愛称は「絶好調男」。
経歴
選手歴
安積商業高等学校から駒澤大学を経て1976年から1989年まで読売ジャイアンツ(巨人)で活躍。ポジションは、一塁手、三塁手。
選手層が厚かったため、入団後3年間は一軍での出番に恵まれなかった。1979年より一軍に定着した。
1980年は初めて規定打席(23位、打率.268)に到達、22本塁打を放つ。同年秋には長嶋が監督を辞任し、王も現役引退した。
監督・コーチ歴
読売ジャイアンツで1993年に打撃コーチ、1994年に一塁ベースコーチを担当。
2003年には翌2004年に開催されるアテネオリンピック野球日本代表のヘッドコーチに就任。長嶋茂雄監督の元で五輪の予選を兼ねたアジア野球選手権大会を全勝し五輪への切符を獲得。しかし五輪前に長嶋が脳梗塞で倒れ、代表監督として登録できなくなった為後任の監督に就任し、銅メダルを獲得した。
2012年から2015年まで横浜DeNAベイスターズ監督。試合後の監督インタビューは、勝った試合はもちろん、敗れた試合でも行っていた。
背番号
背番号 | 使用年 | 所属チーム | 備考 |
---|---|---|---|
24 | 1976年〜1989年 | 読売ジャイアンツ | 選手 |
72 | 1993年〜1994年 | 読売ジャイアンツ | 1軍打撃コーチ |
33 | 2003年〜2004年 | アテネオリンピック日本代表 | ヘッドコーチ |
33 | 2004年 | アテネオリンピック日本代表 | 監督 |
70 | 2012年〜2015年 | 横浜DeNAベイスターズ | 1軍監督 |