人や物を取り替えること。物々交換とも言われる。昔話ではわらしべ長者が顕著。
特にスポーツではプロ野球の球団が互いの弱点や穴などを補うために選手を獲得、放出する行為を差す。選手同士を入れ替える「交換トレード」、獲得選手の所属球団に年俸の0.5パーセントを支払う「金銭トレード」、何も補償しなくてもトレード扱いにする「無償トレード」の3種類が存在する。本記事では主にこちらのことについて扱う。
メイン画像のイラストは、三好匠との交換トレードで広島東洋カープから東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍した下水流昂。
概要
選手達は決定したトレードに対して異議申し立てなどが出来ないように予め入団時の契約書で取り決められているが、選手が球団と交渉して取り下げてもらうことは可能である。
トレードを球団側が決定しても選手側に伝える義務はない。そのため、新聞やニュース情報で自分のトレードを初めて知って驚く選手もいるという。稀に選手側でも球団側にトレード希望を出すことがあるが、応じるかどうかは球団に決定権がある。
トレード以外に選手側の意思で別のチームに移動する場合は移籍と呼ばれることが多い(FA移籍など)。また、FA選手獲得の際には年俸ランクによって人的補償が必要となる場合がある。
昭和時代には「自由契約=選手生命の終わり」という風潮があったためトレードによる移籍が一般的であったが、平成中期以降は自由契約への忌避感が薄まり、自由契約からの移籍が移籍方法の主流の1つとなり、トレードは往時より少なくなった。
プロ野球での著名なトレード
プロ野球界で知っている大型トレードがあったら追記よろしくお願いします。
1964年(月日不明)。球史に残る日本初の世紀の大型トレード。
1975年12月25日。前年最下位に沈んだ巨人は、王貞治の新しい相棒として張本に白羽の矢を立て、同時に左腕エースの高橋一と後継者として育てるはずだった富田をファイターズに放出した大型トレード。この一件で、本来レフトだった高田繁がサードにコンバートされ、巨人は日本一に輝いた。
江夏豊(阪神)⇔江本孟紀・島野育夫・長谷川勉・池内豊(南海)
1976年1月28日。チームの主戦力投手であった江夏を素行の悪さから放出。この年南海の選手兼任監督であったノムさんからトレードで獲得を打診されたとも。
江夏豊(南海)⇔金銭(広島)
1977年12月22日。「ノムさんが辞めるなら、トレードに出してほしい」と球団に申し出た結果、江夏は金銭トレードで広島に放出され、後年には日本一に輝き、「江夏の21球」のフレーズが定着することになる。
1979年2月8日。厳密に言えば江川を金銭で、後に小林をさらに金銭でトレードするというややこしい形。江川は昨年のドラフト会議で獲得されたばかりの新人で、このトレードはかなり物議を醸し、のちに「江川事件」や「空白の一日」と呼ばれ、ふたりは和解に30年近い年月を要した。
1983年1月11日。球界を代表する打者同士のトレード。水谷は阪急に移籍して1年目に本塁打王と打点王の2冠。一方の加藤は持病の影響などで広島では活躍できず、晩年は移籍が重なり5球団目の南海で2000本安打を達成した。
落合博満(ロッテ)⇔牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂(中日)
1986年12月26日。前代未聞の4対1のトレード。しかも4人のうち1人はタイトルホルダー。落合はこの直後に日本初の1億円プレイヤーになった。
1993年1月20日。阪神は貧打解消のために野田とのトレードで松永をオリックスから獲得。しかし、松永はケガで離脱し全試合に出場出来ず、FA制度でダイエーに移籍。一方の野田はオリックスで最多勝に輝いてオリックスの優勝に貢献。結果的に阪神「だけ」が損をした世紀の大誤算トレード。
秋山幸二・渡辺智男・内山智之(西武)⇔佐々木誠・橋本武広・村田勝喜(ダイエー)
1993年11月29日。3対3の大型トレード。秋山、佐々木、村田と当時双方の主力を交えたトレードであった為、ファンや球界に衝撃を与えた。当時佐々木と若手でエースの村田が獲れた西武が有利と言われていたが、佐々木と橋本は活躍した一方で村田は急激に劣化。秋山はチームリーダーや精神的柱としてダイエーを建て直し、1999年と2000年のダイエー優勝に貢献した。結果的に双方得をしたものの、村田を放出した理由と成績悪化は、現在でも謎の一つとなっている。
小久保裕紀(ダイエー)⇔なし(巨人)
2003年11月21日。ダイエーはチームの主砲であった小久保がケガで長期離脱し、高額の年俸を支払うのを渋った。その際、小久保自ら「トレードを志願」して(選手や金銭を得ることなく)無償トレードで巨人へ放出。ちなみに小久保は2006年オフにFA権を行使して(親会社の変わった)ソフトバンクに復帰している。
2006年12月9日。多村に関しては怪我の多さは相変わらずであったが、2010年にはチームで三冠王の活躍。一方の寺原は序盤こそ活躍したものの、FA権を得るとすぐに行使して移籍してしまった。奇しくもこのふたりは晩年に古巣(多村:ソフトバンク→DeNA→中日、寺原:横浜→オリックス→ソフトバンク)に戻り、現役を退いている。
八木智哉・糸井嘉男(日本ハム)⇔木佐貫洋・大引啓次・赤田将吾(オリックス)
2013年1月24日。糸井は当時日本ハムの主力であり、トレードが発表された時はファンだけでなく、当時チームメイトだったダルビッシュ有も驚きを隠せなかった。当時、糸井はポスティングでMLB行きを目指しているという記事も出ていたが、糸井自身は否定。この事から、糸井の代理人が強気に出たのが原因ではないかという説が最有力と見られている。
2018年7月27日。大型トレードというわけではないが、背番号18同士のトレードとして話題になった。ちなみに岡は一軍での初本塁打がロッテ戦(QVCマリンフィールド)だったが、奇しくも打たれた投手がトレード相手の藤岡であった。
2020年9月7日。シーズン途中に発表された。実績のみならず、推定年俸に約1億円以上の開きがある「格差トレード」として話題になった。澤村はFA制度でMLB挑戦後、2023年から巨人へは戻らず「MLBへ快く送り出してくれた」ロッテでプレーする事を選択。
中田翔(日本ハム)⇔なし(巨人)
2021年8月20日。8月4日中田が後輩に対してベンチ裏で暴行を働いていたことが明るみに出て、事態を重くみた日本ハム球団は中田を無期限の謹慎処分としていた。同月20日、読売ジャイアンツへ無償トレードで放出。
2024年7月5日。ソフトバンクの支配下選手と西武の育成選手による史上初のトレード。野村は西武で主力として活躍し、齋藤は同年中に支配下登録できず10月にソフトバンクから戦力外通告を受けた。
その他
所謂トレーディングカードとは、お互いに余ったカードや要らないカードを交換して多くの種類を収集・コンプリートことを目的とすることが由来となっている。