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経歴

1977年1月30日生まれ、広島県広島市出身。

ポジションは内野手(一塁手及び三塁手)。右投右打。愛称は「新井さん」。

中日ドラゴンズ阪神タイガースに在籍した新井良太実弟

駒澤大学から1998年にドラフト6位で広島東洋カープへ入団し、主砲として活躍。

2007年のシーズンオフにFAで阪神タイガースに移籍したが、2015年シーズンから広島に復帰し2018年までプレーした。

2005年には本塁打王を、2011年には打点王を獲得しているスラッガーであるが、「併殺打が多く、チャンスに頼りない選手」のイメージで語られることもある。

現役時代

大学時代

後年には「大学時代まで平凡な選手で、コネ入団からNPB2000本安打、300本塁打達成の名選手に成り上がった」と異色の経歴をよく伝えられるが、新井は大学時代に全く実績が無かったわけではなく、4年秋の東都大学野球リーグ戦で打点王とベストナインを獲得する程度には活躍していた。

広島東洋カープ時代(第1期)

1年目の1999年から一軍メンバーに加わり、7本塁打を打つ活躍を見せた。

以後、カープの主力打者として台頭して2003年には阪神に移籍した金本知憲の代わりにカープの四番打者となるが、03・04年は低迷した。

2005年には打率.305打点94にホームラン43本を打って本塁打王を獲得、名実共にカープの主砲として君臨した。

06・07年も活躍したが、「アニキ」こと金本知憲を慕い、2008年に阪神タイガースへFA移籍。その記者会見での発言「辛いです」は迷言とされている。

阪神タイガース時代

移籍1年目の2008年シーズンから阪神の主軸を担い、夏季の北京オリンピックにも参加したが、腰痛の影響により芳しい成績は挙げられなかった。

が、2009年から2011年までの三年間はフル出場を果たして2011年に打点王を獲得。2011年からは弟の新井良太が中日ドラゴンズから移籍。

2014年、長打力不足を解消すべく同じポジションで新加入したマウロ・ゴメスにレギュラーの座を奪われ、同年シーズン終了後出場機会を求め退団。

広島東洋カープ時代(第2期)

背番号は広島・阪神を通じてつけていた「25」ではなく「28」をつける。

2015年のシーズン開幕戦、新井は代打で復帰後初の打席を迎える。「罵声やブーイングのなかでのプレーを覚悟していた」という彼は、本拠地マツダスタジアムの観客に地鳴りのような新井コールと温かい大歓声を送られた。シーズン終了後、新井はこの打席を振り返り、「(打てなくて悔しかったものの)生涯忘れられない打席」と語っている。

球団から、2016年からは長年親しんだ背番号「25」をつけることが発表された。

2016年4月26日、東京ヤクルトスワローズ戦、二打席目で先発の成瀬から二塁打を打ちプロ野球史上47人目の2000本安打を達成。

8月2日、ヤクルト戦の一打席目で石川雅規から史上42人目となる300号ホームランを放った。

9月10日、広島が25年ぶりに優勝し、勝利投手となった黒田博樹と涙で抱き合い喜びを分かち合った。その後、チームの主柱としての活躍が評価され、セ・リーグMVPに選ばれた。

その後も2017年、2018年と広島でプレーを続けていたが、2018年9月5日に記者会見を開き、今シーズン限りでの現役引退を発表した。引退を決意した理由は「若手がすごく力をつけてきていますし、これからの2年後3年後、5年後のカープのことを考えた時に、今年がいいのではないかと考えました。」と会見にて語った。

現役最終打席は福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズ第6戦。8回裏に代打として登場したが、結果はショートゴロに終わった。

現役引退後

引退後の2019年からは野球解説者として活動を始める。長らく背負った背番号「25」は相応しい選手が現れるまでの預かり番号となった。

2022年、成績不振の責任を取り退任した佐々岡真司監督に代わり、翌年から広島の一軍監督として指揮を執る事が発表された。背番号は現役時代と同じ「25」を使用。

監督ルーキーイヤーの23年は選手を「家族」と呼ぶスタンス通り、勝ち試合に一緒に喜んだり負けても責めずにチャンスを与えたりというスタンスで指揮。

その結果リーグワースト2位の得点&失点ながらも要所要所の接戦では勝ち星をもぎ取る采配が続き、2018年以来のAクラスとなる2位でシーズンを終え下馬評を大きくひっくり返した。

ネタ

辛いです

上述の通りFA時の記者会見で発せられた言葉。これにより「辛いさん」というニックネームが誕生した。他にも「カープが好きだから」「FAなんてなければよかったのに」などと話している。これは金本の名前を口に出すと迷惑がかかるとしてこのような表現になったらしい。

ツラゲ

「辛いさんのゲッツー(併殺)」を略したもの。阪神へのFA移籍後併殺打が増えるようになった。

記録上の併殺打以外でも新井さん絡みでアウト二つが発生(通称・変則ツラゲ)するとこう呼ばれる(一例をあげると、ダブルプレー崩れでランナーが新井さんに入れ替わる(1アウト)→仕掛けたヒットエンドランを打者が空振りして新井さんが盗塁死(2アウト)など)。

トリプルプレーの場合は「トリプルツレー」とも。

引退後の2020年、YouTubeやCMで公開されている金本知憲と共に出演したプロ野球スピリッツの動画では、新井の打席、「ファールでいい」と言っていた金本の前で、本当にゲーム内でもゲッツーになってしまった。

「絶対おかしいって!」

また派生語として、どう見てもベースに全く届かないヘッドスライディングを意味する「ヘッドツライディング」や、外角低めのスライダーを空振りして三振することを意味する「ツライダー」という言葉もある。

護摩行

毎年1月の自主トレ時期に石原慶幸とともに行っている精神鍛錬。燃え盛る炎の前でお経を唱える。かつて金本も行っていた。当然危険な修行であるが、新井さんの場合はネタ画像提供のイベントとして風物詩と化している。

また、現役を退いても護摩行は続ける旨を公表している。

この護摩行の由来もやはり金本が1999年から始めていたもので、自主トレで金本に誘われたのがきっかけ。その金本は清原和博の影響で肉体改造や護摩行を始めている。

金本・新井の影響を受け、會澤翼堂林翔太石原慶幸小窪哲也中村奨成ら広島東洋カープの選手を中心に、中田翔(出身校・大阪桐蔭高に近い東大阪市内の鞍馬山護国院で行った)や阿部慎之助など複数のプロ野球選手が護摩行に励んでいる。

25番という選手

新井さんの背番号。旧広島市民球場に書かれていた新井さんのサインを消されたときにカープファンの男性が新井さんのことをこう呼んでいた。なお、阪神時代も背番号は25だった。

上記の通り2015年のカープ復帰時の背番号は28だったが、2015年オフの契約更改で背番号を25に戻すことが発表。「泣き泣き出て行った25番という選手」が正式に帰還した。

そして2022年10月、新井さんが2023年より一軍監督を務めることが発表されてからは一部で25番という監督と呼ばれるようになった。

新井が悪い

2012年4月11日の広島vs阪神戦で飛ばされたヤジが元ネタ。

福井優也の投球がクレイグ・ブラゼルの足元に逸れ、これに激高したブラゼルが福井に詰め寄りとしたことを発端に両チームがもみ合いになったが、その際に広島ファンから「新井が悪いよ!新井が!」と全く関係ない新井に対してなぜかヤジが飛ばされた。

そのインパクトも相まって、プロ野球関連で何かが起こったら「新井が悪い」と新井さんに責任転嫁するネタが定着。ネット上を中心によく用いられた。また、弟の新井良太が「新井良」と表記されていることの対比で「新井悪」と表記されるネタも誕生している。

応援歌

広島時代(1作目)

使用期間:1999年(1年間)

新井 ダイヤモンドに輝くその闘志

赤い心見せて 広島を燃やせ

広島時代(2作目)

使用期間:2000年~2007年、2015年~2018年(12年間)

赤い心見せ 広島を燃やせ

空を打ち抜く 大アーチ

新井はこの応援歌を大層気に入っており、その気に入りぶりは「すべてが完璧」と語るほど。

阪神時代

使用期間:2008年~2014年(7年間)

一振りにかける 男新井

熱きその想い スタンドへ

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新井貴浩
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