概要
1963年11月15日生まれ。台湾南投県埔里出身。本名は陳大豊。
華興中學では台湾大会で優勝し、華興高では世界大会で優勝。王貞治に憧れて日本行きを希望するが、20歳にならないと出国できないため、卒業後に2年間母校でコーチを務めた後、1984年に名古屋商科大学へ入学。愛知大学野球リーグ通算96試合出場、343打数120安打、打率.350、24本塁打、94打点。敢闘賞2回、ベストナイン4回受賞。
卒業後日本人選手扱いとして入団(外国籍でも5年以上日本在住すれば可)中日ドラゴンズの球団職員として1年間在籍。
1988年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。登録名は大豊泰昭。
1998年トレードで阪神タイガースに移籍。2000年オフの契約更改で自ら自由契約を申し入れて阪神を退団。
2001年に中日に復帰。2002年シーズンで現役引退。
2009年3月、急性骨髄性白血病を患い入院。同年8月に退院。
2015年1月18日死去。享年51歳。
実弟の陳大順も元プロ野球選手で、兄を追うように名古屋商科大学に入学、1990年、NPBのロッテオリオンズに練習生として入団し同年シーズン終了後ドラフト外で入団。『大順将弘』の名で2年在籍、その後CPBL・味全ドラゴンズに1993年~1999年まで在籍、引退後は、スポーツ用品店経営の傍らで台湾プロ野球の野球解説者を務める。
宝塚歌劇団95期生で星組所属の男役・ひろ香祐は、死別した前妻との間に生まれた長女。
背番号
背番号 | 使用年 | 所属チーム |
---|---|---|
55 | 1989年〜1997年 | 中日ドラゴンズ |
55 | 1998年〜2000年 | 阪神タイガース |
60 | 2001年〜2002年 | 中日ドラゴンズ |