概要
保護地域(ホームエリア)は愛知県。
2020年現在の親会社は中日新聞社。球団会社名はチーム名と同じで、通称は『中日』又は『ドラゴンズ』。
チームカラーはやや深い青。
本拠地は、1軍は名古屋市のナゴヤドーム(バンテリンドームナゴヤ)。
ウエスタン・リーグに所属する2軍は同じく市内にあり、旧1軍本拠地を減築して使用しているナゴヤ球場である。
1936年に中日新聞の合併前の前身会社が「名古屋軍」を創立、現存する球団としては古参である。その後幾度のチーム改名を経て、48年に中日ドラゴンズとなる。
これまでに9回のリーグ優勝と2回の日本シリーズ制覇を達成している。
キーワード・歴史
プロ野球草創期、名古屋に球団誕生
1934年に、MLB選抜チームとの対戦するため読売新聞社が大日本東京野球倶楽部(後の読売ジャイアンツ)を結成。その2年後、新愛知新聞社(中日新聞の前身)が中心となって、愛知県名古屋市に名古屋軍を結成。河野安通志を総監督に迎え、池田豊が監督に就任する。
しかし、翌1937年に河野がチームを去り新たにイーグルス(後の大和軍。現在の東北楽天ゴールデンイーグルスとは無関係)を結成すると、名古屋軍の主力選手もイーグルスに移籍。結果戦力が低下し、低迷を余儀なくされた。
その後、戦時統制により誕生した中日新聞社の傘下となるが、本社人件費の増加で球団への資金投入が大幅に減ったうえ、新聞社の営利事業兼営が認められなくなり、1944年に名古屋軍は理研工業の傘下に入り産業軍と改称。太平洋戦争の激化で中止された1945年シーズンを経て1946年、中部日本として再出発を遂げる。
1947年は中部日本ドラゴンズ、1948年からは中日ドラゴンズと改称。服部受弘、西沢道夫といった主力選手が活躍した。
2リーグ分立、巨人の真のライバルとして
1950年のプロ野球2リーグ分裂時には巨人、大阪タイガース、松竹ロビンス、大洋ホエールズ、広島カープ、西日本パイレーツ、国鉄スワローズとともにセ・リーグに加盟。
1951年、名古屋鉄道が経営に参加。球団名を名古屋ドラゴンズとする。この年から1953年まで中日新聞社と1年交代で球団を経営した。51年8月に中日球場が全焼、残りの開催試合を鳴海球場などに変更を余儀なくされる。球場は同年オフに鉄筋コンクリートで再建された。
1954年に名鉄が経営から撤退し、球団名が中日ドラゴンズに戻る。この年に天知俊一監督の下で初優勝、西鉄ライオンズを下し日本一に輝く。その後は安定した成績を残しながらも優勝はできず。
1950年から1960年代にかけては、権藤博・板東英二らが活躍。また日本球界初となる元メジャーリーガー、ドン・ニューカムとラリー・ドビーを入団させている。
1974年のV10阻止と「10.8決戦」
1960年代後半から1970年台前半にかけては巨人がV9を達成するなどその牙城に迫れず、中日は2位以下に甘んじていた。それでも1969年に水原茂が監督に就任して後の優勝につながるメンバーを育てると、1972年からは与那嶺要ヘッドコーチが監督に昇格。1974年に高木守道、星野仙一、松本幸行、トーマス・マーチン、谷沢健一らの活躍でV10を阻止して優勝を飾る。
その後中利夫、近藤貞雄、山内一弘監督時代はAクラスとBクラスを行ったり来たりを安定しなかった。それでも1982年には平野謙、中尾孝義、上川誠二らの若手や大島康徳、田尾安志、ケン・モッカ、宇野勝、谷沢といった強力打線と郭源治、都裕次郎、牛島和彦、小松辰雄らの活躍で見事優勝を決める。
1987年から本拠地をナゴヤ球場に移す。前年オフに落合博満を牛島、上川ら4人とのトレードで獲得している。この年のルーキー・近藤真一がプロ初登板初先発でノーヒットノーランを達成している。
1983年に山本昌、1988年には立浪和義と後にドラゴンズを支える主力選手が入団。この時期には小野和幸、今中慎二、アロンゾ・パウエル、大豊泰昭らがタイトルを獲得している。
1994年は巨人と熾烈な優勝争いを演じ、最終戦を残して全くの同率というところで直接対決となった(いわゆる10.8決戦)。この試合に敗れた中日は2位に終わった。
1995年は5位、1996年は山崎武司が本塁打王を獲得するなど打線が猛威を振るったが、惜しくも優勝は出来ず。
ナゴヤドーム移転と「オレ流」落合の53年ぶり日本一
1997年に現在の本拠地でもあるナゴヤドームに移転。移転1年目は山本昌、宣銅烈ら投手陣は活躍したものの打線が不発で最下位に終わる。
1998年は横浜ベイスターズの前に優勝を許した。それでも1999年に野口茂樹、川上憲伸、落合英二、山本昌、武田一浩、サムソン・リー、岩瀬仁紀ら強力投手陣を擁しナゴヤドーム移転後初優勝を決める。
2000年から2003年は再びAクラスとBクラスを行ったり来たり。
2004年からは落合博満が監督に就任。荒木雅博・井端弘和のアライバコンビに加え朝倉健太、福留孝介、谷繁元信ら若手、新加入選手の活躍もあり就任1年目で見事リーグ優勝に導く。
2006年はリーグ優勝、2007年はクライマックスシリーズでの勝ち上がりで日本シリーズに進出。特に2007年は日本一へ王手をかけた試合で山井大介→岩瀬の継投完全試合を達成。1954年以来実に53年ぶりとなる日本一に輝いた。
2008年は和田一浩がFAで移籍するも、シーズン3位。2009年は新加入のトニ・ブランコが打撃二冠に輝くが2位に終わる。
2010年は落合野球の真骨頂ともいえる(チーム打率.259は12球団中11位ながらチーム防御率が12球団トップの3.29)戦いぶりを展開。浅尾拓也、高橋聡文ら新たな戦力も台頭し、巨人のリーグ4連覇を阻止する優勝を決める。
2011年は序盤東京ヤクルトスワローズの独走を許し、また主力選手の故障が相次いで低迷。しかし中盤から主力の復帰やエンジェルベルト・ソト、大島洋平、平田良介ら新戦力や若手の活躍などで徐々に追い上げると終盤の東京ヤクルトとの直接対決で連勝。最終的に優勝を果たし球団史上初のリーグ連覇を達成した。
「オレ流」後、ドラゴンズ暗黒期
2012年からは高木守道が17年ぶりの監督に復帰。落合政権時の主力が何とか持続しシーズンを2位で終えたが、2013年はトニ・ブランコやホルヘ・ソーサらを横浜DeNAベイスターズに引き抜かれ、エース吉見一起は故障で離脱。若手の大野雄大や平田良介、高橋周平らの活躍もあったものの、2001年以来12年ぶりにBクラス落ちが決定。初めてCS入りを逃し4位となった。シーズン終了後、高木監督が退任。後任には中日では3人目となる選手兼任監督として谷繁元信が就任し、さらに落合博満がGMとして復帰することになった。
小笠原道大が入団した2014年も4位。大接戦だった2015年も8月に脱落し5位。この年で、山本昌が32年に渡る現役生活を終えた。また、小笠原道大と、この年に2000本安打を達成した和田一浩も引退した。谷繁も現役を引退し、翌年から監督専任となった。
2016年はリオデジャネイロオリンピック期間中の8月9日に谷繁監督が成績不振のため解任され、ヘッドコーチを務めていた森繁和が代行として指揮を執るも成績は上向かず、4年連続Bクラス、そして、ナゴヤドーム最終戦で1997年以来19年ぶり(21世紀では初)となる最下位が確定した。
2017年は、森繁和が正式に監督に就任し捲土重来を期し、吉見、バルデス、中継ぎから転向した又吉ら3人の先発陣が奮闘したが、それ以外の先発投手がおらず、抑えの田島がセーブに失敗し敗戦を重ねるなど、チームはシーズン序盤から低迷。低迷するチームに業を煮やしたチームは先発として機能していた又吉を再び中継ぎに配置したが、今度は吉見以外に安定する先発投手がおらず、オールスター戦を前にしてペナントレースから脱落、若手育成に失敗しベテランが最前線に立つ巨人にも抜かれ、最終的には5位に終わってしまった。
2018年は「平成の怪物」こと松坂大輔を獲得。奇跡の復活を遂げ6勝4敗と結果を残した。しかし、先発は松坂と助っ人のオネルキ・ガルシアを除いて結果を残せず、信頼できるリリーフも無い投手陣の層の薄さや、昨年度本塁打王のアレックス・ゲレーロが抜けたためか打線も長打力・決定力に乏しかった。それでも新外国人のスティーブン・モヤやソイロ・アルモンテがゲレーロの穴を埋めるかのように徐々に活躍、ビシエドが首位打者に輝いた。チームは6年連続Bクラスとなる5位に終わり、森監督は責任を取り辞任。そしてこの年限りで落合時代の中日を支えた岩瀬・荒木・浅尾が引退を表明した。後任はOB・与田剛。
2019年は前年度に活躍を見せた勝ち頭のガルシアが阪神へ流出。もう1人の勝ち頭の松坂はキャンプ時にファンとの接触で怪我をしてしまい、長期離脱を余儀なくされる。去年に引き続いて投手陣は惨憺たる有様で、3年連続の5位。しかし、大野雄大がノーヒットノーラン及び最優秀防御率を達成、大島洋平が最多安打を獲得するなど明るい材料はあった。松坂は古巣西武へ復帰。
2020年は中盤から木下拓哉が正捕手の座に、そして救援陣では福敬登、祖父江大輔、ライデル・マルティネスが勝ちパターンの3本柱として定着。一時期6回終了時点でのリード時37連勝を記録し、8年ぶりのAクラスとなる3位でシーズンを終えた。エース・大野雄大は10完投・6完封を記録し2年連続の最優秀防御率タイトルを獲得。
2021年は福留孝介が古巣中日へ復帰。チーム防御率は12球団トップの数字をマークしたが、チームのホームラン数は(他のセ・リーグ球団が3桁打っている中で)唯一2桁の合計69本。歴史的貧打により5位でシーズンを終えた。与田監督が任期満了で退任。後任はOB・立浪和義。中継ぎで奮闘した又吉はFAによりソフトバンクへ移籍。
2022年はシーズン途中に根尾昂が野手から投手へコンバートされるも、前年まで好投を続けていた投手陣が軒並み成績ダウンし打線のほうはホームラン数62本。最下位でシーズンを終えた。当時NPB最年長となっていた福留が現役引退。
pixivでは
タグとしては中日やドラゴンズが多い。
ニコニコ動画で人気を博したドアラに至っては、公式により企画目録までできてしまった。
架空の人物では、選手で巨人の星のアームストロング・オズマと伴宙太、侍ジャイアンツの大砲万作、ドカベンプロ野球編の影丸隼人、勝利投手の国政克美が、コーチで巨人の星の星一徹が在籍しているが、ドラゴンズのユニフォームを着ているイラストはオズマ・大砲万作・星一徹のみ。(伴は巨人時代、国政は高校の制服。影丸に至っては長い間イラストが全くなく、初めてのイラストは高校時代。)
選手一覧
(2022年12月19日現在)
監督・コーチ
一軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
73 | 立浪和義 | 監督 |
77 | 落合英二 | ヘッド兼投手コーチ |
76 | 大塚晶文 | 投手コーチ |
72 | 西山秀二 | バッテリーコーチ |
75 | 和田一浩 | 打撃コーチ |
78 | 森野雅彦 | 打撃コーチ |
71 | 荒木雅博 | 内野守備走塁コーチ |
79 | 大西崇之 | 外野守備走塁コーチ |
二軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
88 | 片岡篤史 | 監督 |
82 | 浅尾拓也 | 投手コーチ |
83 | 山井大介 | 投手コーチ |
80 | 小田幸平 | バッテリーコーチ |
74 | 中村紀洋 | 打撃コーチ |
86 | 上田佳範 | 打撃コーチ |
81 | 森越祐人 | 内野守備走塁コーチ |
87 | 中村豊 | 外野守備走塁コーチ |
85 | 渡邉博幸 | 育成野手コーチ |
所属選手
投手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
7 | 根尾昂 | 右 | 左 | |
11 | 小笠原慎之介 | 左 | 左 | |
12 | 田島慎二 | 右 | 右 | |
13 | 橋本侑樹 | 左 | 左 | |
14 | 谷元圭介 | 右 | 右 | |
17 | 柳裕也 | 右 | 右 | |
18 | 梅津晃大 | 右 | 右 | |
19 | 高橋宏斗 | 右 | 右 | |
20 | 涌井秀章 | 右 | 右 | 楽天からトレード移籍 |
21 | 岡田俊哉 | 左 | 左 | |
22 | 大野雄大 | 左 | 左 | 投手キャプテン |
24 | 福谷浩司 | 右 | 右 | |
26 | 石森大誠 | 左 | 左 | |
28 | 森博人 | 右 | 右 | |
29 | ジャリエル・ロドリゲス | 右 | 右 | |
31 | 仲地礼亜 | 右 | 右 | 2022年ドラフト1巡目 |
33 | 祖父江大輔 | 右 | 左 | |
34 | 福敬登 | 左 | 左 | |
36 | 岡野祐一郎 | 右 | 右 | |
38 | 松葉貴大 | 左 | 左 | |
39 | 砂田毅樹 | 左 | 左 | 横浜DeNAからトレード移籍 |
40 | 森山暁生 | 左 | 左 | 2022年ドラフト3巡目 |
41 | 勝野昌慶 | 右 | 右 | |
46 | 鈴木博志 | 右 | 右 | |
50 | 清水達也 | 右 | 右 | |
54 | 藤嶋健人 | 右 | 右 | |
59 | 山本拓実 | 右 | 右 | |
64 | 福島章太 | 左 | 左 | 育成から支配下登録 |
67 | 上田洸太朗 | 左 | 左 | |
70 | 近藤廉 | 左 | 左 | |
92 | ライデル・マルティネス | 右 | 左 | |
201 | 竹内龍臣 | 右 | 右 | 育成選手 |
202 | フランク・アルバレス | 右 | 右 | 育成選手 |
203 | 岩嵜翔 | 右 | 右 | 育成選手 |
204 | 加藤翼 | 右 | 右 | 育成選手 |
205 | 垣越建伸 | 左 | 左 | 育成選手 |
206 | 松木平優太 | 右 | 右 | 育成選手 |
207 | 松田亘哲 | 左 | 左 | 育成選手 |
208 | 石川翔 | 右 | 左 | 育成選手 |
211 | 松山晋也 | 右 | 右 | 育成選手、2022年育成1巡目 |
212 | 野中天翔 | 左 | 左 | 育成選手、2022年育成2巡目 |
捕手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
27 | 大野奨太 | 右 | 右 | |
35 | 木下拓哉 | 右 | 右 | |
43 | 味谷大誠 | 右 | 左 | |
44 | 郡司裕也 | 右 | 右 | |
57 | 山浅龍之介 | 右 | 左 | 2022年ドラフト4巡目 |
58 | 石橋康太 | 右 | 右 | |
69 | 加藤匠馬 | 右 | 右 | 千葉ロッテマリーンズから無償トレードで古巣復帰 |
内野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2 | 田中幹也 | 右 | 右 | 2022年ドラフト6巡目 |
3 | 高橋周平 | 右 | 左 | |
5 | 村松開人 | 右 | 左 | 2022年ドラフト2巡目 |
25 | 石川昂弥 | 右 | 右 | 2から背番号変更 |
32 | 石垣雅海 | 右 | 右 | |
37 | 濱将乃介 | 右 | 左 | 2022年ドラフト5巡目 |
45 | 龍空 | 右 | 左 | 2023年から登録名変更 |
48 | 溝脇隼人 | 右 | 左 | |
51 | 高松渡 | 右 | 左 | 0から背番号変更 |
55 | 福田永将 | 右 | 右 | |
56 | 星野真生 | 右 | 右 | |
63 | 堂上直倫 | 右 | 右 | |
66 | ダヤン・ビシエド | 右 | 右 | |
68 | 福永裕基 | 右 | 右 | 2022年ドラフト7巡目 |
99 | オルランド・カリステ | 右 | 右 | 新入団 |
209 | ペドロ・レビーラ | 右 | 右 | 育成選手 |
213 | 樋口正修 | 右 | 左 | 育成選手、2022年育成3巡目 |
外野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
0 | 細川成也 | 右 | 右 | 横浜DeNAから現役ドラフトで移籍 |
4 | 鵜飼航丞 | 右 | 右 | |
8 | 大島洋平 | 左 | 左 | |
9 | アリスティデス・アキーノ | 右 | 右 | 新入団(シンシナティ・レッズ傘下) |
23 | 福元悠真 | 右 | 右 | |
30 | 三好大倫 | 左 | 左 | |
42 | ブライト健太 | 右 | 右 | |
49 | 伊藤康祐 | 右 | 右 | |
52 | 加藤翔平 | 右 | 両 | |
53 | 後藤駿太 | 右 | 左 | 00から背番号変更 |
60 | 岡林勇希 | 右 | 左 | |
96 | ソイロ・アルモンテ | 右 | 右 | メキシカンリーグから3年振り復帰 |
210 | ギジェルモ・ガルシア | 右 | 左 | 育成選手 |
過去に所属した選手
※前身球団の選手(名古屋軍及び産業軍)も含む。
あ行
愛甲猛
浅尾拓也
朝倉健太
阿部寿樹
新井良太
荒木雅博
石井昭男
石井裕也
石岡諒太
石丸進一
石丸藤吉(石丸進一の実兄)
一枝修平
井手峻
伊藤準規
稲葉光雄
井上一樹
井端弘和
今中慎二
井領雅貴
岩崎達郎
岩瀬仁紀
岩田慎司
上田佳範
牛島和彦
宇野勝
江藤慎一
江藤省三(江藤慎一の実弟)
遠藤一星
大島康徳
大塚晶則(晶文)
大西崇之
大場翔太
大嶺祐太
小笠原孝
小笠原道大
小川健太郎
小川将俊
小川龍也
小熊凌祐
小野和幸
小野和義
小田幸平
落合英二
落合博満
音重鎮
か行
笠原祥太郎
鹿島忠
桂依央利
門倉健
金村義明
亀澤恭平
上川誠二
川相昌弘
川上憲伸
川崎憲次郎
川又米利
木下雄介
木俣達彦
京田陽太
久慈照嘉
工藤隆人
小池正晃
小林正人
小松辰雄
小山伸一郎
小山良男
近藤真市
権藤博
さ行
佐伯貴弘
酒井忠晴
佐藤充
島野育夫
清水昭信
清水将海
正津英志
神野純一
杉下茂
杉山翔大
鈴木翔太
鈴木孝政
鈴木郁洋
鈴木義広
関川浩一
た行
大豊泰昭
田尾安志
高木守道
高橋聡文
高橋光信
滝野要
武田一浩
武山真吾
立浪和義
田中大輔
谷哲也
谷繁元信
種田仁
田上秀則
多村仁志
土谷鉄平
筒井壮
デニー友利
堂上照
堂上剛裕(堂上照の長男、堂上直倫の実兄)
な行
中暁生(利夫)
中尾義孝
中里篤史
長嶋清幸
中田賢一
中村武志
中村紀洋
奈良原浩
西沢道夫
西本聖
仁村薫
仁村徹 (仁村薫の実弟)
野口茂樹
野本圭
は行
服部受弘
波留敏夫
板東英二
彦野利勝
久本祐一
英智(蔵本英智)
平井正史
平田良介
平野謙
福留孝介
藤井淳志
星野仙一
本多逸郎
ま行
前田幸長
前原博之
又吉克樹
松井雅人
松井佑介
松坂大輔
松本幸行
三瀬幸司
三ツ俣大樹
都裕次郎
武藤祐太
森井茂
森岡良介
森越祐人
森野将彦
や行
谷沢健一
八木智哉
柳沢裕一
矢野輝弘
山井大介
山口幸司
山﨑武司
山下斐紹
山本昌
雄太
吉川大幾
吉鶴憲治
吉原孝介
吉見一起
与田剛
与那嶺要
わ行
外国人
ラリー・ドビー(クリーブランド・インディアンスの永久欠番「14」)
郭源治
ケン・モッカ
ゲーリー・レーシッチ
マット・ステアーズ
ダーネル・コールズ
アロンゾ・パウエル
サムソン・リー
宣銅烈
李鍾範
エディ・ギャラード
デーブ・ニルソン(ディンゴ)
レオ・ゴメス
ドミンゴ・グスマン
アレックス・オチョア
オマール・リナレス(現:編成スタッフ・巡回打撃コーチ兼球団通訳(背番号無し)。)
李炳圭
タイロン・ウッズ
陳偉殷
ディオニス・セサル
トニ・ブランコ
ブラッドリー・スティーブン・バーゲセン
ダニエル・カブレラ
ホルヘ・ソーサ
エクトル・ルナ
ドリュー・ネイラー
アンダーソン・エルナンデス
リカルド・ナニータ
ラウル・バルデス
ジョーダン・ノルベルト
アレックス・ゲレーロ
オネルキ・ガルシア
スティーブン・モヤ
ジョエリー・ロドリゲス
エンニー・ロメロ
アリエル・マルティネス
ルーク・ワカマツ
永久欠番
10・服部受弘
15・西沢道夫
球団マスコット
球団歌・応援歌
応援歌の「燃えよドラゴンズ!」(作詞・作曲:山本正之、通称「燃えドラ」)は、リーグ優勝した1974年のシーズン途中に、当時無名だった山本氏がドラゴンズの選手を応援する目的で制作したものが原型。シーズンで活躍した選手を歌詞に載せ、発表する度に歌詞が異なるという変わった応援歌である。
基本はシーズン終了後発売だが、一部例外もある。割と簡単に他球団でも替え歌が成立するような歌詞なので、カラオケなどでも中日以外の野球ファン定番ソングとして、知名度も高い。
ただし燃えドラは球団公式の応援歌ではなく、公式には「嵐の英雄」や「昇竜 ―いざゆけドラゴンズ―」があるのだが、現在ほとんど歌われておらず、知名度が低い。試合前やラッキーセブンの際にも燃えドラの方が流れている。
(98年版)