プロフィール
名前 | 大谷翔平 |
---|---|
英字表記 | SHOUHEI OHTANI |
読み方 | おおたに しょうへい |
所属 | ロサンゼルス・ドジャース |
出身 | 岩手県奥州市 |
最終学歴 | 花巻東高等学校 |
生年月日 | 1994年7月5日 |
家族構成 | 父・徹、母・加代子、兄、姉、末子・翔平、妻・真美子(旧姓・田中) |
身長・体重 | 193cm、95kg(2024年時点) |
投球・打撃 | 右投左打 |
ポジション | 投手、外野手、指名打者 |
プレイスタイル | 二刀流 |
プロ入り | 2012年ドラフト1位・日ハム入団 |
NPB最高年俸 | 2億7000万円(2017年) |
MLB入り | 2017年ポスティング行使・エンジェルス入団 |
MLB最高年俸 | 550万$ |
概要
現在MLBロサンゼルス・ドジャース所属のプロ野球選手。
北海道日本ハムファイターズ(2013~2017)→ロサンゼルス・エンゼルス(2018~2023)に所属していた。
野手としては指名打者(DH)での出場がメインだが、投手として登板する試合に限って、投手とDHを兼任している二刀流選手。
2024年に記録したMLBシーズン54本塁打は、アジア人メジャーリーガーのシーズン最多本塁打記録である。 さらにMLBにおけるアジア人通算最多本塁打記録の保持者でもある。
日米両球界を通じてアジア人選手初のシーズン40本塁打40盗塁「40-40CLUB」達成者。
さらに世界野球史上初のシーズン50本塁打50盗塁「50-50CLUB」達成者(最終成績は54本59盗塁)。MLBで日本人及びアジア人選手初のトリプルスリー達成者。
投手としては、日本人投手としては数少ない100マイル(160㎞/h)ボーラーでありながら魔球スプリットや異様に曲がるスライダーやツーシームなど、球質が抜群な側面も持ち、奪三振率が平均して高い傾向にある。
NPB時代や、メジャーデビュー直後には(試合によっては)制球難に苦しむケースも多く、調子を掴め切れずに打ち込まれる展開になってしまうことも多かったが、制球力は年々向上している。
獲得したタイトルは、NPB時代の2015年に獲得した最多勝・最優秀防御率・最高勝率がそれぞれ1度と、エンジェルス時代の2023年とドジャース時代の2024年に獲得した2年連続本塁打王、2024年の打点王。
獲得した賞は2016年の最優秀選手賞・投手と指名打者でのベストナイン、2018年のメジャー新人王、2021年および2023年のMLB満票MVP、2021年から2024年の4年連続のエドガー・マルティネス賞、2021年・2023年・2024年のシルバースラッガー賞、2023年・2024年のア・ナ両リーグのハンク・アーロン賞など。
プロ野球入団経緯
岩手県水沢(現:奥州)市出身。
父は元JABA選手、母はバドミントンの選手というアスリート一家の末っ子として生まれる。
小学校時代は地元の少年野球リーグである水沢リトルリトルリーグで活躍。
この頃から強打者としての片鱗はあったようで、度々打球を場外ホームランにしていたという。
ただ、大谷選手が当時使用していた球場の右翼側には川が流れており、場外に出たボールは水に浸かると当然使い物にならなくなるため、当時監督を務めていた浅利昭治氏からは「右翼側にボールを打つな」という“引っ張り禁止令”が出され、流し打ちの方法も伝授したという(結果的に、大谷選手が左翼側(逆方向)へも強い打球を飛ばせるだけの打撃センスを身に付けることにも繋がった)。
その後、高校野球で活躍した同郷の菊池雄星選手(現アストロズ)に憧れ、彼の出身校である花巻東高校へ進学。3年春の選抜で大阪桐蔭高校の藤浪晋太郎(現メッツ傘下MiLB 3A)からホームランを打ったことがあり、3年夏の岩手県大会準決勝・一関学院戦ではアマチュア野球史上初となる160㎞/hを記録し、国内だけでなくメジャーリーグからも注目を浴びる。
しかし、同大会では決勝戦で盛岡大付高校に惜しくも敗れ、夏の甲子園への出場は果たせなかった。
余談だが、大谷選手が高校最後の夏に甲子園出場を逃した直後に行われた閉会式のスピーチで、当時の高野連会長が(大谷選手擁する)花巻東高校が出場していない事を残念がるスピーチを行い、物議を醸したことがある。
その後、NPBを経由せずにメジャーへ挑戦する意思を表明。後に所属することになるロサンゼルス・ドジャースも含めた複数のMLBに所属する球団も彼の獲得に向けて動き始めていた。それを聞いたNPBの球団はドラフト会議での1位指名を諦めていたが、日本ハムだけは彼をドラフトで指名することを表明し、ドラフト会議の当日に大谷選手を1位で強行指名した。
彼のメジャーに挑戦する意志が強かったため、当初はファイターズの入団交渉に難色を示しており、やはり彼のプロ野球入りは実現しないと思われたが、NPBでの挑戦を望んだ父や、ファイターズの山田正雄GMや栗山英樹監督の粘り強い交渉に加えて、球団側が提示した「大谷翔平君 夢への道しるべ~ジャパンスポーツにおける若年期海外進出の考察~」と題された資料と二刀流育成プロジェクト、前年までダルビッシュ有が付けていた背番号11、そして「誰も歩いたことがない道を君には是非歩いてもらいたい」という栗山監督からの口説き文句に心を大きく動かされた形で、メジャー挑戦から一転、ファイターズ入団を決意した。
「(投手として)10勝以上(打者として)打率3割以上」という目標を掲げた。
プロ入り後の活躍
2013年
オープン戦(ヤクルト戦)で初登板した際、初投球のボールを捕手の鶴岡慎也が受けた後にファールグラウンドに転がしている様子が当時の映像から確認出来るが、これは野球殿堂博物館の展示品としていずれ必要になることが見込まれたため。それほどまでに大谷に対する期待の程が窺える。
開幕戦で、初スタメン・初ヒット・初打点・初決勝打・初ヒーローインタビューを達成。
7月10日楽天戦クリネックススタジアムで初本塁打(2ラン)。
2014年
5月13日に行われた西武戦では、プロ入り最速の158km/hを記録したにとどまらず、プロ入り初完投・初完封もマーク。
6月4日の広島戦にて、高校時代でも記録した自己最速タイの160km/hをプロ入り後初めて記録した。
7月5日、20歳の記念日にプロ入り後初の1試合2本塁打を達成。
9月7日、遂に金字塔を打ち立てる。
2015年
プロ3年目にして、初めて開幕投手に指名される。この影響もあり、チケットは即日完売となり入場者数4万人を超えた。
その後、脚の痙攣などによる降板が多発するも、登板した試合は全て勝利して無傷の五連勝。
結果的に最多勝利、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠を達成。一方で、打者としては打率がほぼ2割、5本塁打と振るわなかった。
2016年
2016年、後年まで語り継がれるであろう、快刀乱麻な活躍を見せている。
まずは6月5日、セ・パ交流戦での巨人戦に「5番・ピッチャー」として先発出場。
4回裏、6番・クルーズへ対する4球目でNPB史上最速となる163km/hをマーク。
投げては10奪三振の完投、打っては1安打1打点と、リアル二刀流の完成を期待させる内容となった。
続いて7月3日、対ソフトバンク戦にて、「1番・ピッチャー」として出場。
これだけでもびっくりだが、初回にいきなり先頭打者・初球ホームランを放ち、8回まで投げて勝利投手となった。大谷選手の八面六臂の大活躍は、日本ハムがソフトバンクを猛追する大きな要因となった。
だが、これだけでは終わらないのが大谷翔平である。
直前の試合でマメを潰したために投手としての登板はなかったものの、特例措置を受けて出場したこの年のオールスターでは打者として獅子奮迅の活躍を見せた。
まず第一戦では、前年にトリプルスリーを達成した山田哲人・柳田悠岐の両名を抑え、ホームランダービーを制覇。
そして第二戦、逆転の口火となるソロアーチを披露したのをはじめ、4打席3安打1ホーマー2打点2得点と、この試合でパリーグの5得点のうち3得点に絡み、第2戦のMVPに選出された。
なお、ピッチャー登録の選手がオールスターでホームランを撃つのは、1962年のオールスターでホームランを放った江夏豊氏以来54年ぶりである。
8月26日の西武戦には代打として出場し、節目の20本塁打を達成。
9月13日、オリックス戦にて糸井嘉男への投球で自身の最速記録を塗り替える164km/hをマークした。
9月28日、日本ハムのリーグ優勝がかかった西武戦に先発出場。15奪三振、被安打1の完封勝利を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献した。大谷選手にとってはこれが初の優勝となる。
この試合で10勝目を挙げたことによって、NPBどころか(MLBも含めた)世界野球史上初となる「10勝、100安打、20本塁打」を達成した。
そして、ホークスとのクライマックスシリーズのファイナルステージ初戦で先発投手を任されるとともに、全試合に打者としても出場。7回無失点の好投やタイムリーを打つなど大暴れした挙句、第五戦では指名打者として出場した後、最終回にDHを解除して救援登板し、最速記録を塗り替える165km/hを複数回記録したり、最速151km/hのフォークボールを投じるなどして三者凡退に打ち取り、ペナントレースに引き続き胴上げ投手となった。
10月25日、札幌ドームで行われた広島東洋カープとの日本シリーズ第3戦で3番DHとして出場、日ハム2連敗中で負けるとカープに王手がかかる大事なゲームで、黒田博樹から二塁打を2本放つと、延長10回裏では2アウト2塁の場面で大瀬良大地から1・2塁間を破るライト前への逆転サヨナラタイムリーを放つ大活躍で日ハムに流れを一気に引き寄せ、2連敗から4連勝へと導き、日ハムの10年ぶり3回目の日本一に大きく貢献した。
投げては113球、6イニング、奪三振11、与四死球4、失点3、自責点3、防御率4.50を残し、打っては16打数6安打で打率.375、打点1となり、日ハム・広島全選手を通じて2位の打率を残した(ちなみに1位は広島のエルドレッド)。
そして迎えた2016年のNPB表彰式でも史上初の快挙を果たす。
なんとパ・リーグベストナイン部門の投手部門と指名打者部門の同時受賞である(本来、投手部門と野手部門の同時受賞は出来ないが、大谷選手の活躍を考慮して規則が変更された)。さらにはパ・リーグMVPまで受賞。2位のブランドン・レアードとは5倍弱の差を付けてのぶっちぎりであった。
2017年
足首の怪我の影響でこの年は不本意なシーズンを送ることになり、投手としての出場は自己ワーストとなる僅か5試合(3勝2敗)に留まった。
しかしながら、9月下旬にはメジャー挑戦の意思を固め、札幌ドーム最終戦となる10月4日のオリックス戦では、大阪タイガース(現.阪神タイガース)のミスタータイガースこと藤村富美男以来66年ぶり、パでは史上初となる「4番投手」で先発出場。投げてはオリックス打線を2安打に抑え、10個の三振を奪う好投で完封勝利。打っては1安打1得点で自身の勝利に花を添え、国内最終登板を有終の美で飾った。また、この起用を決断した栗山監督も多くのファンから称賛された。
11月には球団からも大谷がポスティングシステムを利用してメジャーに挑戦することが正式に発表され、移籍先の球団はもとより、メジャーでも彼の二刀流が実現するのかどうかということについても注目が集まった。
12月、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへのポスティング移籍が内定。背番号は17番。
この時、エンゼルスから「SHO TIME」というキャッチコピーと共に大々的な宣伝を行い、以降彼の活躍を同球団がこの言葉で表現するようになった(が、そのキャッチコピーが元々大将に使われていた物であったことを知っているのは、ファイターズファンのみであった)。
メジャー移籍後の活躍
エンジェルス時代
2018年
MLBオープン戦
鳴り物入りでMLB入りを果たした大谷だが、打者では日本で全くといっていいほどの執拗な内角攻めに遭ったり、彼元で微妙に変化するツーシームに大苦戦して、32打数4安打で打率.125という散々な結果に終わってしまった。
また投手でも、傾斜がきつく硬いマウンドと滑りやすいメジャー公式球に苦しみ、ボールが思ったコースにコントロールができず四死球を連発するだけでなく、160キロ近い速球を投げても回転数(スピンレート)が少ないために、キレとノビがないボールをメジャーの強打者たちにコテンパンに痛打されるなど、4試合を投げ8回・1/3、19被安打、17失点、6四死球、奪三振19、防御率17.28と大乱調で、ここに来て課題が露呈した。
MLBデビュー
MLB初先発が4/1日(日本時間2日)のアウェイでのアスレチックス戦で、6回・球数92で被弾1を含む被安打3・奪三振6・四球1・失点3(自責3)で、メジャー初登板・初勝利*を挙げた。
MLBにおける初白星から興奮冷めやらぬ4/3(日本時間4日)のホーム開幕戦でのインディアンズ戦で「8番DH」でスタメン出場し、第1打席にいきなり3ランホームランを叩き出し、チームメイトから祝福された。このときに実況が放った「Big fly, Ohtani-san!」(ビッグフライ、オオタニサン!)はその後の代名詞となっていく。
その後3試合連続本塁打、7回1アウトまで完全試合など恐るべき強さを見せつけ、MLBを騒然とさせた。「ベーブ・ルースの再来」という声が早くもこの時から出ている。
だが6月以降は肘を故障してしまったことで、投手として出場ができなくなってしまう。オフにトミー・ジョン手術を受けることが決定し、向こう1年間打者に専念することになった。
しかし打者としてホームランを量産し、松井秀喜氏以来のシーズン20本塁打越えを達成。
終わってみれば投手として4勝2敗、防御率3.31、打者として打率.285、22本塁打、61打点。
新人王に日本人選手が選ばれるのは、2001年のイチロー(シアトル・マリナーズ)以来、17年ぶりである。
なお、オープン戦で思うように結果が出なかったために、シーズン開幕前にそのイチロー氏の元を訪れてバッティングに関連する手ほどきをしてもらったことを後に明かしている。
2019年
トミー・ジョン手術からようやく復帰した彼は投手を今シーズンだけ断念して、DHに専念する決意を固めた。
そんな中、6/13日(日本時間14日)、セントピーターズバーグのトロピカーナフィールドで行われたレイズ戦で、「3番・指名打者」として出場し、彼はメジャー日本人初のサイクルヒットを達成した。初回無死一、二塁の打席で先制8号3ランを放つと、三回は左中間二塁打。四回の36分の停電中断をへて試合が再開された後の五回の打席で右翼線三塁打。偉業まで残り単打とした七回の打席中前打を放ち、偉業を見事に達成した。
しかし、9月に左膝の手術を行うために残りの試合を欠場することを発表。
この負傷並びに手術が翌年のシーズンに影響を及ぼすことになる。
2020年
再び投手としてもプレイするようになるも、このシーズンはコロナ禍の影響で試合数が激減。加えて、大谷自身も怪我の影響で全く調子が出ず、投げては2試合で0勝1敗、防御率37.80、打っては66試合中44試合出場で打率.190、7本塁打、24打点と散々。
二刀流はおろか来季の成績如何では放出もありえる状況だった。
2021年
そして怪我から復帰し捲土重来を誓った2021年、ここから二刀流選手として本格的にブレークすることになる。
2021年シーズンはシーズンを通して投打にフル稼働し、しかも投打同時出場を本シーズン20回も記録。打ってはホームランを量産し、投げては多くの試合でQSを達成。投打ともハイレベルな成績を残した。
本塁打は松井秀喜氏の日本人シーズン最多本塁打記録31本を前半戦のうちに上回るという驚異的なハイペースで、最終的に本塁打王には2本届かなかったものの、日本人最高記録の46本塁打を達成した。
投げては2桁勝利に僅かに届かなかったものの9勝2敗(エンジェルスの勝ち頭)、防御率は3.18を記録。立ち上がりに不安が残る試合が多かったものの2桁奪三振をコンスタントに記録し、シーズン100投球回100奪三振を達成した。中でも8月18日に登板した試合では自ら追加点となる本塁打を放ち、勝ち投手となった。
この年のオールスターにも文句なしの初出場。
前夜祭のホームランダービーに日本人として初めて出場し、(1回戦敗退ながら)当時はナショナルズに所属していたフアン・ソト選手(現:ニューヨーク・ヤンキース所属]])相手に2度にわたっての延長戦を繰り広げると、翌日に何と二刀流で出場、しかも「先発として登板し、降板後にはDHとして引き続き出場する事が可能」という特例までつけられた。結局、打者としては無安打に終わったが、投手としては1回を3者凡退に抑え、(オールスター特別ルールにより)勝ち投手となった。
月間MVPも2度受賞し、これも日本人としては初となった。
だが、ホームランダービー出場の影響もあってか、前半戦での無双ぶりに比べると後半戦では調子が今一つ上がらず、前半戦では33本放っていた本塁打も13本に減少。さらにシーズン終盤に入ると、トラウトを筆頭とする他の主力打者が軒並み故障でチームを離脱したこともあって大谷に対するマークが一層厳しくなり、思うように活躍が出来なかった。
投手としては5勝をマークしたものの、ベーブ・ルース以来となる103年ぶりの「2桁本塁打&2桁勝利」はお預けとなった。
それでも「投球回数130.1、奪三振156、安打138、得点103、打点100」の投打5部門でクウィンタプル100超えを達成。当然ながら史上初となる快挙である。
更に135年ぶり史上5人目となる、150塁打150奪三振を達成。地味な扱いをされがちだが大記録である。
シーズン終了後、12冠を受賞したことでも話題をさらった。
主なものだけでも以下がある。
- ア・リーグMVP(満票での受賞)
- プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(両リーグ年間最優秀選手賞)
- エンジェルスMVP
- シルバースラッガー賞
- コミッショナー・ヒストリック・アティーヴメント・アワード
- エドガー・マルティネス賞
こうした目覚ましい功績を受けて、日本政府も22日に国民栄誉賞の授与を打診したが、イチロー氏と同様、彼もまた「貰うにはまだ早すぎる」という理由で受賞を辞退している。
また、2021年のユーキャン新語・流⾏語⼤賞の年間大賞には、「リアル二刀流/ショウタイム」が選ばれた。
このシーズンの活躍により、大谷の二刀流選手としての立場は揺るぎないものとなったが、本人によれば、「もし二刀流として活躍出来なかったら、どちらか一つに絞らざるを得ない」という悲壮な覚悟でこのシーズンに挑んでいたらしい。
2022年
このシーズンのエンジェルスは(序盤は)絶好調で、一時はア・リーグ西地区1位をアストロズと争う程の健闘を見せたが、5月以降は突然失速し、球団史上ワースト記録となる14連敗を喫したため、(その責任を取る形で)ジョー・マッドン監督が辞任した。
対して、大谷は投打共に序盤はやや不調気味であったものの、チームが不調に陥った5月ごろからギアが次第に上がりはじめ、前半戦で本塁打19本、投手としても9勝5敗を挙げるなど奮闘した。
また、オールスターゲームにも2年連続で選ばれている。今年は後半戦以降も見据えてなのか、打者に専念することになり、投手としての登板は見送られた。ホームランダービーへの出場もなかった。
第1打席にドジャースのクレイトン・カーショウ投手からオールスターゲーム初ヒットを放っている。
そして日本時間8月10日、遂に念願の10勝目をマーク。昨年度はあと一歩のところで惜しくも手が届かなったが、その雪辱を見事に果たすことになった。
これにより、ベーブ・ルース氏以来となる104年ぶりの「2桁勝利、2桁本塁打」が達成された。この試合では自ら25号ホームランを放ち、偉業に花を添えた。
そして同年の最終戦で現代MLBでは史上初となる、規定投球回と規定打席数の両方をクリアするという快挙を達成した。
これについて、プロ野球OBにして大谷のプロ入団時から二刀流を一貫して容認していた落合博満氏は
、「プロにおいて投打同時でダブル規定達成できれば、それはもう大奇跡。本塁打を何本打とうが、投手で何勝しようが、数字なんかもうどうでもいい」とまで豪語し、大谷選手の偉業を湛えた。
打者としては本塁打数こそ34本、95打点に終わったものの、打率は.273と前年より上昇。投手としては15勝9敗、防御率2.33、奪三振219、奪三振率11.9を記録し、本塁打・打点・盗塁以外は前年を上回る成績を軒並みに収めた。
そしてシーズン終了後にエンジェルスは大谷選手との契約を1年延長。
年俸は推定43.5億と一気に跳ね上がった。
2023年
WBCが行われた後のシーズンでは、(国内外を問わずに)代表として召集された選手の中にはスランプに陥る選手も少ないが、大谷選手は大きく調子を崩す事もなく、チームの大黒柱として投打共に奮闘。
あわやノーノー未遂&メジャー初完投初完封&2本塁打
7/27、ダブルヘッダー第1試合では、あわやノーノー寸前となる9回8奪三振1被安打無失点でメジャー初完投初完封。シーズン9勝目を挙げた。
その45分後に始まったダブルヘッダー第2試合に「2番・指名打者」として先発出場した。2回の第2打席で3試合ぶりとなる37号2ランを放つと、続く4回の第3打席では2打席連発となる38号ソロ。111球の完封劇からわずか80分後の衝撃弾だった。
2年連続2桁本塁打2桁勝利達成投手
7月末頃から身体の一部が痙攣を起こして交代したり、大谷選手らしくないプレイが続いたりしていたが、8月9日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で自身の被安打3、1失点の好投に味方の援護が重なり、シーズン10勝に到達。2年連続の2桁勝利2桁本塁打の達成。また、この時点で既に前年の記録を超えており、さらなる更新が期待された。
突然のシーズン終了
シーズン途中からは(上記のように)好投を見せた試合があった一方で、これまで決め球としていたスイーパーを打たれて失点することが多くなるなど、コンディションが一定しない試合も多くなった。
8月23日、第一打席でホームランを放つも、先発としても登板していた大谷選手のストレートは140km代と明らかな異常が見られ、僅か2回で緊急降板となった。
それでも、この日のダブルヘッダーには打者として出場するが、試合後の検査結果で、右肘の内側側副靱帯を損傷していたことが判明した。
にもかかわらず、以後の試合にも打者として出場してチームに貢献しようとした。だが今度は右脇腹も痛めてしまい、打者としての出場も困難に。
16日、シーズンを終了する事が発表され、19日に右肘の手術が行われた。
アジア人初の本塁打王&OPS王
2023年シーズンの最終成績は、打者としては打率.304(リーグ4位)、本塁打44本(リーグ1位)、打点95打点、OPS1.066(メジャー1位)、出塁率.412(リーグ1位)、長打率.654(メジャー1位)、盗塁20、投手としては10勝5敗、防御率3.14、奪三振167、奪三振率11.39、WHIP1.06となった。
メジャー史上初・2回目の満票MVP
大谷選手は16日(日本時間17日)、21年以来2度目となるア・リーグのMVPに輝いた。日本人選手の2度目のMVP受賞は初の快挙となり、2度目の満票MVPに至ってはメジャー史上初の偉業となった。その影響が起因して、大谷選手のFA移籍に絡む総額年俸が最大で7億ドル(1050億円)以上にも跳ね上がるのではないのかとも報じられた。
ドジャースへ移籍
シーズンオフ後にフリーエージェントとなり、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。
2日後に、ドジャース広報公式から正式に入団が発表され、同時に背番号は引き続き17番を使用することも併せて発表された。ドジャースではジョー・ケリー投手が17番を使用していたが、大谷選手の加入に伴って背番号を変更することとなった。
この時の大谷選手とドジャースの契約内容は10年(2024–2033年)総額7億ドル(約1015億円)で、プロスポーツ史上最高額を更新している。
総額は、野球界における最高額であったマイク・トラウト選手の12年(2019–2030年)4億2650万ドル(約640億円)を大きく上回ったばかりでなく、それまでプロスポーツ史上の最高額であったリオネル・メッシ(サッカー選手)の4年(2017–2021年)5億5500万ユーロ(約6億7400万ドル、約860億円)をも上回ることとなった。それに伴い、多くの日本企業がドジャーズのスポンサーへ殺到した。
これにより、スポーツ選手としての総年俸額も世界ランキング13位となったことが2024年の調査で判明している。当然、日本人アスリートおよび野球選手としては断トツである。
ドジャース時代
2024年
2月29日に、自身のInstagramで結婚したことを報告。
後日、お相手が元バスケットボール選手の田中真美子氏であることが明らかとなった。
3月20日に韓国のソウルの高尺スカイドームで行われた開幕戦に出場。同国のファンからも熱狂的な歓迎をもって迎えられ、大谷選手も2試合で3安打&2打点&1盗塁を挙げるなど活躍した。
しかし、その最中に、自身の専属通訳として大谷選手を支えてきた水原一平氏が、違法賭博を行ったことによってドジャースを解雇されるというスキャンダルが発生。
メディアの取材に対して「大谷選手が自らの借金を肩代わりしてくれた」と水原氏が証言してしまった(翌日には撤回した)ため、大谷選手自身も何らかの形で関与をしたのではないのかと、ファンやFBIをはじめとする捜査当局からも疑われる事態となってしまった(捜査の結果、大谷選手の関与は明確に否定されている)。
スキャンダルとは無縁なキャリアを送って来た大谷選手にとっては思いがけない形で巻き込まれた格好とはいえ、大きな騒動となってしまった。(詳細はこちらを参照)
開幕9試合目・41打席目のジャイアンツ戦で待望のシーズン初本塁打を放つ。これで重荷が下りたのか、以降は一気に復調する姿を見せた
4月22日(現地時間4月21日)、メッツ戦の第3戦目に「2番・DH」で先発出場し、3回に8試合38打席ぶりの1発となる5号2ランを放った。
これは松井秀喜氏のMLB通算175本塁打を超える「176号」のメモリアルアーチでもあり、日本人選手の歴代単独トップに踊り出ることに成功した。これにより、(まだ時期尚早ではあるものの、)MLB通算200号、日米通算250号、チュ・シンス選手が持つアジア出身選手のMLB最多本塁打記録218号を超えることもいよいよ夢ではなくなってきたと言える。
大谷選手は現地6月25日に24号ソロ先頭打者ホームランを放ち、9試合連続打点となった。9試合連続打点
は球団5人目の記録で、1955年のロイ・キャンパネラ氏(当時のドジャースはブルックリンを本拠地としていた)以来、実に69年ぶりの快挙となった。
そして、6月26日には25号ソロ先頭打者弾を放ち、10試合連続打点となった。10試合連続の打点は打点が公式記録として認定されるようになった1920年以降の105年の歴史の中でも球団史上初の快挙となった。しかも、右腕のリハビリ中というオマケ付きである。
大谷選手は現地7月13日のタイガース戦で今季29号を放ち、MLB通算200号を達成した。通算200号を達成した日本人選手は勿論大谷選手のみ、アジア人選手としてはチュ・シンス選手以来2人目であり、メジャーデビューから809試合目のメモリアル弾でもある。
大谷選手はDH部門の1位でオールスターに当選され、2021年から4年連続の選出となった。レンジャーズの本拠地・アーリントンでの球宴前のレッドカーペットリセプションでは、真美子夫人と夫婦初共演を果たし「恋人つなぎ」を披露した。
現地7月16日に行われたオールスター戦では「2番DH」でスタメン出場し、3回表には自身初となる、オールスターでの本塁打(3ラン)を放った。日本人選手によるオールスター戦での本塁打は2007年のイチロー氏に次いで2人目であるが、柵越えでの本塁打は初である。(イチロー氏の場合はランニングホームランだった)
オールスターで初めてホームランを打ったことで、大谷選手は(2021年の)先発投手としての勝利と(2024年の)初ホームランを同時に達成した、MLB史上初の二刀流選手となった。
現地7月21日の本拠地レッドソックス戦で今季30本塁打放ち、これで4年連続30本塁打を達成した(大谷選手以外で30本塁打をマークした日本人選手は松井秀喜氏のみ)。この本塁打は『DAISO』の看板を通過しての場外弾であった。
50-50(50本塁打・50盗塁)への軌跡(奇跡)
好調の本塁打記録に加え、この年は盗塁でも存在感を見せており、
で1回に続き9回に2つ目の盗塁に成功したことで、今季30個目に到達。1シーズンに30本塁打以上と30盗塁以上の「30-30」を達成した。MLBで過去に「30-30」をマークした選手は複数人いるものの、DH専門としては史上初の快挙となった。
現地8月17日の敵地セントルイスのカーディナル戦で打球角度21°のライナーでの今季38号のソロ本塁打を放ったことでMLB全30球団から本塁打を放ち、MLB全30球団を制覇することに成功した。これは日本人メジャーリーガーとしてはもちろん史上初であり、メジャーデビューからMLB通算209号、過去6シーズンと今季124試合目の快挙となった。
なお、全30球団から本塁打を放ったのは、ベッツ選手やソト選手ら現役選手のなかで19人目となり、MLB史上63人目の快挙となった。
8月23日の本拠地のレイズ戦で4回裏にショートへの内野安打で一塁に出塁し、二盗をすかさず成功したことで自身初の40盗塁をマークし、、9回裏2死満塁まで3-3の場面で大谷選手が右中間に日米通じて自身初のサヨナラグランドスラムで試合を決め、日米通じて自身初の「40HR-40SBCLUB(フォーティフォーティクラブ)」も達成した。
大谷選手の達成はMLB史上最速の126試合目であり、同一試合で同日達成したのは、なんと大谷選手が史上初でもある(因みに、この時点での「41-41」達成者はソリアーノ氏とアクーニャ選手の2名。「42-42」達成者はA・ロッド氏の1名)。
こうなるとMLB史上初の「50-50」もいよいよ現実味を帯びてくる。
現地24日の本拠地でのレイズ戦で「41-41」達成(ソリアーノ氏とアクーニャ選手に次ぐ史上3人目)。
現地28日の本拠地・オリオールズ戦で「42-42」達成(A・ロッド氏に次ぐ史上2人目の達成)。
現地8月30日の敵地フェニックスのダイヤモンドバックス戦で「43-43」に到達(MLBでは史上初)。
現地8月31日に敵地で行われたダイヤモンドバックス戦では、1回表にセンターへ今季44号先頭打者ソロ本塁打を放ち、8月は最終的に「44-43」まで記録を伸ばした。
現地9月6日の本拠地ガーディアンズ戦で大谷選手は、6回裏二死走者なしの場面で今季45号ソロ本塁打を放ち、(「45-46」をマークしつつ)2021年以来の2回目の100打点も達成。
現地9月8日に行われた本拠地でのガーディアンズ戦では、2試合ぶりにライトへソロ本塁打(シーズン46号)を放った。これで、2021年に記録した自己最多の本塁打数に並び、打点も101打点とキャリアハイへ到達。
現地9月11日の本拠地で行われたカブス戦で、大谷選手は1回裏に47号ソロ本塁打を放ち、2回裏無死走者なしの場面で四球を選ぶと二盗をすかさず成功させ「47-48」、打点も104打点をマークし、アダメス選手(102打点)を抜きリーグ単独トップに躍り出た。
現地9月17日の敵地マイアミのマーリンズ戦、3回表にキャリアハイの今季48号2ラン本塁打を放ち、打点もキャリアハイの110打点も更新し、本塁打と打点もリーグ単独トップの2冠王を堅守しつつ、「48-48」。またMLB通算本塁打も219号をマークし、シーズン終了後に現役引退する韓国出身のチュ・シンス選手の218号を抜き去り、MLBアジア人選手通算最多本塁打新記録を樹立した。
現地9月18日の敵地マイアミのマーリンズ戦、1回表の無死走者なしの場面で左前打を放ち、その後はベッツ選手への初球ですかさず盗塁を試みて成功しキャリアハイの49盗塁をマークして「48-49」とし、シーズン50盗塁まであと1個とリーチをかけた。
49盗塁を決めたことで、ロバーツ監督が2006年のパドレス在籍時にマークした記録にも並んだ。
その時、大谷翔平・ドジャース・MLBの歴史が動いてしまった
大谷翔平選手・ドジャース・MLBにとって忘れられない歴史的な伝説の一日となってしまった。
現地9月19日に行われたマーリンズ戦、大谷選手は6打数6安打3本塁打10打点2盗塁4得点17塁打で4-20の圧勝劇に大きく貢献し、そのうちの半分に相当する10点は彼が荒稼ぎした。
1回表の第1打席でライトへ二塁打、スミス選手の打席で50個目の盗塁をマーク。2回表の第2打席で
ライトへ単打、ベッツ選手の打席で51個目の盗塁をマーク。3回表の第3打席でセンターオーバーの特大ヒットを放って三塁をも陥れたが、敢え無くアウトとなってしまい、記録は二塁打。6回表の第4打席で右中間へ49号2ラン本塁打。7回表の第5打席でレフトへ50号ツーランホームラン。9回表の第6打席で右中間へ51号3ラン本塁打と大爆発。もし第3打席が走塁セーフで三塁打だったら自身2回目のサイクルヒット達成となり、2019年のレイズ戦とこの試合のマーリンズ戦のフロリダ州で偉業達成という惜しい展開でもあった(20日のひるおびに出演した、野球評論家の真中満氏がサイクルヒット成立のために、「51号目のホームベースを意図的に踏み忘れすれば記録は三塁打となり、51号本塁打を犠牲にする代わりに2回目のサイクルヒットが達成していた」と語っていた)。終わってみれば、この試合を圧勝したドジャースは12年連続のプレーオフ進出が決まり(この時点での地区優勝はマジック6でまだ未決定)、2018年のメジャーデビューから866試合目にして、念願だったプレーオフに挑むことになり、同時に通算865試合という(自身にとっては)不名誉な最長記録であり、エンジェルス時代から続いた屈辱かつ悪夢でもあった黒歴史に終止符を打った。
チームの勝利を最優先に考え、個人記録やタイトルについては二の次である大谷選手ではあるものの……
- キャリアハイのシーズン51盗塁でドジャース球団シーズン最多盗塁新記録樹立。ついでに現ドジャース監督のデイヴ・ロバーツ氏が持っていたシーズン49盗塁(2006年のパドレス所属時に記録)を超えてしまう。
- シーズン50盗塁の日本人選手はイチロー氏に次ぐ2人目。
- それぞれ自己最多の1試合で6安打3打席連続本塁打10打点。
- 10打点はドジャース球団1試合最多打点新記録樹立。
- キャリアハイのシーズン51本塁打をマーク。エイドリアン・ベルトレ氏の48本塁打とショーン・グリーン氏の49本塁打を一気にごぼう抜きして、ドジャースにおけるシーズン最多本塁打記録の更新。
- キャリアハイのシーズン120打点をマーク。松井秀喜氏が持っていたシーズン116打点を更新し、日本人選手シーズン最多打点記録の更新。
- MLB通算222本塁打をマークし、語呂良く「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」と猫の日と見事に被り、ユーモアとシャレに溢れている珍記録となった
- 日米通算270本塁打をマーク
- 本塁打と盗塁を同試合でマークしたのが今シーズン最多の13回目。MLB通算盗塁王のリッキー・ヘンダーソン氏以来、2人目の最多タイ記録。
- MLB史上初の「50-50」通り越して、MLB史上初の「51-51」も更新
以上、この試合でMLB・ドジャース・大谷選手自身にとっては記録づくめな一日となってしまい、文字通りのユニコーンとなってしまった。
とは言え、神懸かったパフォーマンスを披露してくれた大谷選手が非常に素晴らしいのは言うまでもないが、(松井氏の甲子園5打席連続敬遠事件のように申告敬遠をしても決して誰も責められないのに)その大谷選手を相手に正々堂々と真っ向勝負させてくれたマーリンズのスキップ・シューメイカー監督や選手達のスポーツマンシップには感謝しなければならないし、称賛しなければならないだろう(試合後、ロバーツ監督は大谷選手との勝負を演出してくれたシューメイカー監督に感謝の気持ちを伝えている)。
侍ジャパンでの活躍
第1回プレミア12
2015年の第1回プレミア12で初めて侍ジャパンに選出され、投手としてグループリーグ初戦および準決勝の韓国戦に先発出場。チームは3-4で敗れて3位で大会を終えるも、大谷選手自身は最優秀防御率を記録し、ベストナインにも選ばれている。
第4回WBC
2017年開催の同大会においても活躍が期待され、本人も「絶好調です。稲葉さんを手ぶらで返すわけにはいかない」などの大会への意欲を見せていた。
しかし、突如として10月に痛めた右足首の状態が悪化し、痛みが続けば手術も考えているとして、WBCへの出場辞退を発表した。
上記の理由でWBC出場を辞退したにもかかわらず、翌日には元気にトレーニングをする姿が目撃され、さらには1か月前の1月にダルビッシュ有とキックボクシングをしていた動画が物議を醸した。
第5回WBC
かつての恩師である栗山英樹監督からの召集を受け、アメリカ代表のキャプテンに就任したエンゼルスのチームメイトであるマイク・トラウト選手と並び、早くからWBCへの参加を希望していた。
大谷選手の正式なチーム参加は本番開始直前の3月6日と大きく遅れることになったが、3月5日から試合前練習に参加する形でファンの前に姿を現す。
初陣となった阪神との試合では、2打席連続ホームラン。しかも、そのうちの一打席は片膝を突きながらの打球をホームランにしてしまったため、会場は一時騒然となった。
WBC本戦においてもその実力が衰えることはなく、近藤健介、吉田正尚、岡本和真といった強打者と共に打線を牽引する活躍を見せ、自身もオーストラリア戦にてWBCにおける自身初ホームランを打った。
一方、チェコ戦では先発投手のオンドジェイ・サトリア選手に三振を取られ、サトリア選手を一躍有名にさせてしまった。
投手としても、初戦の中国戦と準々決勝のイタリア戦で先発として登板。初戦は4回を投げて無失点、準々決勝は2失点。打撃では守備をかき乱す策としてセーフティーバントを敢行し、相手のミスを誘った。
その後、プールBのMVPを獲得した。
準決勝のメキシコ戦では、最終回に4-5と敗退の危機に先頭打者としてツーベースヒットを放ち、ヘルメットを脱ぎ捨てて辿り着いた二塁ベース上で雄叫びを挙げるなど、飽くなき闘志を見せた。
大谷選手の活躍は侍ジャパンの奮起を促し、続く吉田選手がフォアボールを選んで出塁し(出塁後に代走の周東佑京選手に交代)、最後はこれまで不振に喘いでいた村上宗隆選手がサヨナラタイムリーで逆転するという劇的な展開で、決勝へと駒を進めた。
「僕からは1個だけ。憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたり、センターを見ればマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたり、野球をやっていれば誰しもが聞いた事のあるような選手たちが、やっぱりいると思うんですけど、今日一日だけは憧れてしまったら越えられないんで。僕らは今日越えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは、彼らへの憧れを捨てて、勝つ事だけを考えていきましょう。さぁ、行こう!」
翌日2023年3月22日。
日本対アメリカの決勝戦。
この試合は片方がホームランを打てば打ち返し、両者が一歩も譲らないという、息詰まる投手戦となった。
9回表、クローザーとして登板した大谷はマクニール選手に四球を与えランナーを出すもベッツ選手を併殺に打ち取り、2アウトでトラウト選手との初対決にして大勝負に臨む。
熾烈な一打席はフルカウントまでもつれ込み、第6球目。
外のスライダーをトラウトは捉えきれず空振り三振。日本は14年ぶりの優勝(大谷選手が出場した大会では初)を7戦全勝で決めた。
大谷選手自身はMVPにも選ばれ、最高な形で大会を終えた。
人物像
他選手と乖離するプロ意識
実力のみならず、野球に取り組む姿勢も至って謙虚かつ真面目であり、プロ意識も非常に高い努力家でもある。チームメイトからも、こうした彼の野球に対するストイックな姿勢や、野球のためにあらゆる努力をつぎ込むことを惜しまない姿勢が報道されている。
生きるため、お金のためにプロに入団し野球をプレイしているのが大谷選手以外の専業選手。一方前者とは対照的に、お金よりも誰も挑戦しない・真似できない野球を純粋にやるためにプロに入団し、「野球を愛し野球の神様に愛されている」のが、他ならぬ二刀流選手の大谷翔平選手のみである。
日本人MLB選手の中ではトップクラスの年俸を稼いでおり、MVPを筆頭とする多くの賞を受賞しているが、彼は「お金は飯を食っていけるだけの経済力のみで充分」と発言しており、良くも悪くも金銭に対する執着が非常に低い(2023年、エンゼルスからFAになった後の交渉では、無利子の後払い契約で余ったお金を別の有力選手の獲得やトレーニング設備の強化に使ってほしいと大谷選手本人から申し出があったらしく、前代未聞な交渉内容だったとスポーツ業界で連日話題になった)。
2023年シーズン終了後の11月8日(日本時間9日)、日本国内にある約2万校の全小学校(特別支援学校も含む)にジュニア用グラブ約6億円以上に相当する約6万個のグラブを寄付することを発表した(各小学校に3つ(右利き用が2つと左利き用が1つ)ずつ寄付される)。
インスタグラムにはサインとともに「野球しようぜ!」と書かれた画像と、“大谷モデル”のグラブが段ボールに詰められた写真を投稿。
「この度、日本国内にある約2万校の全小学校に各3つのジュニア用グローブ約6万個を寄贈いたします。野球を通じて元気に楽しく日々を過ごしてもらえたら嬉しいです」
「このグローブを使っていた子どもたちと将来一緒に野球ができることを楽しみにしています」
と報告した。
フィールド内外での人間性
球場で落ちているゴミを拾ったり、ファールフライを打ってしまった際にダグアウトに呼び掛けて注意を促すなど、周囲への気配りができる人物でもあり、こういった点でも選手やマスコミから好印象を抱かれている。
しかし、彼の野球への専念を徹底するストイックぶりは生まれながらのものでなく、花巻東高時代の厳しい寮生活や、当時はファイターズの監督を務めていた栗山英樹氏による管理の賜物でもある。特に、栗山氏はプロ入り直後の大谷選手に対して、外出の制限や事前報告の義務化を行う事を決めていた。これによって、仮にOBや球界関係者が出掛けに誘っても球団に報告が必ず入るため、大谷選手をそう簡単に誘えなくなった。
実際、プロ2年目の2013年に中田選手に誘われて無断外出した際、球団からの報告でこの事を知った栗山氏は中田選手と大谷選手を厳しく叱責している。結局、大谷選手がエンゼルスへ移籍するまで、栗山氏による外出制限が解除されることは最後までなかった。
人物像
その一方で、栗山氏によると、「結構あまのじゃくなところもある人物」らしく、「『やってくれ』と頼むとやってくれないので、向こうから『やります』と言い出すのを待つ時もあった」とのこと。途中でマウンドを降りることになっても、試合中は謝るような姿勢を見せることは滅多になく、WBC準々決勝のイタリア戦で降板した時に「すみません」と謝った姿には、さすがの栗山氏も驚いたという。
また、「彼とはいつも野球の話しかしない。むしろ野球以外の話をするところを見たことがない」とも述べており、良くも悪くも野球のことを第一に考え続けている(悪い言い方をすれば、野球の事しかほぼ眼中にない)人物であることが窺える。
上記のように(野球の為であれば多額の出費も惜しまない)独特の価値観や、「普段は主食として塩だけで味付けしたパスタを食べている」というエピソードがそれを物語っていると言えるだろう。また非常に負けず嫌いの部分もあり、子どもの頃から負けん気が強いエピソードも多い。
上記の二刀流への挑戦も、OB達への反発からより傾いたとされている。
歴史が好きで特に幕末が好み。自ら世界を開く「開拓者精神」に憧れを持っている。
先輩・後輩関係なくチームメイトを揶揄ったり弄り倒したりすることも割とあるなどイタズラ好きな一面もあり、それ故日ハム時代は中田翔、近藤健介、上沢直之、杉谷拳士氏等の先輩から(冗談混じりに)“クソガキ”と呼ばれていたこともあるらしい。
こうした傾向はメジャー入りしてからも全く変わっておらず、ベンチではチームメイトとじゃれ合ったり揶揄ったりしたりしている様子が映されることも。
評価・人気
国内での知名度および人気ぶりは、テレビのニュース枠のほとんどを埋まるほどで、彼個人で国民的タレントやアイドルユニットすらも遥かに上回っているようにも感じられる(当然、そんなタレント達にも彼のファンは圧倒的に多い)。彼のCM数やその単価は、下手な選手やタレント・芸能人よりも非常に高額である。
長年にわたって芸能界で活躍するナイツの塙宣之ととんねるずの石橋貴明が「野球の名選手はお笑い界の誰に相当するか」という議論をしたところ、「コントと漫才両方でトップクラスの活躍ができる二刀流、東北では好感度も高い」という共通点から、サンドウィッチマンの二人で大谷に相当すると結論付けている。
「世界で影響力が最もある100人」にも(メジャーは元より)世界中の数多くいるプロ野球選手の中から唯一選出されたり、「世界アスリート人気ランキング」でも野球選手として唯一ベスト10入りを果たすほどのアスリートとなっている。
観客だけでなく、現役メジャーリーガーたちの間でも人気者となっており、敵チームの選手と大谷選手が試合前やプレイの合間に笑顔で話すようなやりとりも数多く散見される。バーランダー投手のように、ベテランの域に既に達している選手ですら大谷のファンであることを公言している者までいる(バーランダー投手の実弟であるベン・バーランダーさんも「大の大谷翔平マニア」を公言している)。アメリカ以外の野球選手達からもファンは多く、WBCでは試合中ですら生の大谷を見て感激している選手までいたりした。
トロッコ問題に代表される答えのない・出しづらい問題を授業の題材として扱うハーバード大学のマイケル・サンデル教授も大谷選手のファンであると公言しており、彼が理想としている「成功しても謙虚な姿勢」における絶好な見本と絶賛している。
ネット上では、大谷に加え、藤井聡太竜王名人、元フィギュアスケート選手の羽生結弦氏らが「なろう系主人公」と度々評されることもある。
二刀流誕生&復活秘話とその影響力
※ 詳細は「二刀流(野球)」の記事も参照の事
勘違いされやすいが、彼のプレイスタイル「二刀流」は本人が元々志願したものではなく、ドラフト交渉の際に日本ハムから提案されたもの。更に言えば、「二刀流を積極的に目指した」というよりは、「検討段階で投打のどちらかに絞ることができなかったので両方やらせてみた」というのが実態としては近い。
しかし、これまでに投打にわたって大成できた野球選手は誰一人として存在しなかったことから、大谷選手が二刀流への挑戦を表明した際には、ファンや関係者からは否定的な意見が圧倒的に多かった。
しかし、その後の目覚ましい活躍によって、大谷選手および二刀流というプレイスタイルへの評価は一変することとなる。
かつて、ヤクルトや楽天で監督を務めた野村克也氏も、当初は「プロ野球を舐めんな」「二兎を追うものは一兎も得ず」と反対していたが、大谷選手の覚醒ぶりを見て、「あれを見れば、(野村氏自身はキャッチャー専門だった)俺でも(二刀流)やらせたくなる」「将来、大谷がどうなるのかが分かる頃にはワシはもう居ないだろう。だから終わった人間のことなんかどうでも良い。常識外?結構な事や。不滅の記録を打ち立てれば良い、挑戦は若さの特権だ」と大谷選手への激励を遺し、2020年に84歳で亡くなった。
2022年シーズンからは、ナ・リーグにもDH枠が可能となることで両リーグのユニヴァーサルDHが採用されただけでなく、投手として登板した選手を降板させる場合、DH枠に入れ替えて出場を続けられるというルール改正が導入された。このルールは第5回WBCから国際大会にも適用され、日本でも独立リーグなどで導入が検討されているという。
ゲームにおいて
野球ゲームのパワプロシリーズでは入団翌年のパワプロ2014より収録。OPにもファイターズの代表選手として登場しており、二刀流を表現する為にピッチングとスイングをする大谷が同時に登場するという演出がなされた。パワプロ2018以降はOB選手として収録されている。他にも試合中にDHを解除する機能や大谷ルールが採用されるなどゲームのシステム、サクセスモードで二刀流選手が作れる可能性をより広げる等、ゲームの方向性にも大きな影響を与えている。
プロ野球スピリッツAではWBC決勝から数時間後に開催された侍ジャパンガチャにて他のメンバーたちと共に実装され、盛り上がりの効果もありあっという間にセールスランキング1位を達成した。
2024年1月にパワプロが30周年、プロスピが20周年の節目を迎えるとして大谷翔平が公式アンバサダーに就任することが発表された(これが発表されたニンテンドーダイレクトでは冒頭からいきなり大谷選手が登場したため、視聴していたファンを驚かせた)。パワプロ2024では早期購入特典として大谷とパワプロくん、ガンダーが共に写ったパッケージスリーブが用意された。パワプロ2024の起動画面のイラストではパワプロくん達とゲームを楽しむ大谷が描かれており、OPでは(歴代OB選手が集結した中で)大トリとして登場。
日本ハム時代の2016年版と侍ジャパンとして活躍した2023年版の2種類が収録されており、それぞれ「対決!レジェンドバトル」というモードで1打席勝負を行い、勝利すると使用できるようになる(ゲーム内ポイントを消費して解放することも可能)。2023年版はスイーパーがオリジナル変化球として実装されている。
MLBを取り扱ったアメリカ製ゲーム「MLB THE SHOW」の22年版ではパッケージを飾る大抜擢となり、更にはMVP Editionとして漫画風イラストの特別パッケージ版も販売されている。
余談
中学・高校時代の体力テストでは、全種目で満点を獲得して全国1位に輝いたことがある。
授業も真面目に受けていたのだが、高身長で足が長すぎた為、一般的な学校用机では収まらず、常に足を外に出していた。学校で悪い生徒と思われないように、当時の担任の先生が近所の町工場に机を生徒達に運ばせ、机の足の部分を長くして専用に改造させたエピソードがある。
渡米前と渡米後では体重が20kg近く増量しており、タレントやOBが大谷選手と会う度に「身体がまたデカくなっている」と驚くことが多い。
多摩動物公園生まれで、現在は神戸市立王子動物園に飼育されているアムールトラの雄、「ショウヘイ」は彼の名から取られている。(多摩動物公園出身のトラの名前は基本的に有名アスリートから取るのが通例であるため)
小学一年生の頃に書かれたものとみられるノート(参照ツイート)には、将来の夢に「野球選手」と書かれていた。まさか、ここまで活躍するとは大谷選手本人も思わなかっただろう。一方で、それ故に「普通の(大人の)人」になれなかったようだ。また、とあるキャラクターの絵も書かれており、かの原作者も反応していた(参照ツイート)。
メジャーリーグでプレーする現役選手の中で、「アメリカ野球殿堂入りの筆頭候補者」として(主にメジャー関係者各位から)既に注目されている。それどころか、問題は殿堂入りそのものではなく、マリアーノ・リヴェラ氏以来となる、「得票率100%での殿堂入り」となるのかに当てられており、世界中のMLBファンから日増しに期待されている。
2024年にロサンゼルス市は、5月17日を「大谷翔平の日」とすることを決定、大谷選手がドジャースに在籍している間のみに適用されるという。これは、5月がアジア・太平洋諸島にルーツを持つアメリカ人の文化遺産継承月間であること、ドジャースでの大谷選手の背番号が17であることに因んだもの。
大谷選手自身もロサンジェルス市議会場にサプライズで登場し、記念日を制定してくれたことに感謝するスピーチをしている。
因みにアメリカ時間の5月17日は日本時間の5月18日に当たり、その日は大谷選手の実父である大谷徹氏の誕生日でもある。つまり、5月17日は「大谷翔平の日」と同時に「大谷選手の父の誕生日」でもある。
オオタニが選手のあだ名として使うには「そもそも二刀流の活躍ができる」ことが前提となる為、プロやトップレベルのアマチュアでも滅多にないが、アメリカの大学ではジャック・カグリオーンという剛速球の本格派ピッチャーかつチームの主砲として米大学野球の本塁打記録を塗り替えた、まるで大谷のような活躍を見せている選手がおり、「ジャックタニ」の愛称が付けられた。
関連項目
関連人物
- ベーブ・ルース:投手と打者のどちらの分野でも傑出した成績を残した偉大な選手。通称「野球の神様」。大谷選手も彼に肖って「令和のベーブ・ルース」と紹介された事がある。
- 栗山英樹:日本球界時代の恩師で、大谷選手の(二刀流選手としての)キャリアの礎を築き上げた。
- 菊池雄星:花巻東高校の先輩。上述したように、大谷選手は彼に憧れて花巻東に進学した。
- 藤浪晋太郎:同世代のプロ野球選手で、日本球界時代はライバルとして扱われていたこともあった。
- ダルビッシュ有:現在メジャーで活躍する日ハムの元エース。大谷選手は「みちのくのダルビッシュ」とも呼ばれており、ダルビッシュ本人とも交流がある。第5回WBC大会では侍ジャパンでチームメイトとなった。
- 近藤健介:大谷の一つ上の先輩にして日ハム時代のチームメイト。現在は外野や指名打者としての出場が多いが、若手時代のポジションはキャッチャーで、大谷とバッテリーを組んだこともある。第5回WBC大会では2番バッターを務めた。
- 山本由伸:第5回WBC大会では侍ジャパンのチームメイトとなり、後にMLBのドジャースでも大谷選手とチームメイトとなった。公私の両面で「翔平さん」「由伸」と呼称し合うほどの間柄となっている。
- 田中真美子:日本代表への招集歴もある元女子バスケットボール選手。ポジションはセンター。大谷選手の妻。
- デコピン(大谷翔平):大谷選手の2番目の愛犬。犬種はオランダ産のコーイケルホンディエ(人物ではないが、一応、ここに記載)。
その他
- 不可能を可能にする男:元々はとある機動戦士ロボの男子キャラクターの異名・口癖ではあるものの、MLBの常識を悉く塗り替えてしまう大谷選手に最も相応しい代名詞となっている。
- ユニコーン:メジャーでも唯一無二な存在として、アメリカ人が彼に呼称する創造的な一角獣。
- ガブリアス:身長と体重が一緒。物理寄りだが戦法次第で二刀流も視野に入る。
- 藤井聡太:大谷選手と同じ時代に活躍しているプロ棋士で、こちらもリアルチートとの呼び声が高い。
- 羽生結弦:大谷選手と同世代のプロフィギュアスケーター。こちらも幼少期からスケートに打ち込み、様々な大会やオリンピック等で無類の強さを誇った。また、その謙虚な姿勢とスマートな外見から、老若男女問わず好かれていた。
- 茂野吾郎:漫画に登場するキャラクターだが、よく比較対象にされる。ただし、プロでは専業投手で二刀流は全くやらない(20歳前後の頃は2021年以前のナ・リーグのように登板する試合のみバッティングも熟したが、20代後半はクローザーに専念していたため、バッティングは全くやらなかった。しかし、MLBを離れてNPBに出戻った際は投手を完全に断念し、野手に転向して現在に至る)。
- 球神転生:2024年1月から連載されている野球漫画。球極の野球人(アルティメット・ボーラー)/九刀流(クトゥルー)と呼ばれた王谷翔兵衛という人物が、現役引退後に世界連合初代総裁となり、野球至上主義(ヤキュウコソガパワー)の80億人総野球人時代を作り上げたという壮大な世界観になっている。