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経歴

1989年4月10日生まれ、岐阜県多治見市出身。

ポジションは投手、右投右打。

岐阜県立岐阜商業高等学校(県岐阜商)時代には、2年生の時に内野手として夏の甲子園に出場したが、翌年から投手に転向。高校3年生の時に複数球団が三上を「野手」としてドラフト指名する動きを見せていたが、投手にこだわる三上は法政大学へ進学、その後社会人野球のJX-ENEOSでプレーした。

2013年のドラフト会議にて、横浜DeNAベイスターズから4巡目で指名されプロ入り。社会人野球時代は先発投手としての登板であったが、プロ入り後は全て救援・リリーフ(セットアッパー)として起用。プロ1年目・2014年はシーズンを通じて一軍へ帯同し、一軍公式戦でチーム最多の65試合に登板した。当時の中畑清監督からクローザーに指名され、ルーキーながら21セーブを挙げた。

右肘を痛めて戦線離脱した年を除けば、年間40試合以上の登板で「ブルペンリーダー」として活躍。9シーズン合わせて346試合に登板したが、2022年シーズン終了後戦力外通告を受け退団した。

2023年シーズンは読売ジャイアンツでプレー。育成から支配下昇格後22試合に登板したが、同年オフに再び戦力外通告で退団、2軍のみのチームであるオイシックス新潟アルビレックスBCへ移籍した。

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三上朋也
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