経歴
1981年7月31日生まれ、京都府出身。血液型はA型。ポジションは外野手。右投左打。
学生時代は本格派右腕投手として注目されていた。この当時、京都市内のチームと比較して実績のない京都府北部のチームが躍進した年でもあり、糸井も注目されていた。
京都府立宮津高校、近畿大学を経て、2003年に自由獲得枠で日本ハムファイターズ(北海道日本ハムファイターズ)に投手としてプロ入りする。
日本ハム時代
投手としては成績が伸び悩んだため、数年で外野手へ転向。2008年頃に、センターのレギュラーを森本稀哲より奪取し、ゴールデングラブ賞を獲得するほどの名手となる。
10年は5番センターに定着。選手間投票でオールスター2年連続出場。2年連続ゴールデングラブ賞受賞。メディアにも「不動の中堅」「キーマン」と書かれるほどになった。
11年はシーズン通し3番センター。中田翔、陽岱鋼を中心に若手メンバーが定着した外野をリードしている。打撃は例年のように夏前に爆発。でもチームが調子を落とした終盤も安定感をキープ。トリプルスリーはならなかったものの、打率.319、31盗塁、11本塁打。出塁率は両リーグトップの.411。3年連続3回目ゴールデングラブ賞。2年ぶり2回目ベストナイン受賞(しかも外野手トップ得票)。現役選手が選ぶベストナイン(雑誌特集)でもダルに次ぐ得票で野手ではダントツ。・・と文句ない成績を残すが、守備も打撃もまだまだです、とあくまでも謙虚。 最もトリプルスリー(3割30本塁打30盗塁)に近い選手として紹介された。
12年シーズン途中でわき腹を痛め、一時戦線離脱したが見事に復帰。9月は驚異的成績をあげて長打率と出塁率でリーグトップ、打率と打点でリーグ2位となり、9月度の自身2度目の月間MVPを受賞。2年連続最高出塁率のタイトル(.404)を獲得した。このオフ、糸井・八木智哉⇔木佐貫洋・大引啓次・赤田将吾の電撃トレードが成立し、オリックス・バファローズへ移籍した。
オリックス時代
2014年では3番打者、あるいは4番打者として活躍し、シーズン成績は自己最高の打率.331で初の首位打者、同じく出塁率.424で2年ぶり3度目の最高出塁率に輝いた。2年ぶり4度目のベストナインと、6年連続のゴールデングラブ賞も獲得。
2015年には主将として活躍。通算1000安打、通算100本塁打、通算1000試合出場の記録をこの間に達成している。しかしシーズン中に右肘靱帯や右足首腱の損傷を受けながらも強行出場したために、それが成績に響いてシーズン打率が大きく下がった。
2016年は1軍公式戦の全試合(143試合)に出場。シーズン通算成績は打率でリーグ4位(.306)、出塁率で5位(.398)、OPSで4位(.849)となったほか、17本塁打、70打点、53盗塁で、自身ではじめて盗塁王のタイトルを獲得した。このシーズン中に国内FA権を取得したため、同年オフにFA宣言を行い、阪神タイガースへ移籍となった。
阪神時代
2017年は当初、金本知憲監督は当時レギュラー不在であった中堅での起用を仄めかしていたものの、深刻な膝の故障の影響により右翼手としてプレーした福留孝介を左翼手にコンバートする形をとり、以降ほとんどの試合を右翼手としてプレーする。シーズン中旬には怪我で離脱するなどしたが、規定打席に到達した。前年より成績は落としたものの、打率.290 17本塁打 62打点 22盗塁とチームの主軸を担った。
2018年は序盤からハイペースで本塁打を量産したが、交流戦明けに調子を落としシーズン中旬に死球を受けて戦線離脱。しかしシーズン最下位に沈んだタイガースでは打率・本塁打・盗塁においてチームトップの成績を残す。前年と遜色ない、打率.308 16本塁打 68打点 22盗塁と成績を残し、福留孝介と共にチームを牽引した。
2019年も前半戦までは好調で、6月度月間MVPも獲得したが、怪我で後半戦を棒に振ることに。
2020年以降は近本光司や佐藤輝明などの若手の台頭もあり出場機会をめっきり減らしているが、チームのムードメーカーとしての役割は健在。2022年、緊急時には休養を挟みつつ再び要所要所で起用され、勝負強さを再び見せつけていた。
しかし、高齢であることに加え相次ぐ怪我により選手としてのパフォーマンスが低下していたことや、若手の台頭もあり出場機会は依然として少なかった。
2022年9月12日に引退を表明。
これにより来季の阪神タイガースでは昭和生まれの現役選手が12球団で唯一0人となる。
引退後
野球解説者として活動。
人物
性格は非常にまじめでナイーヴ、そしてシャイ。
また野球選手としては以下のように誰もがうらやむ特徴を持つ。
チーム1と言われる超人的な身体能力
ダビデ像にも例えられるほどの完璧な肉体(体脂肪率8%)
50m5秒台の俊足
盗塁も多く
守備範囲は広くて
肩も強い
だが…
球界一のアホの子として有名
野球選手としては申し分ない実力を持っていながら、サインプレーを見逃す、派手なやらかし、意味不明な発言といったアホの子・宇宙人的要素が多く見受けられる。
かつて実況中に岩本勉が「糸井君はなにを考えているのかわからない!」と悲嘆にくれるほど意図不明の謎プレーが目立ち、それゆえ「(野球脳が)5グラム」と呼ばれるようになった。
ちなみに、本人は天然キャラと言われているのが好ましくない模様。
糸井5g伝説
- 中学時代「やる気はないなら帰れ!」→そのまま帰宅、試合に行くチームメイトを満面の笑顔で見送る。
- 学生時代、コントロールの悪さに「ノーコンだな」と指摘された際にアンダーシャツを指さして「濃紺じゃないですよ」と答えた。
- 近畿大学野球部で当時監督を務めていた榎本保は、罵声、罵倒、鉄拳制裁を辞さない鬼監督であったが、いくら怒鳴ってもサインプレーの見逃しや判断ミスが直らない糸井を見て、頭ごなしな指導は通用しない、しかし糸井だけを特別扱いするわけにはいかないと、全部員に対して話して理解させ、なるべく褒めてやる気を出させる指導スタイルに変えた。この指導のおかげで部員の自主性や生活態度が改善される効果がもたらされ、結果的に部員全体の技術や野球頭脳の向上が見られるようになった(ルポ『部活が危ない』より)。
- その際に殴りかかろうとした監督に対してハイタッチ。以後、暴力指導はなくなった。
- ドラフト1位指名を受け、日ハム球団側との会食の後、「どうでしたか?」の記者からの質問の答えに、(会食で出てきた食べ物は何かと勘違いし)にこやかに「エビフライ!」と回答。
- 投手時代、投球練習でカーブ投げると言ってたのに、ロージンを触ってる間にその事をスッカリ忘れて豪速球を投げキャッチャーにヒドく怒られる。
- 試合中、守備位置指示の合図をされてもまったく気付かない。溜まりかねた稲葉に「よしおーーーー!ベンチ見ろーーーー!」といわれ、やっとベンチを見る。
- 「何も考えないようにしてバットを振れ」とアドバイスされるが、「何も考えないってなんだっけ?????」と考えてる間に三振。
- 大村巖コーチが糸井のために子犬の育て方の本を買って来た。
- 天気予報でしか沖縄を知らなかったため沖縄は鳥取の上にあると思っていた。
- 練習中、チームスタッフに「うちゅうかんってなんですか?」と尋ねる。
プロ入り5年目の出来事である。(どうやら「うちゅう」を「宇宙」だと思ってたようである)
- 代打で出てきて三球三振。試合後「何の球種を待っていたのか?」と報道陣に聞かれ「ストライクです」と真顔で答える。周囲は絶句。
- 野手としての初打席で三塁に向けて走り出した。
- 08年契約更改でハンコを押そうとポケットから出したらリップクリームだった。
- ヒロインで好調の要因を訊かれ、「よういん……………………………………………………(熟考の末) 規則正しい生活をすることです 」横にいたひちょり大爆笑
- “規則正しい生活”とは具体的にどんなことをやっているのか聞かれ、糸井「そうですね……………… 夜な夜な ………」←!!??
- 外野守備練習時、突如スイッチが入るのか、いきなり「よっしゃぁー!!」と叫び周囲を驚かせる。
- 09年オールスター初出場に際し、「セ・リーグで話してみたい人は?」と問われ「えっ!? 自分はセ・リーグのベンチに入るんですか?」なお阪神時代実際にセ・リーグのベンチに入れた模様。
- 09年七夕イベントの短冊に書いた言葉「頭がもっとよくなりますように」
- ファンから「奥さまとのなれそめを教えてください」と聞かれて「なれそめってなんですか?」と返した。
- ブライアン・ウルフと謎の言語で談笑しているのを目撃される
- 手相芸人の島田秀平氏に手相を見てもらったが、「天下取りの相」とともに、「不思議ちゃんの相」もあることが発見される。本人は「嘘だ~」と否定するも、向かい側に居た稲葉氏が「いや、その通り」と肯定。
- 「日本一東にある球団は?」→「福岡ソフトバンクホークス!!」なお正解は。
- 敬遠されると代走が送られると思い一塁に行かずベンチに行く。
- 「空がオレンジ色に見える」田中賢介「オレンジ色のサングラスをしてるからでしょ」
- トークショーで少年に「メジャーには行かないんですか?」と聞かれ、「明日ブログで発表します」トークもうまくなった模様。
- 世界水泳バタフライ決勝を見て「うわー出てえ!」
- アドレナリン 満開 のホームラン
- 12年の開幕戦の第1打席でヒットを放った時「いきなりビッグチャンスが回ってきて 血管が開きました。」とコメント
- 視力1.0あるのにレーシック手術を受ける。
- ソフトバンクとの試合に快勝後「で、ソフトバンクはどうなった?」
- WBCから帰国後「時差ボケは大丈夫か?」「そういうのは向こうが合わせるんで」
- 「糸井じゃない。 I to I(アイ・トゥ・アイ)! 」などと、謎の発言でその場にいる者をあ然とさせる(広報レポートより)
- オリックス時代の15年のインタビューで、リポーターから「そのキャプテンマークに重みを感じますか?」と問われ、自身のユニフォーム左肩のキャプテンマークを見ながら「けっこう軽い素材なんで」「軽い素材なんで、着心地はめっちゃいいです」とにこやかに回答
- 2021年に突如Twitterを開設したところ、午後7時プレイボールの東京オリンピックの侍ジャパンの準決勝戦を午前7時にプレイボールと勘違いし、おまけに前日は早寝するツイートをする(何年プロ野球選手やってるんだ…)。
- 阪神タイガース残留に関する話題で、2021年9月22日に公開された日刊ゲンダイのとある記事で「糸井の去就問題」を「糸井の去勢問題」と誤植。それまでの宇宙人エピソードからこの誤植記事にネット上が大爆笑。なお本人。
- 2022年5月1日の東京ドームでの巨人戦に8回1死満塁の場面で代打で出場。値千金となる2点タイムリーヒットを放った。この日先発した高卒三年目にして勝ち星をあげた西純矢選手は真面目なコメントを残したのに対し、当の糸井のコメントは年甲斐もなく「ヤッターーー!!!」(しかも広報を通してのコメントである)。
- 2022年7月18日、TwitterとInstagramを更新。「see you again」と意味深な内容を投稿した。この投稿にファンは「引退するのではないか」と心配する声が多い一方で「糸井のことだから匂わせとか何も考えてない」という声も。翌日、リフレッシュ目的の登録抹消ということが明かされた。
- ジャンクSPORTSにて鳥谷敬と内川聖一に「多数のサインを覚えなきゃいけない内野手は絶対無理」と言われる。
最後はやっぱり…
…と何かとネタにされがちな糸井だが、2022年9月に去就についての一報が入るとSNSを中心にショックや悲しみを露わにするファンが多く現れた。沢山のファンから愛されている証拠とも言えるだろう。その後は明言されていなかったが………2022年9月12日、本当に引退を表明した。
ただでさえ2022年に入り内海哲也、福留孝介など一時代を築いた選手が相次いで引退を表明している中、野球ファンに与えた衝撃は大きかったのは間違いない(その後、時代の流れに逆らえないとばかりに、内川聖一、嶋基宏、坂口智隆、能見篤史等一時代を築いたベテランが相次いで引退している)。
そんな重苦しい空気の中開かれた引退会見の中、引退を最初に伝えた人の質問への回答は
「自分の心の中で。リトル糸井です」
また、今後についても
「あんまりゆっくりするタイプじゃないんで、筋トレとか…筋肥大!筋肥大します、もうちょっと」
5g伝説は健在であった。
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柳田悠岐 宇宙人エピソードがかなり多い仲間。