中田翔
なかたしょう
2008年に高校生ドラフト1位で大阪桐蔭高校から北海道日本ハムファイターズへ入団。
ミスターファイターズの二つ名で親しまれ、前年に引退した田中幸雄が着けていた背番号6を継がせたことからも、期待の高さがうかがえる。なんでもない凡プレーでも札幌ドームを沸かすスター性の持ち主。
メジャーリーグへ挑戦・移籍した先輩のダルビッシュ有に「これからの4番を背負って立つ選手になってほしい」とエールを送られた。その言葉に応えるように2010年にプロ初ホームランを記録し、2012年は見事開幕4番の座を手に入れた。その後は日本ハムの欠かせない主砲として活躍し、2014年に打点王を獲得。その後2016年・2020年にも打点王に(ちなみに、2020年は105安打108打点と、安打よりも打点の方が多い打点王という珍しい記録を残している)。
2021年、前年とは打って変わって調子を落とし、打率1割台と試合中に起きた急性腰痛で苦しむ。8月4日のエキシビションマッチ・対DeNA戦(函館・千代台公園野球場)の開始前に井口和朋に対してベンチ裏で暴力行為を行っていたことが判明。試合中に退場、自宅謹慎ののち当面、一軍、二軍全ての試合の出場停止処分を科された(参考1、参考2)。
仮に処分が解除されても、チームメートとの関係が悪い状態のままになると上層部が判断、同月20日に読売ジャイアンツへの無償トレード移籍が決まった(当たり前の話ではあるが、コンプライアンス重視の昨今においては、暴力行為への処分としては余りにも生温い内容であったことから、野球界のOBからは非難轟々、また下がり調子だったチームから好調かつ人気の球団に移籍した様子から得をしているようにも見え、ネットでは移籍RTAなどと揶揄された)。
移籍後はそのような事情を抱えながらもクリーンナップ後の下位打線に置かれたり、代打や主力打者の交代要員として戦力に加えられた。
2022年はそれまで4番打者を任されていた岡本和真が打撃不振に陥り、自身が打撃好調なこともあって(8月からは)彼の代わりに4番打者として起用されるようになった。最終的には、打撃及び一塁守備において日本ハム時代より安定感が増す形で復調しており、一戦力として定着した。
2023年、坂本勇人がシーズン途中に遊撃手から三塁手へコンバート。岡本和真が一塁手のレギュラーになることが確定的となったため、出場機会を求めて同年シーズンオフに契約破棄を申し出て巨人を退団。程なくして中日ドラゴンズとの契約が決まった。
- 打者としては打撃好調・不調の時期の差が激しく、また代打ではなく先発(スタメン)起用でないと結果を残せないタイプ。
- 日本ハム時代は犠打(バント)を決める機会がなく、巨人移籍後の2022年に(通算6245打席目で)初めて犠打を記録した。
- ダルビッシュ有を兄貴分として慕っている。TwitterなどSNSを始めたのは彼の影響によるもの。
- 打線の主軸を担うようになると、逆に自身のほうが兄貴分に。巨人移籍後、若手の秋広優人は一緒に自主トレに参加するなど「師匠」として慕っている。
- 若手時代、二軍試合後のトークショーで歌を披露(曲はEXILE)。意外なほど上手く、ルックスにそぐわぬ甘い歌声を聞かせる。
- 2011年のチャリティCDで松山千春のモノマネを披露。高音部を含めてそっくりで、全日本ハムファンが戦慄した。
- 「世話役」である杉谷拳士をいじることが多い。リアル野球BANでは杉谷にいじられた(ちなみにリアルでは同じチームメイトではあるものの、同企画においては異なるチームで対決するために毎回ライバル同士となる)。特に金のネックレスをしている事に関しては杉谷のみならず石橋貴明にもいじられている。
- …が、巨人へと移籍後は(事が事だけに)オファーがかからなくなったのか、杉谷とは対照的に石橋にすら「不出演」をイジられる事すらなく(石橋は大抵この手の話題をネタにトークを広げる傾向にある事を踏まえると、「例の暴行の一件」が石橋をもってして捌けない深刻な状況である事がうかがえる)、実質的に「リアル野球BANにおける盟友」である山田の後輩たる村上宗隆に後釜を譲った形となった。
- シーズン中でもストレッチ用器具をぶっ壊したり、杉谷のロッカーにごみを捨てていたりなどやりたい放題だったらしい。
- 中田が巨人に移籍した後も二人の関係は良好で、交流戦で再会した時には相変わらず杉谷をイジっていた。
- 憧れの清原和博に「非凡だな」と褒められるも、「非凡って何っすか?」と返した。
- スライディングパンツと相性が悪いので、陰毛をバリカンで刈るのが日課(バットは少年らしい)。
- 2012年1月、高校の同級生と結婚。自筆の似顔絵がかわいいと評判を受けた。子供は4人いる。
- 少年時代はヤンチャで、中学時代にあまりに素行が悪かったため、地元・広島の高校からはどこも声がかからなかったと言われる。素行の悪さに目を瞑って入学させてくれた大阪桐蔭高校には感謝しているという(でなければ本当に高校進学すらもできなかったとされる)。プロ入り後も陽岱鋼に先輩へのタメ口を注意されると「自分はこういうキャラなんで、曲げるつもりはないっすよ。嫌なら別に離れていけばいいじゃないですか」と悪びれもしなかった。