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概要編集

1975年2月10日生まれ、大阪府出身。

父親の黒田一博(1924年~2007年)もプロ野球選手として南海ホークスなどで活動した(実働8年)。引退後はスポーツ用品店「黒田スポーツ」を経営。(現在は閉店)


少年時代は父親が監督を務める少年野球チーム(ボーイズリーグ所属)に在籍。

大阪の上宮高校、専修大学を経て、1996年、ドラフト逆指名で広島東洋カープに入団。入団当初は先発としてプレーしたが、好不調の波が激しく、成績も不安定だった。

2003年、それまでのエース佐々岡真司に代わり、開幕投手をつとめると、調子を取り戻し、13勝を挙げ、翌年2004年のアテネオリンピックの代表にも選ばれた。


2007年、海外FA権を行使し、ロサンゼルス・ドジャースに移籍。

2012年ニューヨーク・ヤンキースに移籍し、2012年7月18日のトロント・ブルージェイズ戦では、野茂英雄、大家友和に次いで日本人史上3人目となるメジャー通算50勝を達成した。


2015年サンディエゴ・パドレスからの[[単年21億円とも言われる高額オファーを蹴って、単年4億円の広島カープに8年ぶりに復帰。

MLB30球団中29球団から勝利していたが、デトロイト・タイガースからだけは白星を挙げられないままMLBを離れることになった。MLBの29チームから勝利は、野茂英雄(ロサンゼルス・ドジャース以外)、ダルビッシュ有(ボルチモア・オリオールズ以外)と並びMLBの日本人投手では最多タイである。


2016年7月23日の阪神戦、7回まで5安打無失点で、日米通算200勝(NPB:121勝、米大リーグ79勝)を達成した(日米200勝は野茂英雄に続き2人目、大卒での200勝達成は村山実以来46年ぶり、広島生え抜きの200勝達成は1992年の北別府学以来2人目)。勝てば25年ぶりの優勝が決まる2016年9月10日の巨人戦に先発し、6回2失点で勝利投手に。盟友・新井貴浩と涙で抱き合い悲願だった優勝の喜びを分かち合った。

2016年10月18日、今シーズン限りで現役を引退することを表明した。引退を決意したことは優勝のほぼ直後、新井にのみ明かしていたとのことである。


日米通算成績は203勝184敗、防御率は3.51。

そして、山本浩二衣笠祥雄に続いて、広島の3人目の永久欠番選手となり、レジェンドの仲間入りを果たした。


現在は広島東洋カープの球団アドバイザーを務める。



関連タグ編集

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