概要
リーゼントの髪型がトレードマークで、通称「ハマの番長」。
選手として
高田商高を経て1991年ドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団。プロ初登板は横浜大洋ホエールズとしての最後の試合の時にプロ初登板。
名前が横浜ベイスターズに変わった後の1995年ごろから先発ローテーションに入り、1997年に自身初の2ケタ勝利。横浜が優勝した1998年には12勝を挙げてチームに貢献。これ以降、長きにわたってベイスターズを引っ張るエースとして活躍した。
高齢により成績を落としがちだったこともあったが、2011年後半に復活。
なお、親会社がマルハからTBSに変わったとき、また横浜ベイスターズから横浜DeNAベイスターズ(親会社:DeNA)に変わったときの初勝利を挙げたのは2つとも三浦であり、横浜大洋、横浜、横浜DeNAの全てに在籍していた唯一の選手である。
チーム事情からどんなに好投してもムエンゴなどでなかなか勝ち星がつかないが、「打たれた自分が悪い」などと打線は決して責めないぐう聖。
また、当時小学6年生だった黒羽根利規がトークショーで花束を三浦に渡した際に「バッテリーを組みたいな」と三浦が発言。後にプロの世界で実現し、7回2/3を2安打に抑える好投を演出した。
2008年オフにFA宣言するも、結局横浜に残留。2012年7月には通算150勝を挙げ、「横浜に残ってよかった」と発言し、横浜ファンを感動させた。
2014年から投手コーチを兼任するようになり、登板機会も少なくなっているが、チームの精神的支柱として信頼された。2016年7月11日の中日ドラゴンズ戦で安打を放ち、「一軍公式戦24年連続安打」を達成。この記録が「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録に認定された。そして横浜が史上初のCSを決めた翌日の9月20日、今季限りで現役を引退することを表明。最終登板は9月29日の東京ヤクルトスワローズ戦。兼任していた投手コーチの役職も退任することになった。
その後は野球解説者と球団のスペシャルアドバイザーの兼任を経て、2019年より一軍投手コーチへ復帰している。
監督として
そして、二軍監督を経て2021年より一軍監督就任。フランチャイズプレイヤー、投手出身監督は球団では秋山登以来。
初年度は最下位に沈むも2022年は3位、2023年は2位、2024年は3位と3年連続でCSシリーズに進出。
そして2024年のCSでは2位の阪神を2連勝、続いて1位の巨人を4勝3敗(巨人側にファイナルステージアドバンテージ一勝)で破り貯金2ながらチームを2017年以来の日本シリーズに導く。
更にソフトバンクホークスとの日本シリーズでは横浜スタジアムで(3-5)(3-6)と連敗するも、みずほPayPayドーム福岡に舞台を移してからは投打がかみ合い(4-1)(5-0)(7-0)と3連勝して王手をかけ、再び横浜スタジアムに舞台を移した第六戦目では(11-2)と完勝しソフトバンクに2017年のリベンジを果たすとともに日本一の栄冠を手に入れた。
こうして三浦監督は選手時代・監督時代双方で日本一の栄冠を手に入れたことになる。
余談
ベイスターズファンであるマンガ家のみずしな孝之氏のササキ様に願いをでもリーゼントキャラとして登場。
同氏は2024年の日本一の際に祝福の漫画を描いて投稿している。
https://x.com/sinamism/status/1853711084827627893
大の競馬ファンなのもあって2011年からは中央競馬の馬主としても活動しており、冠名リーゼントの競走馬を所有している。
背番号
背番号 | 使用年 | 所属チーム | 備考 |
---|---|---|---|
46 | 1992年 | 横浜大洋ホエールズ | 選手 |
46 | 1993年〜1997年 | 横浜ベイスターズ | 選手 |
18 | 1998年〜2011年 | 横浜ベイスターズ | 選手 |
18 | 2012年〜2013年 | 横浜DeNAベイスターズ | 選手 |
18 | 2014年〜2016年 | 横浜DeNAベイスターズ | 選手兼任1軍投手コーチ |
18 | 2019年 | 横浜DeNAベイスターズ | 1軍投手コーチ |
18 | 2020年 | 横浜DeNAベイスターズ | 2軍監督 |
81 | 2021年 | 横浜DeNAベイスターズ | 1軍監督 |
関連項目
所属チーム以外にも長いキャリア、現役時代所属していたチーム(ただし工藤は入団した球団ではなく移籍した球団)の監督、そして髪の毛の量と共通点が多い。
なお2011年には工藤に対しベイスターズ監督の打診があったが、さまざまな理由で合意しなかった。また2017年工藤はベイスターズと日本シリーズで対戦したが、上述のようにその時三浦はチームを離れていた。そして2021年だけ二人揃って監督をやり交流戦で対戦し三浦の2勝1分けとなった。
花屋:実家は大阪で生花業をしている。因みに実弟は俳優の三浦剛。