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概要編集

1940年6月19日生。韓国人だった両親が1939年に日本に渡り、広島市に在住している時に4人兄弟の末っ子として生まれた。


本名は張勲(チャンフン、장훈)。出生時は日本国籍だったが、サンフランシスコ講和条約により喪失、以降は韓国国籍を保持している。


4歳の時火傷をして指の一部が不自由になる。この右手はごく一部の人間にしか見せようとせず、テレビ番組に出演をしても視聴者に違和感を感じさせない範囲で上手く隠している。


5歳当時、1945年の原爆の被害に爆心地から2km地点で遭遇。


この際に美人と評判で弟妹達の自慢であり慕っていた当時12歳の長姉が、大火傷の無残な姿で亡くなるのを目の当たりにし、その数十年後まで平和資料館を目の前にすると足の震えが止まらなくなってしまうほど彼の大きな心の傷となって残っている。当時彼と行動を共にしていた次姉が被曝体験の語り部として今も活動中であり、彼本人も「被曝手帳を持つ唯一のプロ野球選手」と称していた。


当初は韓国に帰国予定だったが、先に帰国していた父親が急死したため母親が日本にとどまることとなった。張本は日本語をほとんど覚えようとせず朝鮮語のみを話した母の意を汲んでそのまま帰化はせず、在日韓国人として現在まで暮らしている。


小学生の時、近所の年上の少年から地元の野球チームに誘われて野球を始め、上述の右手の障害があったためサウスポーのスタイルを作る。


中学校には野球部がなかったため一時野球を離れてグレていたが、広島に遠征に来た巨人選手の食事の豪華さ(当時高価だった生卵を惜し気もなくご飯にかけて食べていた)をみて「自分もプロ野球選手になり美味しい食べ物を食べ、家族を楽にさせたい」と野球再開を決意し、素振りを何百回もしたり走り込みをしたりの自主トレーニングを行ってきた。


高校は一旦地元の松本商業高校に入り、そこから大阪の浪華商業高校(現:大阪体育大学浪商高校)に転校、先に就職していた兄の援助を得ながら部活に励み甲子園に出場して頭角を表す。

高校時代にライバルの王貞治と共に「東の王・西の張本」と評されていたが、これは野球の実力だけでなく喧嘩の実力を表現したものでもあったという説もある。若かりし時代の張本の暴れん坊ぶりが窺い知れよう。


高校卒業後東映フライヤーズに入団してプロ入り。契約金200万円を大阪から広島まで兄と電車を乗り継いで運び、封を開けずに「これで広い家を建ててください」と母へ渡し初志を成し遂げた。


東映・日拓・日本ハム巨人ロッテに所属。


1981年に現役を引退し、野球評論家としての活動を開始した。


少年時代にグレていたのもあってか素行に関してはお世辞にも良いとはいえず、野村克也捕手のささやき戦術に腹を立て空振りで頭を殴る(もっとも、これは野村がささやいたのが自分の性器を揶揄うという誰だって怒りかねないものだったこともあるが)、ポジションを争うライバルに嘘の投手の情報を教えるなどの性悪エピソードを持つ。これはあくまでも試合中の話であり日常的にそういう事をしていたわけではないため策士とも言える。お酒に酔ったのかタクシー運転手を殴って傷害容疑で逮捕されたこともある。


この気性の荒さを本人も自覚しており周囲も警戒しているのか、これだけの大打者でありながら一度も指導者としての経験がないと思われがちだが、実際は何度かロッテ側から監督としてのオファーは受けており「自分は半人前ですから」「監督になるのはやめた方が良い」などという理由で断っており自著では「母から猛反対があった」と述べている。また非常に親孝行な人物でありドラフト入団時に200万円を給料として貰った際は「これで家を建てて下さい」と母宛に手紙を送っている。


なお臨時コーチとして招集される事はあり成績が伸び悩んでいた大豊泰昭に王貞治の「一本足打法」を勧めて才能を開花させるという偉業を成し遂げている。


現役の成績やスキャンダル、晩節の言動から「和製ピート・ローズ」と揶揄する声も少なくない。


また同じ在日韓国人二世であった金田正一に対しては親近感があり、実際のところ生前に親交が深かった。


選手としての特徴編集

日本記録である3085本安打を記録した「安打製造機」。日米通算ではイチローが抜いているが、通常異なるリーグでの記録を通算はしないので未だにNPBのヒットキングは張本となる。


ヒットを量産するアベレージヒッターとしての印象が強いが、通算本塁打も歴代7位となる504本を記録している長打を兼ね備えた一流打者であった。セイバーメトリクスの打撃指標となる通算rcwin傑出度では、歴代で王貞治に次ぐ打者であるという評価を受けている。


イチローや王が右方向に打球を集中して飛ばすタイプであったのに対し、張本は左右中央、長短あらゆる方向と距離に打ち分けられることから「広角打法」「スプレー打法」と称された。この打ち分けの巧みさも、守備陣に的を絞らせず安打記録を樹立する助けとなった。


加えて俊足でもあり、通算300盗塁を記録している他、セーフティバントを狙うこともあるなど走力にも優れていた。またNPB唯一となる通算トリプルスリー(通算.319、504本塁打、319盗塁。安打数を加えるとクアトロスリーとなる)を達成している。しかし本当のトリプルスリーを達成したことはない。


しかし傑出した打撃、走塁面での功績に反して守備面は「守っても安打製造機」と揶揄されるお粗末なものであった。これは幼少期の火傷により右手の指の自由を失ったことと高校時代の肩の故障も影響している。本人も守備にはあまり熱心ではなく、守備範囲は狭くスランプ時には腕を組んで考え込んで守備をおろそかにするということもしばしばあり、とある試合でなんでもないフライを取りそこなった際には、問い質した長嶋茂雄に対し「あれは空中イレギュラーです!」という迷言を残したことでも知られる。


それでも20代の前半から半ばにかけてはそれを踏まえても守備で平均以上の指標を残していたのだが、DH制の導入により1年間守備が免除され、その後巨人に移籍し再度守備につかなくてはならなくなった際には大きく実力を落としていた。


張本は典型的なスタンドプレイヤーであったといい、安打記録が査定で重要項目になっていたことも手伝い個人記録を重視するプレーが多かった。野村克也は指導者の観点からこうした態度を嫌っており、しばしば批判していた。


日曜朝の顔として編集

張本はTBSが放送するサンデーモーニングの看板コーナー「スポーツご意見」に長年大沢啓二とコンビを、大沢の死以降は単独のレギュラーコメンテーターを務めた。その週スポーツ界で起こった出来事について、強面で歯に衣着せぬ張本の発言は評判を呼び、賛美を送る際には「あっぱれ!」を、一方叱責すべきと判断した場合には「喝!」を入れる単純明快な演出はコーナーどころか番組の象徴の一つでもあり、同コーナーは同時間帯の視聴率で常にトップを維持するほどの人気を誇った。


しかし、専門外のスポーツに対する知識不足からくる発言や、専門である野球でもその野球観に対してしばしば批判を浴びることも多く、とくにメジャーリーグやライバルスポーツのサッカーに対する冷淡な態度はファンや関係者を怒らせることも多く、メジャーでのプレイ経験もある上原浩治が直接批判をする一幕もあった。


これについては、後年張本は「発言がしばしば批判されていることは知っていたが、言いたいことが言えなくなってしまうから気にしてなかった」とコメントしている。


特に戦中生まれの張本と、世間の認識の乖離は2010年代以降には埋めがたいものになっていた。2021年には、東京オリンピックで行われた女子ボクシングについて「女性でも殴り合いが好きな人がいるんだね。どうするのかな、嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合って」という発言が大問題になり、本人も番組中で異例の謝罪コメントを出すことになり、以降番組内では「喝!」を入れるシーンは少なくなくなり、辛口コメントも抑えめになった。


2021年に年齢を理由に年いっぱいでの卒業を発表。今後もゲストとしてはたまに出演をするとのこと。レギュラーとして最後の回は、ビデオメッセージで出演した縁の深いイチローが「ハリー♡」と大先輩を馴れ馴れしくタメ口で呼ぶ「喝!」ねだりに希望通り「喝!」を入れることで締めくくられた。


また清原和博違法薬物で逮捕された時は喝を通り越して憤りと嘆きのコメントを残し「目の前にいたらぶん殴りたい。日本は離島が沢山あるからそこで暫く生活して更生してくれ」と相当ショックな様子を見せた。また広島原爆を知らない若者が増えてる事に相当ショックを抱えてるようだ。


外部リンク編集

本人インタビュー

関連タグ編集

野球 老害(意図的にそういう態度をとっている節もある) ツンデレ

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