プロフィール
経歴
大阪桐蔭高校では1年からレギュラーを張り、辻内崇伸(大阪桐蔭→巨人)、鶴直人(近大付→阪神)、T-岡田(履正社→オリックス)らとともに浪速の四天王と呼ばれた。
2005年高校生ドラフト1位で中日ドラゴンズから指名され入団。
ルーキーイヤーの2006年に一軍デビュー。2007年に死球でプロ初打点を挙げ、10月7日には猛打賞をマーク。2008年は序盤不振にあえぎながらも58試合出場、ホームランもマーク。2009年は42試合出場と昨年を下回り、2010年は大島洋平の台頭などで大半を二軍を過ごした。
2011年は5月に一軍に昇格すると、6月4日・5日に2日連続サヨナラホームランを記録。6月月間MVPを受賞するなど輝きを取り戻し、113試合に出場して攻守にチームを支えた。
2012年は出場試合数と打率を大きく落としてしまったものの昨年と同じ11本塁打を放った。
2013年は開幕一軍を勝ち取ったものの松井佑介にスタメンを奪われると、33打席で1本もヒットを打てずに登録抹消、5月に昇格後6月23日の対読売ジャイアンツ戦では2回に先制のソロ本塁打、7回にはダメ押しとなる3ラン本塁打を放ち、チーム3年振りとなる1試合4本塁打のうちの2本を放って勝利に貢献。以後は右翼レギュラーに定着し最終的に規定打席には及ばなかったが自己最高の打率.289・15本塁打・55打点を記録。同年11月台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出。また背番号が井端弘和の退団により空き番となった「6」に変更された。
2014年にはオープン戦から4番打者・右翼手として起用。6月に右足首ねん挫で1カ月離脱したものの初めて規定打席に到達した。2015年、「第1回WBSCプレミア12」の日本代表(7月に第1次候補選手、9月に日本代表候補選手、10月最終ロースター28名)に選出。2016年は6年連続2桁本塁打を記録、9月14日に右肩痛で一軍登録を抹消された。
2017年、「2017 ワールド・ベースボール・クラシック」の日本代表に招集、大会では2試合に出場した。レギュラーシーズンでは右膝の故障に悩み、66試合の出場にとどまる。
2018年は序盤こそ不調だったものの5月に月間打率.431を記録すると、その後も一時は打率トップに立つなど安定、同僚のダヤン・ビシエドらと首位打者争いを演じ、3位で終えた。また打席も1番で出場することが多くなり、8月16日のDeNA戦ではサイクルヒットも達成。11月には初めてゴールデン・グラブ賞に選ばれる(大島洋平と共に外野手で中日から二人選出された)。
2019年は7月20日の対DeNA戦でプロ通算100号本塁打を記録したが、左足の違和感や右手首への死球の影響で登録抹消される機会が複数あった。
2020年以降は下肢のコンディション不良、特に打撃不振に陥り出場機会が減少。代打や代走での起用がメインとなり、チームの若返りの方針から2022年シーズン終了後戦力構想外になり現役引退。2021年には名古屋市内の病院で診察を受けた結果「異型狭心症」と診断されたことが、同年10月5日に公表されていた。
人物
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今中慎二…中日選手で高校の大先輩。
根尾昂…中日選手で高校の後輩。おつむはかなり優秀。平田は『根尾の教育係』(中日スポーツよりを買って出たそうだが・・・。