探偵・由利麟太郎」(原作:横溝正史)で連続テレビドラマ初主演を果たした。


2024年2月、外傷性白内障により両目を手術したことが公表された。術後の経過は順調だが、人工レンズを移植した都合上、激しい運動は控えることになる模様。


人物

体育会系

学生時代は水球選手として活躍した。そのため、男子トイレのマークのような見事な逆三角形体型で、規格外の肩幅の広さを持ち、特注の服でないと着る事が出来ないらしい。友人からは「便所マーク(略して便所)」とあだ名をつけられたほか、「あまちゃん」では彼の写真に向かって天野春子(演:小泉今日子)が「肩幅〜!!」と叫ぶシーンがあり、それ以外にも数々の場で「吉川晃司といえば肩幅」とネタにされている。

デビューから数年は肩パッドをジャケットに過剰に仕込むのが流行した時期でもあったため、逆三角形を通り越しTのようなシルエットであった。


K-1選手でも互角にやり合えるほど喧嘩が強いと言われ、1998年には知人とのトラブルで相手に大怪我を負わせてしまい、傷害容疑で書類送検されたこともある。(示談は成立していた)ただし本人は「いくら芸能界で強いと言われても、プロの格闘家の方が強いに決まってるでしょう」と発言したことがある。


スポーツには関心が強く、2013年8月6日にマツダスタジアムで行われた広島東洋カープ阪神タイガースの試合前に始球式を行い、5回裏のセレモニーではジョン・レノンの「イマジン」を歌う。

また、2016年10月22日に同所で行われた日本シリーズ第1回戦では国歌君が代」の独唱を務めた。


パフォーマンス

氷室京介布袋寅泰同様デヴィッド・ボウイの影響を濃く受けており、本人と対談もしている。


ライブでは身長を超す高さのシンバルを蹴り上げるハイキックを披露している。部屋にハエが飛んできても多分それで撃ち落す。

ライブの度にシンバルの高さを上げているようで、本人曰く「クソ練習するんじゃけえ」(広島ローカル番組のインタビューより)とのこと。

また、若かりし時はバック転でプールに飛び込んだり、スタジオのセットでターザンを行ったりしたほか、初出場した紅白歌合戦ではステージ上にシャンパンを撒き散らし、ギターに火をつけて破壊するというパフォーマンスを行ったこともある。


巻き舌気味の激しい歌い方が特徴。また、デビュー当時はメンズメイクを施してパフォーマンスを披露しており(「目張り」と言われたアイラインや濃いアイシャドーなど)、グラムロックやLAメタルなどの影響が窺われる。


交友関係

80年代アイドルとは交流が深い。また、アン・ルイスとは姉弟のような関係であったという。


若い頃は同い年である尾崎豊岡村靖幸と3人で仲良く街をほっつき歩いていたという。しかし、尾崎は1992年に26歳で他界、岡村も2度のドラッグ問題で逮捕されている。尾崎の死にあたって、友人代表としてコメントを出しているほか、岡村が逮捕された際にも彼を気遣うコメントをしている。

また、先述の傷害容疑についても、きっかけは(被害者となった)知人が、酔った勢いで尾崎の遺品であるギターを蹴ったことに激昂したためである。


布袋寅泰とも交流があり、1988年にはCOMPLEXを結成したが、結成して1年経つか経たないかの内に、音楽性に亀裂が生じたこと※で関係が悪化、最後は殴り合いにまで発展し解散。

布袋とは20年近く絶縁状態に陥っていたが2000年代後半頃には近所のスーパーマーケットで会っては挨拶する程度には修復していた。

2011年4月28日朝日新聞の紙面上で東日本大震災への復興を願う為にコンプレックスの再結成を発表した。

※純粋にロック歌手としてライブを重視していた吉川と、活動のコンセプトから楽曲発表後のプロモーションまでトータルプロデュースを意識したショービジネス志向の布袋で意見が合わなかったと本人たちが説明している。


地元との関わり

郷土愛が強く、地元・広島のローカルテレビやラジオに出演すると必ず広島弁で話す。また、親交のあるローカルテレビ局アナウンサー(宮崎県出身)が本籍を広島に移した際には「お前は簡単に故郷を捨てるのか?」と本気で怒ったらしい。


また、吉川元春が先祖であることもあり歴史にも堪能で、古代中国史に纏わる歴史小説の大家ともいうべき宮城谷昌光と対談した際に、宮城谷が「ミュージシャンと対談してるのか歴史学者と対談してるのか分からなくなった」という感想をもったという逸話もある。


バラエティ番組への出演

日曜劇場常連俳優であるため、自身が出演するドラマの番宣でバラエティ番組に出演することはあるのだが、その例を除くと出演する機会がほぼなく、なかなかお目にかかれない。だが、そんな貴重な出演であってもかなりお茶目な言動を見せており、『バナナサンド』にバナナマンに内緒でサプライズ出演した際は、サンドウィッチマンと共にコントを披露し、しまいには「お土産を持ってきました。こちら、『モニカ』です。」と言ってモナカを渡すなど自身のデビューシングルをネタにしたボケを披露した。


慈善事業

元々NPO関係の人達と交友があったことから慈善事業にも積極的であり、東日本大震災の際には素性を隠した上で支援活動を行っていた。

ただ、本人曰く「この時の出来事が人生の分岐点です。それが自分にとってはものすごい経験になりましたね。」と『風都探偵』6巻のインタビューやバラエティ番組等様々なメディア媒体で語っている。その出来事というのは、被災したとある子供から『仮面ライダーは嫌いだ!お父さんが亡くなったのに助けに来なかった!』と言われたことであった。吉川は当時『仮面ライダーW』にて鳴海荘吉/仮面ライダースカルを演じて間もない頃だったこともあり、「不安で元気がない子供たちを少しでも勇気づけれたら」という想いでその子供に「仮面ライダーは好きか?」と質問したのだが、思わぬ答えが返ってきたことで自身の無力さを痛感し、「被災地に今一番必要なのはものは復興のための現金」という結論に達したとのこと。

なお、この出来事がきっかけとなり、上述のCOMPLEX21年振りの再始動及び復興支援コンサートの開催に繋がった。また、令和6年能登半島地震の復興支援として再びCOMPLEXでのコンサートが開催されることとなった。


関連タグ

DAIGO マキシマムザホルモン 80年代アイドル

菊地英昭 アベフトシ 日本一心

天地人織田信長役を怪演

鳴海荘吉/仮面ライダースカル


吉川元春(彼の先祖、しかし元春は毛利元就の子で吉川家に養子となったので間接的ながら毛利元就の子孫でもある)

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