王貞治
おうさだはる
元読売ジャイアンツ一塁手。通算868本塁打の世界記録を持つ「世界の王」。ホームラン世界記録から「世界のホームラン王」と呼ばれ、また中国語読みで王は「ワン」となることから「ワンちゃん」の渾名がついている(無論ワンチャンではない)。
太平洋戦争直前の1940年、仕事を求めて渡日した中国・浙江省出身の男性と富山県出身の日本人女性との間に東京都で生まれた。両親は墨田区の中華料理店「五十番」を経営していた(スポーツ報知より。)。
早稲田実業高校時代は選抜高校野球大会を制した左腕投手として鳴らしたが、1959年のジャイアンツ入団後に内野手に転向、長年にかけて数々の記録を打ちたて、1958年に入団した長嶋茂雄と共に「ON砲(オーエヌと読む。オンではない)」として国民的人気を得ていた。
1977年にMLBのハンク・アーロンを抜く世界新記録の756号本塁打を打ち、初の国民栄誉賞が授与された。通算本塁打868本はいまだに破られていない。
1984年から巨人の監督を務めるがリーグ優勝は1回に終わり、巨人監督としては日本一になれず、1988年に退任。
1995年から福岡ダイエーホークス第4代監督に就任、当時のホークスは前身の南海時代からの低迷期が続いており、1996年には負けた試合の後にファンから生卵をぶつけられたなど、今のチームからは信じられない状況だったが、1999年にチームは九州移転以降リーグ初優勝、また日本シリーズにも勝利し、監督として初めて日本一となる。
翌2000年もリーグ優勝を果たし、日本シリーズではセリーグ覇者の長嶋茂雄監督率いる古巣・ジャイアンツとの「ON対決」が実現。この時は4勝2敗でジャイアンツが日本一に輝いた。
その後チームがソフトバンクに代わった後も監督を続け、2008年に勇退。監督在任中の2006年には第1回WBC日本代表監督も務め、見事世界一に輝いた。
監督退任後は福岡ソフトバンクホークス球団会長を務めている。孫正義オーナーが自分は素人と割り切り、お金だけ出して口は出さないため、王会長は実質的な舵取り役として裏で活躍を続けている。
2021年10月29日からは特別チームアドバイザーを兼任。
背番号(プロ野球)
背番号 | 使用年 | 所属チーム | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 1959年〜1975年 | 読売ジャイアンツ | 選手 |
1 | 1976年〜1980年 | 読売ジャイアンツ | 選手兼任コーチ |
1 | 1981年〜1983年 | 読売ジャイアンツ | 助監督 |
1 | 1984年〜1988年 | 読売ジャイアンツ | 1軍監督 |
89 | 1995年〜2004年 | 福岡ダイエーホークス | 1軍監督 |
89 | 2005年〜2008年 | 福岡ソフトバンクホークス | 1軍監督 |
本塁打記録の印象から、スラッガーとしての印象が強いのだが、選球眼の良いアベレージヒッターとしても超一流であり、打率3割以上を13回も記録している他四球の数もNBP歴代1位。本人曰く、「ホームランに必要なのはパワーではなく、タイミングと体重移動」とのこと。
とりわけ選球眼の良さは、きわどい球でも選球眼の良い王が見逃したのだから、ボールだろうと思わず審判が考え、コールしてしまうため、「王ゾーン」と呼ばれていたほどであった。
また、その大多数がライトへの引っ張るホームランだったため、守備位置を極端な右に寄せる、現在における守備シフトの原型ともいえる「王シフト」と呼ばれる対策を他球団が編み出した事でも知られている。
本塁打記録や打点記録のみならず、最新のセイバーメトリクスによる打撃指標rcwinでもシーズン記録の1〜8位を独占するなど見方を変えても常に最上級に位置する打撃成績を残し続けており、王をNPB史上最強打者と論ずることに異論を挟む者は少ないだろう。
また、守備面でも一塁手として9年連続ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を獲得するほどの名手であった。なお出場試合数故、仕方ないのだが、失策数165は一塁手の日本記録である(長嶋も三塁では2位である)。
これだけの大打者であるが、実は打順が3番であった時期が長い。長嶋が現役の頃は彼が4番を担っていたことが多く、「3番王・4番長嶋」の打順が標準となっていた(試合によって入れ替えることもあったが)。だからこそ「NO」ではなく「ON」と呼ばれた。
ただ、現役当時のホームグラウンドであった後楽園球場は両翼実測85mと「公認野球規則」に違反しており、さらに自身の引退とほぼ同時に禁止化された圧縮バットの恩恵を受けていたなど、世界のホームランバッターたる王の外堀を固める有利な条件があったのも事実である。
王と長嶋は元々ライバル関係というよりは盟友に近く、現役時代からこれと言った確執は存在しないと言われる。ちなみに2020東京オリンピックの開会式に長嶋・松井と共に聖火ランナーとして登場している。
出生時から国籍は中華民国(台湾籍とも言われるが、父は中国大陸出身のため地域としての台湾には特にゆかりはない)で、日本国籍を取得していない。このことについては色々と話題になるが、本人は海外のメディアの取材に「私は日本人です」と答えたこともある。上記の通り地域としての台湾には本来ゆかりはないのだが、台湾の野球ファンのスターでもあり、台湾の野球殿堂にも入っている。本人のアイデンティティとしては、日本人でもあり、華人であり、台湾人でもあるといったところだろうか。
偉大な成績を残しながら、ホームランを打ってもガッツポーズを取らないという姿勢を貫くなど謙虚な人柄で知られた(ただし世界記録更新の時は流石にガッツポーズを取った。と言うか取らされた)。これは、高校時代、ホームランを打った氏に兄・鉄城氏が「打たれたピッチャーのことも考えろ」と諭されたことから来たといわれている。
また、自身の夫人の葬儀に参加してくれた人々には、王自身が全員に電話で感謝の意を伝えており、また贈られてきたファンレターや年賀状には全部返事を送るなど、とにかく真摯で律儀である。キャンプに持ち込んだ便せんやハガキは数万通と言われている。
一方で、若かりし頃、寮生活をしていた時期は門限破りの常習犯で、寮生活をしていた選手の中でトップ3に入るほど規律違反が酷かったとか。ところがその3人全員(他の2人はⅤ9時代に1番打者として鳴らした柴田勲外野手とエース右腕・堀内恒夫投手)が名球会入りを果たしているのだから世の中わからないモノである。さらに、子供の頃から体格が良く喧嘩っ早かったためいじめられることはなかった、娘が口答えすると激高して鉄拳制裁をしていた、麻雀で相手の手が気に食わず大声で罵倒してその人物と不仲になるなど、激しい気性を度々見せており、本人も「俺は君子じゃないから」と発言している。
高校時代にライバルの張本勲と共に「東の王・西の張本」と評されていたが、これは野球の実力だけでなく喧嘩の実力を表現したものでもあったという説もある。若かりし時代の王の暴れん坊ぶりが窺い知れよう。
また、先の通り娘に対する態度が苛烈であり、彼女を男性不信に陥れたとされること、自らの年間ホームラン記録が更新されそうになった時に露骨に敬遠策を取っていた(それも1度や2度ではない)こと、生卵事件の遠因が実は王の放った「開幕投手には格というものがあるだろう」という半ば侮辱ともとれる発言であったことなど、後ろ暗い話がないわけではない。
生家が中華料理店を経営してたせいかラーメンがかなり好きらしく、選手時代はおやつ代わりにラーメンを食べていたという。この他大食漢兼大酒豪としても知られ、大食に関する伝説は数知れず、飲み比べをして勝てなかったのは、横綱の大鵬だけだったという。胃癌を患い胃の全摘出手術を受けたのをきっかけに食事量は相当減ったが、当の本人は、「痩せられたからOK」と笑い話にしている。
選球眼と長打力を併せ持ち長打を量産する王に対し、各球団、そして投手・捕手は対策を練った。
それは、分析に基づくものから、やぶれかぶれとしか思えないものまで、いろいろあった。
- 王シフト(広島東洋カープ):王の打撃分析を行った当時の広島東洋カープの首脳陣が王のバッティングを狂わせることを含めて編み出した。分析によって割り出した王の打球が飛びやすい位置に野手を配置するというもので、極端な一塁寄りの配置になった。王は最初の頃こそガラ空きの左翼への流し打ちをしていたものの、そのうち「野手がたくさんいたところでその頭を超えればよいのでは」とばかりに正面からこのシフトに挑むようになり、ホームランの量産で小細工は通用しないとばかりに力ずくで粉砕してしまった。
- ささやき戦術(野村克也):捕手という立場を利用し、打席に入った王に対して市井から仕入れたプライベート情報を語りかけて集中力を削ぐというもの。効果はまったくなかったようである。
- タイミングずらし投球(稲尾和久・金田正一・小川健太郎)):稲尾は投球動作で軸足でない足を上げてからいったん下げてもう一度上げる二段モーションによる投球、金田は投球動作で足を上げたところで静止してタイミングをずらす投球、小川はこの手のものとしては究極の背面投げと呼ばれる通常とは違うリリースポイントの投球を編み出した。
- 目くらまし戦術(阪神タイガース):藤本定義が監督をしていた頃、阪神タイガースは王にメッタ打ちにされていた。そこで、藤本は、少しでも集中力を削ぎ、目くらましにしようと当時遊撃手だった吉田義男を塁上に配置して腕を振り回させた。結果はもちろん失敗。
現役時代から巨人一筋だった王がホークスの監督に就任したのは根本陸夫の後押しによるものである。根本は王と長嶋の日本シリーズ対決を望んでおり、王のことを「ラーメン屋の息子(倅)」と呼ぶなど、王と選手との間の溝を埋めるよう尽力した。王と長嶋の対決は根本がこの世を去った翌年(2000年)に実現することになった。
また、後にホークスを買収したソフトバンクのオーナー・孫正義は大の王貞治ファンであり、彼が孫の故郷福岡でチームを率いていたことが買収の決め手になったという。
現役時代が巨人の絶頂期~暗黒期までと20年の長きに渡った事、晩年に至るまでコンスタントに高い実力を誇り、長嶋茂雄が去った後も長く巨人の4番打者として君臨した(相方の長嶋茂雄は引退数年前の晩年期には加齢で若き日の実力を発揮できなくなり、次第に成績が下がっていったが、王はコンスタントに成績を保った)事で、実は1960年代~1970年代の野球漫画に皆勤していたりする。
その太祖とも言える巨人の星シリーズでは、巨人の3、4番としての存在感からか、破格の扱いで登場している。主人公の星飛雄馬を幼少期から知ると設定され、最終的には兄貴分的扱いであった。それは新巨人の星で顕著となる。飛雄馬の再度の復帰時でも現役の座にあったため、当時は監督に就任した長嶋茂雄が出来なくなった選手の立場からの助言を度々行い、アニメ版では新・巨人の星の時期が世界記録達成と重なったため、二本も話のタイトルに名を連ねたという偉業を達成した。
巨人の星シリーズでは技術寄りの選手として描写されており、無印版では一般人と大して変わらない身体能力の数値を見た時に星飛雄馬が唖然とするシーンがある。また新・巨人の星では、現役終盤の王がチームにおけるランニングのビリの常連として認知されていると取れるシーンもある。
また『ドラベース』では子孫の「キング・サダハル」が登場し、WABC日本代表監督に就任した。こちらでは主人公であるクロえもんと藤本ひろしが幼い頃から国民的名選手として知られており、1068本塁打記録を有している。彼(というか先祖)の打法を模した守備練習ロボットサダハル89号も発売中。
ちなみに現役時代の親友で今もライバルなのがミスター・シゲオ。