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石井琢朗

いしいたくろう

横浜ベイスターズ及び広島東洋カープに所属していたプロ野球選手。現在は横浜DeNAベイスターズコーチ。
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プロフィール編集

所属横浜ベイスターズ広島東洋カープ
出身栃木県佐野市
生年月日1970年8月25日
身長・体重174cm、78kg
投球・打撃右投左打
守備位置遊撃手三塁手
プロ入り1988年ドラフト外
引退2012年

横浜ベイスターズ(前身の大洋ホエールズを含む)及び広島東洋カープにて活躍した元プロ野球選手。本名は石井忠徳


「走・攻・守」の3拍子揃った内野手。過去に4度も盗塁王を獲得している。

現役通算2432安打・通算358盗塁。


大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ時代編集

タクロー


1989年、横浜大洋ホエールズにドラフト外で投手として入団。

当時は本名である石井忠徳を登録名としていた。


92年のシーズンより内野手に転向し、登録名を石井琢朗に変更。現在のしばらくは三塁手を務めたが96年のシーズンより遊撃手としての起用がメインとなり、1998年にはマシンガン打線の核弾頭である「1番・遊撃手」として最多安打と盗塁王のタイトルを獲得する活躍を見せ、38年ぶりの日本一に大きく貢献した。


その後もベイスターズの顔の1人としてチームをけん引していく。2006年には通算2000安打を達成し、名球会入りを果たした。2008年には「成績の不振」と「若手選手の起用」を理由に、球団より戦力外通告を受けた。しかし石井は現役続行を希望し、2009年に同じセ・リーグの広島東洋カープへ移籍した。


広島東洋カープ時代編集

僕をCSに連れていって下さい。


広島東洋カープ移籍後は本職の遊撃手を始め、守備固めでの三塁手や代打での起用が多く、ベテランとして前田智徳とともに若手選手の「精神的支柱」となった。

2012年に引退。2015年のシーズンまで一軍内野守備・走塁コーチを務め、2016年からは一軍打撃コーチとなった。


現在編集

2017年オフに広島東洋カープを退団し、2018年から2019年まで東京ヤクルトスワローズの一軍打撃コーチを務め、2020年より読売ジャイアンツ野手総合コーチに就任。2022年からは古巣の横浜DeNAベイスターズでコーチに就任し2024年現在の肩書きはチーフ打撃コーチ兼走塁兼一塁ベースコーチ。


人物編集

奔放な女性遍歴を持つ(元夫人は元CoCo瀬能あづさで現夫人は元フジテレビアナウンサー荒瀬詩織。瀬能との結婚前には彼女と元同僚の三浦理恵子と噂になっていた)ため、全盛期には「足は速いが、手はもっと早い」とネタにされたことも。

また、絵心があることでも知られ、2013年には彼が描いた広島選手がデザインされたTシャツ、2017年にはLINEスタンプが発売されている。また、次女の石井さやかテニスプレイヤーで、全日本テニス選手権99thの女子シングルス優勝者。


応援歌編集

駆け抜けるスタジアム 君の勇姿

明日の星をつかめよ 石井その手で

※1993年版では第四連が「背番号ゼロ」となっていたが、1994年より背番号が変更されたため「石井その手で」に変更された。


広島移籍後も引き続き使用され、古巣DeNAとの引退試合では、両軍応援団から大合唱された。


関連項目編集

引退したプロ野球選手一覧

横浜ベイスターズ

広島東洋カープ

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