概要
ポジションは外野手で、右投右打。
兄・陽耀勲、同郷の王監督(当時)がいる福岡ソフトバンクホークスへの入団を希望していたが、ドラフト会議では北海道日本ハムファイターズと福岡ソフトバンクホークスが競合。一旦は「交渉権を得たのはソフトバンク」という発表があり本人も喜んでいたがそれが間違いだとわかり涙を流す。最終的に2005年日本ハムにドラフト1位で入団した。
日本国籍をもっていないが、福岡第一高等学校に3年間在学したため、日本人登録選手として扱われている。
2005年・06年は1軍での試合出場機会はなかったが、2006年秋のインターコンチネンタル杯では台湾代表として出場し、銅メダル獲得に貢献した。しかし2軍で首位打者争いができるだけの力がありながら、1軍ではイマイチ発揮しきれていなかった。
2009年には強肩を生かすために外野手にコンバート。同年11月に心機一転で「陽仲壽」から「陽岱鋼」に改名(登録名変更ではなく本名の改名。台湾ではよくあること)。改名の甲斐あってほぼ1軍定着。
2012年シーズンより正式に外野手登録、そして糸井嘉男とポジション交換してセンターへ。外野手転向後は、相変わらず安定した守備を見せていた。
2013年より背番号が念願の「1」に変更されることが発表された。ヒーローインタビューの際、ファンに向けて「サンキューで~す!」という決め台詞を使うようになる。
2016年シーズンオフにFA宣言をして読売ジャイアンツへ移籍。
巨人時代の5年間はコンディション不良や怪我に苦しめられた。2019年は代打の切り札として代打打率.394を記録するも、レギュラー獲得までには至らなかった。貴重な右打ち外野手であるため巨人球団は2022年シーズンも契約する方針だったが、本人の申し出で2021年シーズン終了後退団。
アメリカ合衆国の独立リーグで2年間プレーしたのち、2024年に(2軍のみのチームである)オイシックス新潟アルビレックスBCと契約した。
エピソード
- 台湾の少数民族アミ族の出身。身体能力の高い民族らしい。
- 先述の通り、長兄は福岡ソフトバンクホークスでプレー経験がある陽耀勲(ヤン・ヤオシュン)。彼は外国人登録。1軍での直接対決は2012年8月8日に兄が中継ぎとして登場し、7年越しでようやく兄弟対決が実現。わずか1球でヒットに仕留めて弟の勝ち。
- 次兄は独立リーグの四国・九州アイランドリーグ、長崎セインツでプレーした陽耀華。
- いとこはオリックス・バファローズ、埼玉西武ライオンズでプレーした張奕。彼も福岡第一高等学校・日本経済大学に在学したため、NPB時代は日本人登録扱いだった。
- 台湾は徴兵制があるためオフはちゃんと兵役に服した。キチンと坊主になった。
- 2009年12月、台湾の球場にて彼女に堂々プロポーズ。その彼女は元モデルであり、08年12月には既に入籍していた。入籍後に公開プロポーズ、台湾ではよくあること。
- おしゃれさん。お出かけ前には何を着ていくか15分くらい考えている。ファッションのポイントは帽子。
- 遊びに来た対戦相手のマスコット(主にドアラ)とじゃれる様子がたまに目撃される。
- 日ハム所属時の2016年9月21日での対ソフトバンク戦の9回裏で、2死2・3塁で江川智晃が放った大飛球をフェンス際でとった事があり、これに由来して「リアル野球BAN」でのベース付近の金網・ピッチングマシンのモニター・フェンスの「FINE PLAY!!」エリアに2017年から追加(既存のレフト・ライトにそれぞれ1ヶ所ずつ計2ヶ所設置されている所にさらに追加された形)されたセンター2ヶ所には、石橋貴明によって「陽岱鋼ゾーン」と命名された。