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鈴木一朗

すずきいちろう

日本、アメリカで活躍し、多くの記録を作った日本人元メジャーリーガー、イチローの本名。
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概要

所属シアトル・マリナーズ(現役引退時)
出身愛知県西春日井郡豊山町
生年月日1973年10月22日
身長・体重180cm、77kg
投球・打撃右投左打
守備位置外野手
プロ入り1991年ドラフト4位


1973年10月22日生まれ。愛知県出身。登録名「イチロー」

攻走守全てで世界トップレベルと言ってもおかしくない選手。

間違われやすいが鈴木「一郎」ではないため書く時は注意しよう。
また、名前は「一朗」だが鈴木家では次男である。

夫人は元アナウンサーの福島弓子。子供はいないが「一弓(いっきゅう)」という名の柴犬を可愛がっている。

所属しているマネジメント会社はバウ企画(2002年から2019年夏まで) → RICEBALL PLANNING(2019年7月設立)。

経歴

プロ入りまで

小学生の時に地元の少年野球チームに加入。中学校時代は軟式野球で全国に出場。
高校は愛工大名電に進学し甲子園にも出たがチーム自体は初戦敗退している。

プロ野球

1991年、ドラフト4位でオリックスブルーウェーブに入団。打撃を生かすために投手から外野手にコンバートされる。
1994年、登録名を「鈴木」から「イチロー」に変更。「日本プロ野球史上初めてのシーズン200安打を達成し、210安打まで記録をのばした。これにより、同年から「最多安打」が日本プロ野球連盟表彰のタイトルとなった。また、シーズンを通じてパ・リーグ新記録となる打率3割8分5厘で、首位打者に輝く。また、最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、正力松太郎賞に輝く。打者では最年少となるシーズンMVPに輝く。
1995年には、首位打者、打点王、盗塁王、最多安打、最高出塁率に輝き、「五冠王」となる。また、2年連続でシーズンMVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、正力松太郎賞を受賞する。
1999年、通算1000安打達成。
2000年まで日本でプレーし、7年連続で首位打者、ゴールデングラブ賞、ベストナインをそれぞれ獲得した。

メジャーリーグ

2001年に、MLBシアトル・マリナーズへ移籍。同年、シ-ズン242安打を放ち、アメリカン・リーグ新人王、首位打者、盗塁王、MVP、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞を受賞。
2003年MLB通算500安打を達成。
2004年262安打を放ち、「アンタッチャブルレコード」と謳われたジョージ・シスラーMLBの歴代シーズン最多安打記録258本を84年ぶりに塗り替える。
2005年MLB通算1000安打を達成。
2007年MLB通算1500安打を達成。
2009年、日米通算3000安打を達成。また、MLB史上初の9年連続200安打を達成。MLB通算2000安打を達成。
2010年に、MLB史上初めてとなる10年連続シーズン200安打を達成。また、日米通算3500安打を達成。これにより、ピート・ローズと並ぶシーズン200安打を10度達成している。
2012年7月24日、投手2名とのトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍。
2015年1月27日、マイアミ・マーリンズに移籍。この時、オーナーのジェフリー・ローリア氏から「イチローには好きなだけココにいてもらいたい」と事実上の終身雇用を保証されたが、デレク・ジーターをはじめとする経営陣の刷新により撤回されてしまった。
2016年6月16日(現地6月15日)、日米通算4257安打を達成。ピート・ローズの歴代最多安打記録4256安打を更新した(ただし、日米通算での記録なので、米国内ではあくまで参考記録扱いである)。
2016年8月8日(現地8月7日)、メジャー史上30人目のMLB通算3000安打を達成。
2018年3月7日、シアトル・マリナーズへ復帰。
2018年5月4日、シアトル・マリナーズの会長付特別補佐に就任。試合には出場しないが現役は続行する。
2019年3月21日、MLBオフィシャルサイトを通じて同日限りでの現役引退を正式に表明
2019年5月1日、シアトルマリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターに就任。
2020年2月7日、特例で学生野球資格を回復。

2021年11月、マリナーズの球団殿堂入りを果たした。

特徴

ポジションは外野手、主に右翼を守るがたまに左翼や中堅も守る。
類い稀な打撃センスと俊足、「レーザービーム」と称される強肩や背面キャッチ、3アウト時のファンサービス等が有名。背番号は51。

首脳陣との確執と恩師との出会い

「日本のイチロー」「世界のイチロー」となるまで順調な道を歩んで来たのかというと、決してそうではない。
イチローは1991年にドラフト4位でオリックスに入団したが、入団当時はほとんど無名に近い高卒選手だったこともあり、最初の2年間はほぼ二軍暮らしで、一軍に定着することはなかった。これは当時のオリックスは外野手の層が厚く、イチローが割って入る余地がなかったことに加えて、監督の土井正三やヘッド兼打撃コーチの山内一弘といった一軍首脳陣と打撃フォームを巡って確執があったからとされている。
元々イチローは「軸足をずらして重心を前に移動させながら打つ」という独特なフォームをしており、1年目にウエスタンリーグで首位打者を獲得したが、土井や山内(特に山内)は理解を示さず、徹底的に矯正しようとした。しかし、その結果イチローはフォームを崩して絶不調に陥った。93年に二軍打撃コーチの河村健一郎の下でフォーム改良に取り組んで復調した後も土井や山内からフォームを変えるよう命じられたが拒否し続け、やがて一軍に呼ばれても「フォームを固めたいから」と固辞して河村と共にフォーム改良を重ね、後に「振り子打法」と呼ばれる新フォームを完成させた。

イチローが世間に注目を浴びるようになったのは1994年、プロ野球生活3年目からである。
この年オリックスの監督に就任した仰木彬氏との出会いにより、イチローはその才能を世に知らしめることになる。
野茂英雄トルネード投法のような選手の強いクセに理解があった仰木氏はイチローの振り子打法にも理解を示し、彼の野球センスそのものも高く評価した。そしてイチローも自分を認めてくれた仰木氏の想いに応え、その年に当時のNPB新記録となる210安打を打ち、MVPを獲得した。その後も1995年のリーグ優勝や1996年の日本一にも大きく貢献した。
ポスティング制度を利用してのメジャー挑戦も、仰木氏の「もう一年やろう」の言葉により、挑戦を一年遅らせるなど、仰木氏がイチローに対して大きな影響力を持っていたのは間違いない。
なお仰木氏はイチローのポスティング移籍に関してはずっと反対していたが、イチローが美味い料理とお酒を武器に口説いたところ、それまでが嘘のように移籍を快諾してくれたと語っている。

仰木氏は、「鈴木一朗」では平凡すぎて埋もれてしまうとの理由により、登録名を「イチロー」に変更した。この登録名は仰木氏が付けたと思われがちだが、実際は仰木と共にオリックス打撃コーチに就任した新井宏昌氏のアイデアでつけられた(同年にはイチローのみが目立つことがないように、という仰木氏の考えから、佐藤和弘の登録名を「パンチ佐藤」に変更している)。
イチローは移籍後もオリックスのキャンプ場を訪れたり、仰木氏が野球殿堂入りした時はアメリカから駆けつけ授賞式に参加している。また仰木氏が体調を晩年悪くして入院した時は、無理を言って面会をさせてもらった。その仰木氏が2005年に逝去した時(享年70)には、言葉を失い、気持ちの整理がしばらくの間付かず、部屋にこもっていたそうである。
イチローというスーパースターが誕生したのは、イチローが良き師・良き理解者である河村氏や仰木氏らと巡り会えたからであると言っても過言ではない。

なお、イチローの打撃フォームを頑なに認めようとしなかった土井・山内の両名は「イチローを見出せなかった指導者」のレッテルを貼られてしまうことになり、イチローと不仲であると思われがちだが、少なくとも土井はイチローの素質や能力を高く評価しており、一軍と二軍を行ったり来たりしていたものの、イチローの扱いは高卒ルーキーとしてはかなり優遇されていた方だった。イチロー自身も土井との不仲を否定しており、「(土井さんには)本当に感謝している」とも公言している。
プロ入り当初の首脳陣とイチローの対立については、河村が「イチローのフォームにしつこく干渉していたのは山内で、10歳年下の土井は彼の意見を尊重せざるを得なかった」と証言しており、イチローや土井自身もそれを肯定している。
とはいえ、イチローの飛躍後も、土井は振り子打法を否定し続けた。その理由については「あれは彼の高い野球センスがあってこそ出来る打法であって、本来プロでは通用しない打法だから」と話しており、「例えイチローが4割打っても私は彼の打法を認めない」という旨の発言もしている。

現役引退とその後

2018年5月、シアトル・マリナーズの会長付特別補佐に就任。
3月にマリナーズに復帰していたが、これは外野手が足りなくなったためであり、5月に3Aからのメジャー昇格で外野手を補充した。イチロー本人はあくまで「最低50歳まで現役」を目標にしており、「現役引退ではなく、2018年シーズンはプロ野球選手としての試合出場を一旦休止する」こととなった。

2019年シーズン、3月20日、21日に東京ドームで行われた対アスレチックス2連戦に先発出場し、この2試合をもって、現役を引退することを正式に発表。日本で9年、アメリカで19年、計28年の選手生活にピリオドを打った(ちなみに、イチローが引退したことにより、現役でオリックス・ブルーウェーブに在籍した経験のある選手がいなくなった)。

引退後も引き続きマリナーズに残っており、会長付特別補佐兼インストラクターとしてマリナーズと傘下の3Aタコマで外野守備と走塁、打撃の指導をしている。なお、引退記者会見では監督になる道は「人望がないから」と否定している。

マリナーズでの活動の一方で、2019年12月には学生野球資格(高校、大学で野球を指導するための資格)回復研修を受講、翌年の2月に学生野球資格を回復した。なお、本来は学生野球資格を回復するにあたってMLB含むプロ球団に在籍していないことが条件だが、イチローの現役時代の功績が大きいことやマリナーズで編成業務に関わっていないことから、特例でシーズンオフ限定での資格回復が認められた。実際に、2020年のシーズンオフに3日間智弁和歌山高校で野球部の指導を行い、同校が翌年の全国高校野球選手権大会で見事優勝を果たし話題となった。

逸話

これまで国民栄誉賞授与の話が三度持ち上がったが、そのいずれも辞退している
現役中に二度(2001年・2004年)打診されたが、「まだ発展途上であるため、現役の間はもらいたくない」という理由で辞退した。
現役引退直後にも三たび打診されたが、「人生の幕を下ろしたときにいただけるように励みます」と述べ辞退した。

あまり知られていないが、2018年に、オープン戦で思うような結果を出せずに苦しんでいたエンゼルス大谷翔平の技術指導もしている(参考)。大谷自らがイチローを訪ねてアドバイスを貰いに行ったとのことで、イチローからはバッティングの指導の他、「自分の才能、自分のポテンシャルをもっと信じた方がいい」という言葉をかけられたという。
そして、そんなイチローのアドバイスの甲斐あってか、大谷は無事に不調を脱し、以降、チーム内で見違えるような活躍を見せていくことになる。ある意味、大谷もまたイチローの教え子の1人と言えるのかもしれない。
ちなみに、イチローは大谷について「すごいピッチャーはいくらでも出てきます。でもあんなバッターはなかなか出てこない」と、投手としてよりも打者としての素質を高く評価しており、大谷がまだ日ハムに在籍していたころ、本人に直接「打者としてメジャーに挑戦してほしい」と声をかけていた。
なお、大谷がメジャーに来るのと入れ替わるような形でイチローは現役を引退したため、残念ながら投手大谷と打者イチローの直接対決が実現することはなかった。ただ、マリナーズとエンゼルスの試合が行われるたびにちょくちょく顔を合わせてはいるようで、その様子が両チームの公式Twitterに上げられたこともある。

関連動画



2009年WBCでは、不振に苦しみながらも、韓国との決勝戦での10回表、2アウト2、3塁から決勝2点タイムリーヒットを放ち、WBC日本連覇に貢献した。そのためか、ここpixivにはWBC閉幕後イチローのイラストが大量に投稿された。


関連タグ



  • 仰木彬河村健一郎:発掘者。そして恩師。彼らとの出会いがなければ「イチロー」は存在しなかったと言っても過言ではない。
  • 土井正三山内一弘:イチローがオリックスに入団した当時の一軍監督とヘッド兼打撃コーチ。上述したようにイチローを見いだせなかった指導者とのレッテルを張られたが、その後のイチローサイドからのフォローもあり、後に評価は改められている。
  • 張本勲:NPB歴代最多安打記録保持者。日米通算安打数では既に上回っている。後にメジャー通算でも張本の記録を上回った。
  • 松井秀喜:プロ入団経緯から現役引退まで、色々な意味で何かと比較対象され続けた日本人野手メジャーリーガーのレジェンド
  • ちばあきお:氏の原作漫画『キャプテン』の大ファンであり、登場キャラの「イガラシ」に共感していた。
  • 山内溥:任天堂元社長。自身が経営権を持つもほとんど口出しをしなかったマリナーズに対し、「天才とそれ以外の差は紙一重だが決して越えられないもの。そして、イチローは天才」と珍しく獲得を厳命したという。イチローのメジャー最多安打達成時には任天堂株5000株(当時のレートで6000万円弱相当)を無償でプレゼントした。ちなみに、イチローからの山内氏の評価は「僕よりずっと体が小さいのに、思わず眼をそらしたくなるくらい人としての圧が強い人」
  • MLB
  • ユンケル:CM出演後に愛飲、専用のジュラルミンケースを作り持ち歩くほどのヘビーユーザーになっている。
  • 古畑任三郎:好きなドラマ。三谷幸喜からオファーを貰い2006年のファイナル第2話に犯人役として出演。台本を完璧に覚えて撮影に望みNGテイクを出さなかった為、田村正和から「役者の鑑」と評価された。
  • サザンオールスターズ:愛聴している事を週刊誌に書かれた事がある(参照)。球界を引退した2019年のライブでは「栄光の男」を演奏した際に現役時代の写真が投影され功績を称える演出が行われた。ボーカルの桑田佳祐ラジオ番組numberにてイチローの功績に敬意を表す発言をした。

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