概要
保護地域(ホームエリア)は広島県。
2020年現在12球団の中で唯一親会社を持たない独立した球団で、筆頭株主(スポンサーとしての事実上のオーナー)は旧東洋工業(現マツダ)の創業者である松田一族が代々受け継ぐ。
球団会社名はチームと同じで、通称は『広島』又は『カープ』。
創設時の名称である「広島カープ」と略すことはあるが、「東洋カープ」と略すことはない。旧東洋工業はあくまでスポンサーである。
チーム名のカープは、鯉が出世魚として日本人にとって縁起が良い存在であり、広島城が「鯉城」とも呼ばれて来たからであるとされる。
チームカラーは明るめの赤。当初は紺色を採用しており、球団旗にその名残が見られる。よく巷で見かける赤字に白のCマークは「球団ロゴ」で、球団旗とは別。
ウエスタン・リーグに所属する2軍は、山口県岩国市の山間部にある「広島東洋カープ由宇練習場」である。
ちなみに3軍もあるが、実態は怪我で故障した選手のリハビリクラスである。
1950年に市民球団広島カープとして創立し、68年に東洋工業が出資参加してから現在のチーム名に改称。
上記の通り設立当初のチームカラーは紺色で、ユニフォームの下地も紺色だったが、73年にチームカラーに赤が取り入れられて以降は赤を主体とし、「赤ヘル軍団」と呼ばれるようになった。
90年代以降は中米ドミニカ共和国に青少年の野球アカデミーを開設・運営し、独自で若手外国人選手の発掘としての育成を行っている。
これまでに9回のリーグ優勝と3回の日本シリーズ制覇を達成している。
キーワード・歴史
原爆からの復興の象徴として、広島に球団創立
1949年のプロ野球拡張を受けて、カープの前身組織となる「広島野球倶楽部」を設立。日本野球連盟への加盟申請を受理され、翌年よりセ・リーグに参加する。
愛称の「カープ(carp)」は鯉をさす英単語であり、その鯉が広島市内を流れる太田川の名産品であることや、その先の1945年の第二次世界大戦(太平洋戦争)中の8月6日の原爆投下で焼け落ちた広島城の別名「鯉城」からとったもの。
命名者は、広島県有数の名士であった内務省官僚出身で山梨県知事等を歴任した政治家・谷川昇であり、「鯉の滝登り」という故事成語になぞらえて、滝を登った鯉が竜に変身するように、球団の活躍を通じて原爆投下の傷跡から市民たちが立ち上がり栄転する起爆剤になってほしいという谷川たちの願いも込められている。
しかしながら、球団創立からしばらくは最下位争いの常連であり、1951年には球団解散の危機に陥ったものの、広島市民の「樽募金」などによって何とか回避する。1960年には初の勝ち越しを果たし、1957年には本拠地を広島市民球場に移転、広島県下初のナイターが行われた。
「広島東洋カープ」の誕生、赤ヘル黄金時代
1968年に東洋工業(現マツダ)が筆頭株主となって、球団名を現在の「広島東洋カープ」に改称。この1968年に球団創立19年目にして初めてAクラス入りするが、1970年代も序盤は低迷が続く。1973年より本格的にユニフォームに赤が取り入れられた。
1975年、ジョー・ルーツが球団初の外国人監督に就任。ルーツは5月を待たずに監督を辞任するものの、チームは中日ドラゴンズ・阪神タイガースと熾烈な優勝争いを繰り広げた末、球団創立25年目にしてセ・リーグ初優勝を果たす。日本シリーズでは惜しくも阪急ブレーブスの前に敗れたが、優勝後のパレードでは30万人ほどが集まり空前の盛り上がりを見せる。
その後はコンスタントにAクラス入りを果たすと1979年に2度目のリーグ優勝。この年の日本シリーズでは江夏の21球を演じた末、初めての日本一に輝く。1980年も優勝、日本一の2連覇を達成。
1980年から1991年の優勝までの12年間で毎年Aクラスに入り、その間に山本浩二、山本一義、衣笠幸雄をはじめとして、外木場義郎、津田恒実、大野豊、江夏豊、山根和夫、北別府学、大下剛史、金城基泰ら名選手が次々と出てカープ黄金時代を演出した。
1990年代、長く出口の見えないBクラスのトンネルへ
1991年、これまで抑えを務めていた津田が病に倒れる。それでも川口和久、佐々岡真司、野村謙二郎、前田智徳、西田真二、山崎隆造らの活躍でリーグ優勝。
1992年は読売ジャイアンツ・ヤクルトスワローズ・阪神との四つ巴の優勝争いを演じ、結果ヤクルトに優勝を譲る。
1993年に津田が脳腫瘍で急死。そのショックからかチームは調子を急激に落とし、1974年以来の最下位に沈む。
その後緒方孝市、金本知憲、黒田博樹ら名選手を輩出するも優勝は出来ず。さらに1997年以降は2013年まで一度もAクラス入りができなかった。
さらに「独立採算制」というチーム事情により他球団より資金面で非常に厳しいこともあり、1993年に導入のFA制度やドラフトの逆指名制度により、数々の辛酸を舐めることになる。
そのため、川口、江藤智、金本、新井貴浩ら主力選手が次々とFAで流出。こうした状況もあり21世紀に入ってから圧倒的にシーズン5位に終わることが多くなった。
監督も山本(第二次)→マーティ・ブラウン→野村と変わるも最高位は4位。
それでも栗原健太、永川勝浩、前田健太、梵英心、福井優也、野村祐輔ら生え抜きのレギュラーが活躍した。
2009年にはマツダスタジアムが開場し、本拠地をそこに移転した。
念願の3位Aクラス、CSへ
スタジアムの移転後、球団は客層を増やすという取り組みを始め、「カープ女子」に見られるような若い女性が球場に足を運ぶ姿も目立つようになる。お笑い芸人の間でも人気番組アメトーーク!の「広島カープ芸人」企画が人気を博し、コアな地元愛が徐々に広がりを見せ始めた。この集客能力とマツダスタジアムの利便性や場内店舗が機能し始めたことで、カープは資金面で大きな恩恵を受け、ベテラン選手のキープやFA選手の獲得にも可能となる。
2013年は前田健、大竹寛、野村、ブライアン・バリントンが10勝カルテットを形成し、野手陣は東出輝裕に代わってセカンドに定着した菊池涼介ら若手選手が活躍。
中日、横浜DeNAらを振り切って1997年以来の3位Aクラス入りを果たした。
そして、初出場のクライマックスシリーズ(以下、CS)ではファーストステージでシーズン2位の阪神相手に2連勝しファイナルステージ進出。しかしファイナルステージでは巨人相手に3連敗、シーズン1位のアドバンテージ込みで0勝4敗で日本シリーズ進出はならなかった。
2015年は緒方孝市新監督の下、黒田(と新井)の電撃復帰で幕を開ける。開幕後は新助っ人ジョンソンや、エース前田健太を筆頭に先発陣は好調も、打撃陣が今ひとつで僅差のゲームを落とす場面が目立ち、一時は最下位まで沈んだ。それでも、先発から中継ぎにまわった大瀬良大地、急遽クローザーに抜擢された中﨑翔太が安定感を見せ始め、田中広輔、新井を中心に打撃陣も復調すると、ヤクルト、巨人、阪神との熾烈な優勝争いを演じた。終盤は阪神とのCS争いに敗れ、4位でシーズンを終える。
25年越しの悲願とリーグ3連覇
2016年1月、長年エースを務めた前田健太がMLB挑戦。ベテラン・黒田の奮闘、低迷期を脱した野村、安定感のあるジョンソンを筆頭に、2年目の薮田、ルーキー岡田、軟投派新助っ人ヘーゲンズらの活躍に加え、中継ぎ陣は豪速球で相手をねじ伏せるジャクソンや、大瀬良、今村、一岡、守護神・中崎ら若手投手陣が活躍した。一方、攻撃陣もベテラン・新井を中心に、中日から移籍してきたエクトル・ルナ、来日5年目の長距離砲ブラッド・エルドレッド両助っ人や、田中、菊池、丸ら中堅も活躍、鈴木誠也、松山、安部も台頭して、決め手に欠ける他チームを圧倒、9月10日に25年ぶり7度目のセ・リーグ優勝が決まった。CSでは横浜DeNAに勝利したが日本シリーズでは日本ハムに敗退。
低迷期のチームを支えた倉、広瀬が2016年限りで現役を引退することを決意、チーム復帰2年目のベテラン・黒田も日本シリーズ終了後の引退を表明、チームは黒田のつけていた背番号「15」を永久欠番にすることを決定、その功績をたたえた。
2017年はジョンソンがインフルエンザにより長期離脱、エース・野村祐輔の腰痛での離脱と不運が相次いだが、なんとかリーグ首位で交流戦を迎える。交流戦ではソフトバンク、西武、阪神と4つ巴の優勝争いの中ソフトバンクに次ぐ2位と奮闘。リーグ戦再開後、ジョンソンと鈴木が怪我で離脱するも、丸・エルドレッド・鈴木誠也・安部ら打撃陣が好調で層の厚さは他チームの追随を許さず首位を独走、9月中旬に連覇が決まる。
この年は二軍もカープが優勝した。CSでは3位から這い上がった横浜DeNAに軍配が上がり、日本シリーズ進出はならなかった。
2018年。4月後期時点ではDeNA、巨人と首位攻防戦となり5月前期時に入ると猛追してきた2位巨人との直接対決を制し(雨天中止を含み)2位との差を3.5まで伸ばした。
9月5日に新井が引退を表明すると、そこから6連敗し「新井ショック」と呼ばれたが、それでも9月26日に2位ヤクルトとの直接対決に勝ち、3年連続9回目となるリーグ優勝を27年ぶりに本拠地(マツダスタジアムでは初)で決めた。そして満を持して迎えた日本シリーズだったが、思わぬ伏兵にキャノンを撃たれ続け機動力を封じられたことで敗れた。
幻となった4連覇…そしてその後
2018年オフに丸佳浩がFA宣言して巨人に移籍、人的補償として長野久義が入団。リーグ4連覇を目指した2019年シーズンは、序盤は好調であったものの交流戦で最下位になってからは失速。さらに後半戦ではサビエル・バティスタがドーピングで出場停止になってしまった事で得点力が落ちた。
なんとか踏ん張り、最終成績は70勝70敗3分の勝率5割の暫定3位でシーズンを終え、3試合残していた阪神の結果を待つだけだったが、阪神が残り3試合を全勝したため最後の最後で運に見放され4位に転落。リーグ4連覇どころか4年ぶりとなるBクラス転落となり、その責任を取る形で緒方監督は辞任を表明した。後任は佐々岡真司投手コーチが監督に昇格。
2020年は、南アフリカ出身の新外国人テイラー・スコットが開幕抑え投手に起用されるも救援失敗を繰り返し、抑えポジションを剥奪。ヘロニモ・フランスアが抑えに固定できるまで、救援投手がコロコロ変わる事態となった。この年は5位でフィニッシュとなったが、新人の森下暢仁が10勝・防御率1.91と奮闘した。
2021年。ドラフト会議の結果入団した新人・栗林良吏と森浦大輔のドラ1・2コンビが救援陣の即戦力としてフル回転。が、交流戦では「先発投手に1試合も勝ち星がつかない」&「3勝12敗3分けの勝率2割」というワースト記録を作ってしまった。シーズン終盤は連勝を重ね、CS争いで3位・巨人を猛追するもあと1歩届かず4位で終了。
4番打者を務めた鈴木誠也がMLB挑戦。2022年は2019・21年の「交流戦アレルギー」が治らず交流戦は安定の最下位。先発投手起用の床田寛樹が怪我で離脱するなどで勝ち星を増やせず、CS進出をかけ阪神・巨人と3位争いを展開するもあと1歩届かず5位で終了。交流戦明けから秋山翔吾がMLBからNPBへ復帰した。
2023年。新監督体制で安定しないとされ、序盤こそ連敗続きで勝ちの見えない試合が続いたが、投手陣の配置を中心に立て直しを図り、交流戦も9勝9敗の5割で乗り切り7月には首位まで浮上する躍進を遂げた。その後阪神の快進撃により首位の座は失うがDeNAとの2位争いを制し、5年ぶりのAクラス入りした。クライマックスシリーズではファーストステージでDeNAに連勝しファイナルステージまで進むが、阪神に3連敗で終戦。なおこの年の日本シリーズでは阪神がオリックスを下して日本一になった為平成以降唯一日本一になってない球団となった。
2024年。投手陣のおかげで8月終了時点では貯金14で首位に立っていたが、屋外球場の酷暑の影響で9月に入るとその投手陣が崩壊、リーグワーストタイの月間20敗(5勝)を喫するまさかの大苦戦を強いられる。この1ヶ月だけで貯金をすべて吐き出してしまい、優勝争いから脱落。さらに10月2日にはBクラス・4位が確定し、CS進出もできなかった。8月終了時点で首位のチームがBクラスに沈むのはNPB史上初という、歴史的な大失速となった。
pixivでは
タグとしてカープや広島カープが多い。またエンブレムのキャラであるカープ坊やを他球団のマスコットなどに改変したイラストも多数投稿されている。
選手一覧
(2024年7月30日現在)
監督・コーチ
一軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
25 | 新井貴浩 | 監督 |
77 | 藤井彰人 | ヘッドコーチ |
83 | 朝山東洋 | 打撃コーチ |
89 | 小窪哲也 | 打撃コーチ |
80 | 赤松真人 | 外野守備・走塁コーチ |
90 | 三好匠 | 内野守備・走塁コーチ |
86 | 菊地原毅 | 投手コーチ |
74 | 永川勝浩 | 投手コーチ |
81 | 石原慶幸 | バッテリーコーチ |
二軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
71 | 高信二 | 監督 |
85 | 福地寿樹 | 打撃・走塁コーチ |
84 | 新井良太 | 打撃コーチ |
75 | 廣瀬純 | 外野守備・走塁コーチ |
72 | 東出輝裕 | 内野守備・走塁コーチ |
87 | 高橋建 | 投手コーチ |
82 | 横山竜士 | 投手コーチ |
76 | 倉義和 | バッテリーコーチ |
三軍
所属選手
投手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
11 | 九里亜蓮 | 右 | 右 | |
12 | 大道温貴 | 右 | 右 | |
13 | 森浦大輔 | 左 | 左 | |
14 | 大瀬良大地 | 右 | 右 | |
16 | 森翔平 | 左 | 左 | |
17 | 常廣羽也斗 | 右 | 右 | 2023年ドラフト1位 |
18 | 森下暢仁 | 右 | 右 | |
19 | 野村祐輔 | 右 | 右 | |
20 | 栗林良吏 | 右 | 右 | |
21 | 中﨑翔太 | 右 | 右 | |
22 | 髙太一 | 左 | 左 | 2023年ドラフト2位 |
24 | 黒原拓未 | 左 | 左 | |
26 | 益田武尚 | 右 | 右 | |
28 | 床田寛樹 | 左 | 左 | |
29 | ケムナ誠 | 右 | 右 | |
30 | 滝田一希 | 左 | 左 | 2023年ドラフト3位 |
34 | 高橋昂也 | 左 | 左 | |
35 | 赤塚健利 | 右 | 右 | 2023年ドラフト5位 |
36 | 塹江敦哉 | 左 | 左 | |
39 | 長谷部銀次 | 左 | 左 | |
41 | 矢崎拓也 | 右 | 右 | |
42 | トーマス・ハッチ | 右 | 右 | 新外国人 |
43 | 島内颯太郎 | 右 | 右 | |
45 | 松本竜也 | 右 | 右 | |
46 | 河野佳 | 右 | 右 | |
47 | 斉藤優汰 | 右 | 左 | |
48 | アドゥワ誠 | 右 | 右 | |
49 | 戸根千明 | 左 | 左 | |
53 | 小林樹斗 | 右 | 右 | |
65 | 玉村昇悟 | 左 | 左 | |
66 | 遠藤淳志 | 右 | 右 | |
67 | 内間拓馬 | 右 | 右 | 楽天から現役ドラフトで移籍 |
68 | テイラー・ハーン | 左 | 左 | 新外国人 |
70 | 日髙暖己 | 右 | 左 | オリックスから西川龍馬のFA移籍に伴う人的補償による移籍 |
93 | 岡田明丈 | 右 | 左 | 育成から支配下登録 |
98 | ロベルト・コルニエル | 右 | 右 | |
120 | 杉田健 | 右 | 右 | 育成選手・2023年育成ドラフト1位 |
122 | 坂田怜 | 右 | 右 | 育成選手 |
125 | 辻大雅 | 左 | 左 | 育成選手 |
126 | 新家颯 | 左 | 左 | 育成選手 |
128 | 杉原望来 | 左 | 左 | 育成選手・2023年育成ドラフト3位 |
129 | 藤井黎來 | 右 | 右 | 育成選手・58から背番号変更 |
捕手
内野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
00 | 曽根海成 | 右 | 左 | |
0 | 上本崇司 | 右 | 右 | |
2 | 田中広輔 | 右 | 左 | |
7 | 堂林翔太 | 右 | 右 | 選手会長 |
33 | 菊池涼介 | 右 | 右 | |
44 | 林晃汰 | 右 | 左 | |
51 | 小園海斗 | 右 | 左 | |
54 | 韮澤雄也 | 右 | 左 | |
58 | 仲田侑仁 | 右 | 右 | 2023年ドラフト4位 |
61 | 矢野雅哉 | 右 | 左 | |
63 | 内田湘大 | 右 | 右 | |
69 | 羽月隆太郎 | 右 | 左 | |
94 | 佐藤啓介 | 右 | 左 | 育成から支配下登録・2023年育成ドラフト2位 |
95 | ジェイク・シャイナー | 右 | 右 | 新外国人 |
99 | 二俣翔一 | 右 | 右 | |
127 | 前川誠太 | 右 | 右 | 育成選手 |
130 | モイセス・ラミレス | 右 | 右 | 育成選手・新外国人 |
外野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
9 | 秋山翔吾 | 右 | 左 | |
37 | 野間峻祥 | 右 | 左 | |
38 | 宇草孔基 | 右 | 左 | |
50 | 中村健人 | 右 | 右 | |
52 | 末包昇大 | 左 | 左 | |
55 | 松山竜平 | 右 | 左 | |
56 | 久保修 | 右 | 右 | |
59 | 大盛穂 | 右 | 左 | |
60 | 田村俊介 | 左 | 左 | |
96 | 中村奨成 | 右 | 右 | 22から背番号変更・捕手から登録変更 |
97 | 中村貴浩 | 右 | 左 | |
121 | 名原典彦 | 右 | 右 | 育成選手 |
131 | ネルソン・ロベルト | 右 | 右 | 育成選手・新外国人 |
過去に所属した選手
あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行
ら行
外国人
永久欠番
3・衣笠祥雄
8・山本浩二
15・黒田博樹
球団マスコット
!・スラィリー
球場歌
現在の公式球団歌は『それ行けカープ 〜若き鯉たち〜 』である。カープファンの著名人が同歌を歌唱するリレー動画が話題となった。
主な歌唱者:島谷ひとみ、ガッツ石松、鈴木福、水田わさび、Machico、内藤哲也、鞘師里保 他
題材にした作品
広島カープ誕生物語:黎明期から75年のリーグ初優勝までを史実の出来事と合わせて描いたフィクション作品。