概要
ポジションは投手。左投左打。
母方か父方かは、不明だが祖父は内野手として読売ジャイアンツ(巨人)でプレーした内海五十雄。
敦賀気比高校時代は世代No.1左腕と言われ明治神宮大会でも優勝を果たすなど甲子園でも活躍が期待されたが、当時のチームメートだった仲澤忠厚が無免許でかつ飲酒運転をして事故を起こしたことで出場辞退(仲澤とは言わなかったものの、現在でも内海は「口を利きたくない」というほど恨んでいる)。甲子園出場経験こそなかったもののその潜在能力の高さを買われて2000年のドラフト会議にてオリックスから1位指名を受ける。
しかし、当初から巨人を希望していたため入団を固辞、後に社会人野球の東京ガスを経て、2003年オフのドラフト会議で自由枠で読売ジャイアンツへ入団した。背番号の「26」は祖父がつけていた愛着ある番号である。
2年目の2005年から先発投手として頭角を表し、3年目の2006年には初めて2桁勝利となる12勝をあげ、その後はエース級ピッチャーとして2011年と2012年には2年連続最多勝に輝いた(2011年の受賞は巨人の左投手として42年ぶり)。15年間在籍した巨人時代の通算成績は通算324試合登板、133勝101敗0セーブ2ホールド、防御率3.21。
WBCの侍ジャパンには第2回2009年大会、第3回2013年大会と2大会連続で選出されている。
2018年シーズン終了後、FA宣言して巨人へ入団した炭谷銀仁朗の人的補償として埼玉西武ライオンズへ移籍。
「26」より先に行く意味合いで、炭谷が着用していた背番号「27」を自ら希望。一軍登板数は少なかったものの、若手投手陣にとっては「生きた手本(見本)」として慕われた。2022年シーズンは投手コーチも兼任したがこの年限りで引退。またこの年はかつて入団を拒否したオリックスが日本一なるという皮肉な結果にも見舞われた。2023年は西武のファーム投手コーチを務め。2024年シーズンから巨人の1軍投手コーチとして復帰。