概要
保護地域(ホームエリア)は北海道。
2024年現在、福岡ソフトバンクホークスと共に本州以外に拠点を置く球団でもある。
現在の親会社は食料品メーカーの日本ハム。球団会社名はチーム名と同じで、通称は「日本ハム」、「日ハム」、「ファイターズ」など。Web上では「ハム」を合体させて俗に「公」と書かれることもある。
歴代オーナーは日本ハムの創業者でもある大社氏の一族が受け継いでいる。初代の大社義規氏は球団オーナーとして初の野球殿堂入りという輝かしい功績を残した。
2023年現在、球団のチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)を前監督である栗山英樹氏が務めている。
チームカラーは明るい青。制帽は黒だったが、2022年度からこちらも明るい青に変更された。北海道移転前のチームカラーはオレンジで、応援旗などにその名残がある。
1軍の本拠地は北広島市にあるエスコンフィールドHOKKAIDO」。2022年度までは札幌市豊平区の「札幌ドーム」を使用していた。イースタン・リーグに所属する2軍は、千葉県鎌ヶ谷市の田園地帯にある「ファイターズ鎌ヶ谷スタジアム」を本拠地としている。1軍と2軍の立地が大きく離れている理由は後述。
移転前の2003年まで本拠地として使用していた「東京ドーム」では、準本拠地として2022年まで主催試合を年間数試合開催。
チームの起源は1946年に東京都を拠点として発足したセネタースに始まる。その後東京急行電鉄資本の東急フライヤーズ、急映フライヤーズ、(再び)東急フライヤーズ、映画会社東映資本の東映フライヤーズ、不動産会社日拓ホーム資本の日拓ホームフライヤーズと、親会社とチーム名を変えている。
73年オフに日本ハムが買収し日本ハムファイターズに変更。そして2004年に本拠地が北海道に移転し、現在のチーム名となった。
なお、直接の系譜ではないが、戦前に存在していた「東京セネタース」に関係する2球団のうちの1つ(もう1つは埼玉西武ライオンズ)。チーム発足時のメンバーはこのチームの中心選手達であり、名称もこのチームからとられている。
これまでに7回のリーグ優勝と3回の日本シリーズ制覇を達成している。特に北海道移転後は15年間でリーグ優勝5回、日本一2回を記録するなど大躍進を遂げている。
球団史
本拠地北海道移転前の球団史については、東急フライヤーズ、東映フライヤーズ、日拓ホームフライヤーズ、日本ハムファイターズの個別記事を参照。
北海道移転と「新庄劇場」~ヒルマン監督時代~
2004年シーズンより、本拠地をそれまでの東京ドームから札幌ドームへ移転。これにより北海道に初めてプロ野球チームが誕生することになった。
ただし移転したのは1軍だけで、鎌ヶ谷にあった2軍はそのまま残した。これは当時楽天が存在しなかったため、1チームだけ遠方からの参加になると選手や他球団の負担が増大してしまうことや、北海道では気候上秋から冬にかけて屋外の練習を行うのが困難であり、その期間での練習が可能な屋内施設の建設には用地の確保を含め1軍移転時を上回りかねない程の時間や経費を要することが予想されたことなどが要因として挙げられている。
選手達は北海道移転と同時に、ペナント争いに加え「不人気球団であるファイターズを北海道に根付かせる」というもう一つの戦いを開始する事となる。当時の北海道は地方遠征の一環として多く試合を行っていた読売ジャイアンツのファンが多く、ファイターズの知名度は皆無に等しい状態であった。
そんな中、阪神時代に明るいキャラクターで人気を誇っていた新庄剛志がMLBから復帰、登録名「SHINJO」としてチームに加入した。彼の様々なパフォーマンスは「新庄劇場」として報じられ、そのおかげでファイターズは前年までとは比べ物にならないほどメディアに取り上げられるようになった。その新庄はファイターズ入団時、「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」という2つの目標を掲げた。
移転1年目の2004年は3位。横山道哉が最多セーブ、フェルナンド・セギノールが本塁打王に輝く。また、SHINJOの「幻のサヨナラ満塁ホームラン転じてサヨナラヒット」が飛び出した。そしてそのオフ、ヤクルトスワローズからFA移籍で稲葉篤紀(球団初のFA獲得)を、ドラフト1位でダルビッシュ有を獲得。しかし、2005年は稲葉を筆頭に打線が深刻な不振に悩まされ5位に終わる。同年岩本勉が引退。
翌2006年はシーズン始めに新庄が引退宣言という衝撃に見舞われながらも、攻撃力だけでなく守備力・投手力でも圧倒的な力を見せ25年振り3度目の優勝。その野球は「確実に1点を取って守り切る野球」「森本・新庄・稲葉はプロ野球歴代屈指の名外野陣」と謳われた。そしてこの年の日本シリーズでも中日ドラゴンズを破り、前身の東映フライヤーズ時代で日本一になって以来44年ぶり(球団名が「ファイターズ」となってからは初)の日本一を達成。新庄は現役最後の花道を見事に飾り、「満員の札幌ドームで日本一」という目標も達成させた。また、ヒルマン監督がインタビューで度々使ったフレーズ「シンジラレナ〜イ」はその年の流行語大賞にもノミネートされた。オフに小笠原が巨人にFA移籍。
2007年は前年の「確実に1点を取って守り切る」がより徹底されてリーグ2連覇を飾るものの、再び中日との顔合わせになった日本シリーズでは1勝3敗で迎えた第5戦で山井大介、岩瀬仁紀の前に準完全継投を喫して敗れる。オフにこの年2000本安打を達成した東京時代からの功労者で「ミスターファイターズ」こと田中幸雄が引退し、ドラフトで中田翔を獲得。田中の背番号6は中田に引き継がれた。また、あの多田野数人が入ったのもこの年(当時は高校生と大学社会人ドラフトが別だったため、両者ともドラ1)。そしてこの年ヒルマン監督は退任した。
梨田監督時代
2008年からはかつて近鉄バファローズでいてまえ打線を率いてリーグ優勝に導いた経験を持つ梨田昌孝が監督に就任。1年目は怪我人続出による貧打に悩まされ3位に終わったが、翌2009年は優勝を飾る。この年はエース級のピッチャーが武田勝、ダルビッシュの2人しかいなかった先発陣を林昌範、江尻慎太郎、宮西尚生、武田久、菊地和正ら強力リリーフ陣ががっちりカバー。さらに大野奨太、二岡智宏の入団と糸井嘉男の大ブレイク、そして金子の打棒の爆発もチームに勢いを与えた。しかし日本シリーズでは通算二度目の対決となった巨人の前に敗れる。
同年、初代オーナー・大社義規氏が野球殿堂入りしたことで、1981年のリーグ優勝に際して氏が胴上げのために用意していた背番号100が球団初の永久欠番となった。
2010年は榊原諒が新人王、小谷野が打点王に輝く活躍を見せ、陽岱鋼の覚醒もあったが、序盤の低迷もありチームは4位に終わる。オフに建山義紀がメジャー移籍を目指し、森本がFA移籍で横浜ベイスターズへと移籍した。2011年は投手陣が圧倒的な力を見せるものの梨田の退任報道が出ると一気に打線が機能不全に陥った結果2位となる。梨田の後任には栗山英樹が就任した。
栗山監督と「二刀流」大谷翔平
栗山監督1年目の2012年は吉川光夫が成長し、ハンカチ王子・斎藤佑樹や武田勝とともにリリーフ陣の不調の穴を埋め、リリーフも後半戦から怒涛の勢いで登板し続けた増井浩俊が活躍、多田野や中村勝、谷元圭介が斎藤の抜けたローテを埋め、打線も稲葉や鶴岡が大車輪の活躍を見せ3年ぶりの優勝を飾り、絶好調のまま迎えた日本シリーズでは巨人の前に三度敗れる。オフに糸井が契約で揉め、年明けに糸井は八木智哉共々トレードでオリックスへ放出。木佐貫洋・大引啓次・赤田将吾を獲得した。
そして同年オフ、メジャー挑戦を表明していた大谷翔平をドラフトで強行指名。「投手と打者の『二刀流』を目指す」という栗山監督の説得に押され入団が決定した。
2013年はその大谷が大いに注目され、ミチェル・アブレイユのホームラン王獲得や陽の盗塁王獲得という明るい話題もあったものの、糸井やメジャー挑戦の田中賢介らの穴を埋められず、また主力選手の多くが不振やけがに苦しみ、結果として北海道移転後では初の最下位に転落してしまった(また、9年目で初めて楽天より下の順位(楽天1位、日本ハム6位)になった)。オフには正捕手・鶴岡がFA宣言してソフトバンクに移籍。
2014年は名参謀・白井が復帰し、鶴岡の穴を大野が埋めたものの主力が軒並み揃って不振、熱い優勝争いを繰り広げたソフトバンクとオリックスの上位2チームに大きく離された3位。この年をもって稲葉と金子誠が引退し、オフに大リーグから田中賢介が復帰した。しかし、小谷野と大引はFA宣言しそれぞれオリックス、ヤクルトに移籍。ドラフトでは有原航平を1位指名し競合の末獲得。
2015年は大谷の開幕7連勝、吉川の復活、増井の球団新記録となる39セーブ達成と投手陣を中心に明るい話題があったものの、ソフトバンクには及ばず2位に終わる。
2016年、エース・大谷、有原がファイターズの二本柱となって投手陣を支えたが吉川の不振もあって開幕ダッシュに失敗、ソフトバンクに最大11.5ゲーム差をつけられる。しかし、6月19日から7月11日まで怒涛の15連勝と勢いづき猛追。
7月、エース・大谷が指のマメをつぶして投げられなくなってしまい打者に専念することに。打者としても非凡な大谷はそのまま打者に専念すると22本塁打、67打点を挙げるポイントゲッターとして働き、また西川遥輝、陽、中田、39本塁打を放ったブランドン・レアードら攻撃陣の活躍、リリーフ登板が多かった3年目の高梨裕稔、クローザーを務めていた増井が先発に転向してみごとに大谷の穴を埋めることに成功。独走していたソフトバンクを捉えてリーグ優勝を決めた。日本シリーズにてこの年のセ・リーグを制した広島東洋カープを破り、2006年以来10年ぶりの日本一を達成。
二刀流去りし後の栗山長期政権
2016年シーズン終了後、巨人との間で吉川&石川慎吾と大田泰示&公文克彦の交換トレードが成立。
2017年はシーズン開幕早々、大谷が太もも肉離れにより長期離脱したほか多くの主力選手も故障・不振により離脱、WBC日本代表として出場した中田や中継ぎとしてチームを支えた谷元の不振、打率4割を超えていた近藤健介が椎間板ヘルニアによりシーズン終了間際まで長期離脱。大谷・増井・高梨ら先発投手陣もいなくなるなどした結果、7月の成績は4勝18敗という大不振に陥り、5位でシーズンを終えた。
フロントはシーズン中に大黒柱・大谷翔平をポスティングシステムにより大リーグへの放出を容認することを発表。シーズン終了後、エンゼルスへの移籍が決定した。また長年正捕手をつとめた大野奨太がFAで中日に移籍したことにより、かつてチームに在籍していた鶴岡慎也・實松一成の両ベテラン捕手を獲得。同じく長年にわたり先発・中継ぎ・抑えとして投手の柱の1人であった増井もFAでオリックスへ移籍。また、ドラフトでは高校通算111本塁打を記録した早稲田実業の主砲・清宮幸太郎を1位指名、7球団競合の末に交渉権を獲得し入団する。
2018年、2004年の札幌ドーム移転時からの懸案であった借地料問題がこじれ、北広島市に新球場『エスコンフィールドHOKKAIDO』を建設し、2023年をめどに移転することで決着を見た。
同年は前半戦を2位で折り返すが、後半戦は破竹の勢いの西武、追い上げ体制に入ったソフトバンクの勢いに飲まれ3位に終わった。期待のルーキー・清宮は7本塁打止まり。クライマックスシリーズはシーズンの勢いをそのまま持ち込んだのソフトバンクに敗れ去り、1stステージで敗退。ドラフトでは100回目の夏の甲子園の決勝で投げあった吉田輝星、柿木蓮らを獲得、またシーズンオフに台湾から王柏融が、またオリックスを自由契約になった金子千尋が加入。
2019年は吉田の本拠地一軍デビュー初勝利、「スギノール緊急来日」など明るい話題が目立ち、前半戦を2位で折り返したが、8月に入り大失速。一時は最下位に沈んだが終盤で巻き返し5位。吉田も2戦目以降対策され打ち込まれてしまった。シーズン終了後、ヘッドコーチ兼打撃コーチとして何と小笠原道大が実に14年ぶりにファイターズへ帰還。
栗山政権末期は若手の伸び悩みが目立つようになった。
2020年は中田翔が打点王、近藤健介が最高出塁率のタイトルを獲得する一方で、投手陣はチーム最多勝が有原航平、ドリュー・バーヘイゲン、上沢直之の8勝止まりで、5位でシーズン終了。シーズンオフには有原がポスティングシステムを利用してMLB挑戦。
栗山政権最終年となる2021年は、若手・清宮が1軍出場機会なし、また中田がトラブルを起こしシーズン途中で巨人へトレード移籍。新人・伊藤大海の好投もあったが3年連続のBクラス・5位となった。ハンカチ王子の斎藤らが現役を引退、更に新監督就任と前後して西川・大田・秋吉に対して「ノンテンダーFA」(=自由契約)が通告され、3人とも他球団に移籍。またこの年は栗山・小笠原含め多くのコーチが退団している。
配置転換等も踏まえると、そのまま一軍コーチへ留任したのは武田勝・金子誠の生え抜き両名のみであった。
「新庄劇場」第2幕、「BIG BOSS」の時代
国際大会で日本代表監督を務めていた稲葉篤紀がフロント入りしゼネラルマネージャー(GM)に就任、また栗山の後任には札幌ドーム黎明期を沸かせた新庄剛志が監督に内定。またチームロゴとユニフォームを一新し、明るい青を基調とした新しいデザインに変更された。
札幌ドーム最終年となった2022年。新庄監督は1年間限定で自身の愛称「BIG BOSS」を登録名として使用し、「支配下登録の日本人選手を必ず一度は1軍の試合へ出場させる」という公約のもと、数々の若手選手を積極的に起用。見事この公約を(怪我により物理的に出場不可能だったジョン・ガント投手を除いて)実現させ、松本剛や清宮など眠っていた戦力を次々発掘することに成功。一方で戦力や作戦面で発展途上の段階であったため、最下位でシーズンを終えた。松本剛は球団右打者初の首位打者及び外野手部門のベストナインを獲得し、加藤貴之は年間最低与四死球を更新。その一方でムードメーカーだった杉谷拳士、ベテランの金子千尋が引退。
また、主催試合で採り入れられたきつねダンスがネットを中心に大流行。自軍選手のみならず他球団の選手をも虜にし、野球の試合以外でも披露させるなど、大きな話題を呼び、この年の流行語大賞トップテンを受賞するまでに至った。
複数年契約の切れた選手会長・近藤健介がFA宣言し7年50億の超大型契約を提示したソフトバンクへ移籍。彼の移籍に対する人的補償として、投手の田中正義をクローザーとして獲得。また更にはオリックスからFAした伏見寅威を獲得(日本ハムのFA選手獲得は2017年オフに復帰した鶴岡を除くと稲葉以来のこと)、新人指名ドラフトでは二刀流の矢澤宏太、元MLBの加藤豪将らを指名。その他2022年オフから2023年7月にかけて積極的なトレードを敢行した。
2023年、球団としては駒沢球場以来実に61年ぶりとなる自前の球場『エスコンフィールドHOKKAIDO』が無事に完成し、本拠地を移転して心機一転で臨んだシーズンは、一時は4位にまで順位を上げるもオールスター前後で悪夢の13連敗を記録し失速。「慣れない新しい天然芝の球場」の影響もあり、エラーの多い守備が安定せず北海道移転後初の2年連続最下位に沈んだ。同年シーズン終了後、秋のキャンプでこれまで借地だったため不可能だった「本拠地を使用した守備練習」を緊急決定した。
シーズンオフには上沢がポスティングシステムを利用してMLB挑戦。一方で今季FA権を取得し移籍が濃厚と見られていた左のエース、加藤貴之と4年12億円の大型契約を結んで残留を決め、さらにオリックスからFAとなっていた山﨑福也とも4年8億の契約を結んで獲得、また外国人は最多8人体制にするなど、本拠地移転に伴って経済的に余裕ができたのか積極的な動きを見せた。
2024年、ようやく戦力が整ったことで序盤から順調に勝利を重ね、6月までAクラスをキープ。交流戦で連敗がかさみ一時4位まで転落するが、後半から主力選手が怪我から復帰・調子を上げ、9月時点でパリーグ2位を確定させた。
CS 1stステージでは初戦でロッテに敗れ、2戦目も1点ビハインドで9回裏1アウトまで追い込まれたが、万波中正が起死回生の同点アーチを叩き込み、延長10回に淺間大基のサヨナラ打でイーブンとすると、次の試合でも勝利しファイナルステージへと駒を進めた。しかし、同年パ・リーグ王者ソフトバンクに3連敗し、今季終了となった。
今季は既存戦力、新戦力が投打両面において噛み合った年となり、伊藤大海が投手主要タイトルでは初となる最多勝と最高勝率を獲得し、加藤貴之と山崎福也も2桁勝利を達成。リリーフにおいても、河野竜生が最優秀中継ぎを獲得した。野手陣は主要打撃タイトルの獲得こそなかったが、前半戦は田宮裕涼が、交流戦では水谷瞬が、後半戦では清宮幸太郎と新外国人のフランミル・レイエスがそれぞれ象徴的な活躍を見せ、水野達稀がここぞの場面での勝負強い打撃と安定した遊撃守備でレギュラーに定着。万波中正と郡司裕也もシーズンを通して一定の打撃成績でチームを牽引した。
一方でチーム再建を支えたものの今季不調に陥っていた江越大賀が戦力外、加藤豪将や今年日ハムに復帰した鍵谷陽平もシーズン終了後引退を発表した。
順位の推移
ここでは現在の名称になった2004年以降の順位と監督を記載。
※各年度の太字は日本シリーズ優勝
年 | 順位 | 監督 |
---|---|---|
2004年 | 3位 | トレイ・ヒルマン |
2005年 | 5位 | トレイ・ヒルマン |
2006年 | 1位 | トレイ・ヒルマン |
2007年 | 1位 | トレイ・ヒルマン |
2008年 | 3位 | 梨田昌孝 |
2009年 | 1位 | 梨田昌孝 |
2010年 | 4位 | 梨田昌孝 |
2011年 | 2位 | 梨田昌孝 |
2012年 | 1位 | 栗山英樹 |
2013年 | 6位 | 栗山英樹 |
2014年 | 3位 | 栗山英樹 |
2015年 | 2位 | 栗山英樹 |
2016年 | 1位 | 栗山英樹 |
2017年 | 5位 | 栗山英樹 |
2018年 | 3位 | 栗山英樹 |
2019年 | 5位 | 栗山英樹 |
2020年 | 5位 | 栗山英樹 |
2021年 | 5位 | 栗山英樹 |
2022年 | 6位 | BIG BOSS(新庄剛志) |
2023年 | 6位 | 新庄剛志 |
2024年 | 2位 | 新庄剛志 |
選手一覧
2024年11月5日現在
監督・コーチ
一軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
1 | 新庄剛志 | 監督 |
77 | 林孝哉 | ヘッドコーチ |
73 | 武田久 | 投手コーチ |
82 | 加藤武治 | 投手コーチ |
89 | 八木裕 | 打撃コーチ |
72 | 山田勝彦 | バッテリーコーチ |
85 | 谷内亮太 | 内野守備走塁コーチ |
80 | 森本稀哲 | 外野守備走塁コーチ |
79 | 代田建紀 | データ分析担当兼走塁コーチ |
二軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
90 | 稲葉篤紀 | 監督 |
78 | 清水雅治 | 総合コーチ |
83 | 浦野博司 | 投手コーチ |
91 | 金子千尋 | 投手コーチ |
92 | 江口孝義 | 投手コーチ |
75 | 小田智之 | 打撃コーチ |
81 | 横尾俊建 | 打撃コーチ |
87 | 佐藤友亮 | 打撃コーチ |
71 | 的場直樹 | バッテリーコーチ |
74 | 岩舘学 | 内野守備走塁コーチ |
76 | 紺田敏正 | 外野守備走塁コーチ |
山中潔 | 捕手インストラクター |
所属選手
投手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
12 | 矢澤宏太 | 左 | 左 | |
13 | 生田目翼 | 右 | 右 | |
14 | 加藤貴之 | 左 | 左 | |
16 | 達孝太 | 右 | 右 | |
17 | 伊藤大海 | 右 | 左 | |
18 | 山﨑福也 | 左 | 左 | |
19 | 玉井大翔 | 右 | 右 | |
20 | 上原健太 | 左 | 左 | |
22 | 杉浦稔大 | 右 | 右 | |
24 | 金村尚真 | 右 | 右 | |
25 | 宮西尚生 | 左 | 左 | |
26 | 田中正義 | 右 | 右 | |
28 | 河野竜生 | 左 | 左 | |
29 | 細野晴希 | 左 | 左 | |
31 | パトリック・マーフィー | 右 | 右 | |
32 | 黒木優太 | 右 | 左 | |
34 | 堀瑞輝 | 左 | 左 | |
40 | 福田俊 | 左 | 左 | |
41 | ブライアン・ロドリゲス | 右 | 右 | |
42 | アニュラス・ザバラ | 右 | 右 | |
45 | ドリュー・バーヘイゲン | 右 | 右 | |
46 | 畔柳亨丞 | 右 | 右 | |
47 | 鈴木健矢 | 右 | 左 | |
48 | 齋藤友貴哉 | 右 | 右 | |
51 | 石川直也 | 右 | 右 | |
52 | 池田隆英 | 右 | 右 | |
54 | 安西叶翔 | 右 | 右 | |
55 | 松浦慶斗 | 左 | 左 | |
57 | 北山亘基 | 右 | 右 | |
59 | 根本悠楓 | 左 | 左 | |
60 | 鍵谷陽平 | 右 | 右 | |
62 | 宮内春輝 | 右 | 右 | |
63 | 北浦竜次 | 左 | 左 | |
67 | 山本拓実 | 右 | 右 | |
93 | 田中瑛斗 | 右 | 左 | |
94 | 福島蓮 | 右 | 右 | |
95 | 柳川大晟 | 右 | 右 | |
113 | 加藤大和 | 左 | 左 | 育成選手 |
126 | 中川晶量 | 右 | 右 | 育成選手 |
128 | 山本晃大 | 左 | 左 | 育成選手 |
168 | 松岡洸希 | 右 | 右 | 育成選手 |
196 | 孫易磊 | 右 | 左 | 育成選手 |
捕手
内野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
4 | 上川畑大悟 | 右 | 左 | |
5 | 野村佑希 | 右 | 右 | |
9 | 中島卓也 | 右 | 左 | |
21 | 清宮幸太郎 | 右 | 左 | |
35 | 福田光輝 | 右 | 左 | |
38 | 石井一成 | 右 | 左 | |
39 | 有薗直輝 | 右 | 右 | |
43 | 水野達稀 | 右 | 左 | |
44 | 阪口樂 | 右 | 左 | |
49 | 若林晃弘 | 右 | 両 | |
56 | 細川凌平 | 右 | 左 | |
58 | 奈良間大己 | 右 | 右 | |
65 | 明瀬諒介 | 右 | 右 | |
111 | 濵田泰希 | 右 | 右 | 育成選手 |
外野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
7 | 松本剛 | 右 | 右 | 選手会長 |
8 | 淺間大基 | 右 | 左 | |
36 | 宮崎一樹 | 右 | 右 | |
37 | 江越大賀 | 右 | 右 | |
50 | 五十幡亮汰 | 右 | 左 | |
53 | 水谷瞬 | 右 | 右 | |
61 | 今川優馬 | 右 | 右 | |
66 | 万波中正 | 右 | 右 | |
68 | 星野ひので | 右 | 右 | |
99 | フランミル・レイエス | 右 | 右 | |
112 | 平田大樹 | 右 | 左 | 育成選手 |
125 | 藤田大清 | 右 | 左 | 育成選手 |
127 | 山口アタル | 右 | 右 | 育成選手 |
過去に所属した選手(OB)
主な選手と背番号
1.森本稀哲
1.陽岱鋼
6.小谷野栄一
6.中田翔
7.糸井嘉男
8.片岡篤史
10.張本勲
11.ダルビッシュ有
11.大谷翔平
16.金村曉
18.岩本勉
19.マイケル・トンキン
20.マイケル・クロッタ
23.二岡智宏
29.八木智哉
43.星野八千穂
44.鵜久森淳志
65.多田野数人
66.大嶋匠
あ行
か行
金子千尋(弌大)
さ行
新庄剛志(SHINJO)
た行
な行
は行
ま行
マイケル中村(MICHEAL)
や行
わ行
外国人選手
永久欠番
100.大社義規(日本ハム球団の初代オーナー。胴上げ用に用意していたもの)
なお、東映時代のオーナー・大川博も日本一に際し100を着用して優勝パレードを行っている。
この他、
11.ダルビッシュ有、大谷翔平など
86.大沢啓二(通称「親分」、監督としての実績による)
の両背番号が準永久欠番とされている。
マスコット
- B・B(ブリスキー・ザ・ベアー):2017年までメインマスコット
- フレップ・ザ・フォックス:B・Bの後任
- カビー(カビー・ザ・ベアー):2軍球場でのマスコット
- ポリーポラリス
- ファイティー:東京時代から継承されたマスコット。05年に完全引退
球団歌
現在の球団歌は『ファイターズ讃歌』である。誕生は1977年で、パ・リーグ所属6球団の中で最も古いが、当初は『それゆけぼくらのファイターズ』の方が球団歌であった。『讃歌』が球団歌として正式に認定されたのは2007年である。
2023年現在の歌唱担当は地元北海道の人気コメンテーター・『ブギウギ専務』こと上杉周大。
フィクション作品において
野球ゲームパワプロシリーズで、矢部明雄がプロ入り後にファイターズに入団した事がある。
関連項目
伊集院光:東京時代からの大の日ハムファン。
えのきどいちろう:同上。
NACS:北海道出身のお笑いユニット。日ハムファン。
牧野真莉愛:アイドルグループ『モーニング娘。』のメンバーにして、熱狂的日ハムファン。
雪ミク:北海道応援キャラクター。上記『ファイターズ讃歌』を球場で歌ったことがある。
球団の変遷
- セネタース:1946年
- 東急フライヤーズ:1947年
- 急映フライヤーズ:1948年
- 東急フライヤーズ:1949年~1953年
- 東映フライヤーズ:1954年~1972年
- 日拓ホームフライヤーズ:1973年
- 日本ハムファイターズ:1974年~2003年
- 北海道日本ハムファイターズ:2004年~