概要
1980年4月25日生まれ(いわゆる松坂世代)。東京都出身、血液型はO型、ポジションは投手。右投右打。
高校時代は千葉県の八千代松陰高校にて1998年春季県大会優勝及び東千葉大会(記念大会で東西に分かれた)優勝で甲子園出場を果たしている。
高校卒業後は立教大学観光学部に進学。高校・大学ともに貧打に泣かされ、実質多田野一人でチームを引っ張っていたと評される。
大学卒業後(怪我を理由に)ドラフト会議での指名がかからず、アメリカへ渡米してクリーブランド・インディアンス(当時)とマイナー契約を結ぶ。マイナーリーグ時代はジャンクフードと水で空腹を紛らわし、英会話習得と節約のため通訳を遠慮するなど辛酸を舐めたが2年目の2004年に見事メジャー昇格、超遅球イーファスピッチをモノにして、2年間で主に中継ぎとして15試合に登板し、1勝1敗、40奪三振、防御率4.47をマークした。2006年は開幕直後にインディアンスから戦力外通告を受けた後、オークランド・アスレチックスとマイナー契約を結んだ。同年のシーズン終了直後には一時帰国し、アスレチックス所属のまま四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスにスポット参戦した。
翌2007年も引き続きアスレチックスとマイナー契約を結び、この年は2Aと3Aで主に先発として19試合に登板、8勝7敗、防御率4.86、133奪三振の成績を残し、3Aでは胴上げ投手にもなったが10月17日付でアスレチックスを自由契約になった。
2007年ドラフトにおいて、外れ外れではあるが北海道日本ハムファイターズがドラフト1位指名し、契約金6000万円、年俸は当時の最高標準額であった1500万円の2倍の3000万円で契約。NPB入りが遅い年齢であり、メジャー帰りの秘密兵器・松坂世代最後の大物として、鳴り物入りでファイターズの一員となった。ちなみに、ドラフト指名当日に日本ハムのウインナーを食べて喜んでいた。
2008年5月2日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でプロ初登板・初先発し、7回を投げて1安打無失点に抑えプロ初勝利を飾った。
2010年秋に球団から戦力外通告を受けるも、同年12月に年俸77%オフ(規定により25%以上の減俸が出来ない為)で再契約となる。
2012年4月16日、およそ2年ぶりに1軍の試合で先発登板。2009年8月27日以来963日ぶりの勝利を挙げた。 同年の日本シリーズでも登板。
長時間の連投は苦手で5~6回あたりで下がることがほとんどだが、そこそこの成績を収めチームの3年振りのリーグ優勝に貢献している。
2014年に戦力外通告を受けた後、独立リーグBCリーグ(当時)の石川ミリオンスターズの投手兼コーチとして契約し、背番号は「65」をそのまま使用。
2017年に現役を引退し、古巣日本ハムの「チーム統括本部プロスカウト」として球団へ復帰。2021年からは、プロスカウトに加えアマスカウトも兼任、2022年には二軍投手コーチとして現場復帰していた。2023年オフに退団。
背番号
2008年から2010年まで「16」、2011年以降は「65」。
イーファスピッチ
山なりの軌道と驚異的な遅さが特徴な、A・ロッドを三ゴロに打ち取った事もある魔球。本人曰く「チェンジアップのサインが出たけど投げたことがなかったので、とりあえず遅い球を投げてみた」。ストライクゾーンへ捕手のミットにおさめるべく遅い球を投げるため、そのコントロールのハードルは高い。
日本初披露は2008年6月18日の広島市民球場における広島戦にて。シーボルに対して使用。
その特徴的な山なりを描く軌道でカメラから見切れ、消える魔球と称された。その試合は惜しくも負けてしまったものの、野球ファンは騒然、スポーツニュースは多田野のイーファス一色に染まった。
その速度はスピードガンでは計測不能であり、48km/hとも39km/hとも言われる。本人曰く「流れを変えるために投げる」。
ちなみにイーファスピッチとは「しょんべんボール」という意味。岩本勉は「スーパーガチョーン」と呼ぶが、まったく定着せず。むしろ「多田野ボール」「スカイツリーボール(多田野の出身地は墨田区)」の方が通りが良い。
多田野せっかち伝説
球は遅いのに行動は無駄に早い。チーム一のせっかちである。
- 武田勝曰くフォーム、仕草、ボークの三拍子とのこと。
- 投球するとすぐ返球を催促する。
- 牽制がせっかち。
- あまりにテンポの良すぎる投球でボーク王に輝く。吉井コーチに「投げる前に 審判にウインク しろ」とアドバイスされる。
- 試合中のテンポを重視しており、勢いに乗っているときはサクサク試合が進む。が、打たれ始めると一気にピンチに陥りやすいのが難点。
- ゴルフボールは置いたらすぐ打つ、結果はご想像にお任せします。
- 1分1秒を大事にするあまり運転が荒い。2軍・鎌ヶ谷の敷地内でも猛スピード、バックも速い。
- 麻雀でノーテンリーチをかけたらしい。
- QVCマリンフィールドでの対ロッテ戦で、リリーフカーを乗車拒否。自分の足でマウンドへ行くせっかち登板→最初の打者の井口からあっという間のせっかち被弾。
- なお、本人はせっかち王を自覚しているが「せっかちなのは悪いことじゃない」「生きている1分1秒を無駄にしたくない」とのこと。
エピソード
- 体(特に股関節)が人並みはずれて固い。それ故ギクシャクした独特の変則フォームを駆使する。
- 現役引退後は米マイナーリーグの球団経営が夢。
- 趣味はダーツでマイダーツも所持している模様。
- まばたきをほとんどしない。
- ものすごい負けず嫌い。バッターボックスに立つカブレラに何か言われ、物凄い顔でメンチを切りながら英語で言い返したこともある。本人曰く、何を言ったのか覚えていない。
- 2008年ファンフェスにてドッヂボールに出場、岩本勉の「出るか、スーパーガチョーン」の煽りで空気を読んでドッヂでイーファス、あっさり捕球&ぶつけられ即死。「ドッヂボールでは通用しないことがわかりました」
- 北海道日本ハムファイターズでは監督をしていた栗山英樹氏とはマイナーリーグ時代からの知り合いで、食うにも困っていた頃に中華料理をごちそうしてもらったりしていた。「一番の目標は先発枠に入ること。それが駄目でもチームが必要とされるところで力を出したい。苦しいときに支えてくれた監督の力になりたいんです」
- マック鈴木に次いで史上2人目の「NPB所属経験無しにMLB昇格を果たした日本人選手」であり、日米両方で初登板初勝利を達成した数少ない投手でもある。
- 2012年の日本シリーズでは史上初の危険球による退場処分を受けたが、これについては疑惑の判定であると疑問に思う野球ファンも少なからずいるらしい…。
- 1998年の夏の甲子園で、高校の二年下にジャングルポケットの斉藤慎二がいて、控え投手としてベンチ入りしていた。又その時対戦したPL学園のエースが上重聡で、大学で同期だった。
関連項目
北海道日本ハムファイターズ プロ野球選手 引退したプロ野球選手一覧
石川ミリオンスターズ BCリーグ(ベースボール・チャレンジリーグ) 独立リーグ
クリーブランド・インディアンス(クリーブランド・ガーディアンズ) MLB 日本人メジャーリーガー一覧
「せっかちなのは悪いことじゃない」「生きている1分1秒を無駄にしたくない」…彼があるスキャンダルにより、日本球界に出遅れてしまったことを考えると、非常に重い言葉である。
→TDN