青山学院大学時代の1992年にバルセロナオリンピックに日本代表として選ばれる。翌1993年のドラフトで読売ジャイアンツと福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)が競合し、小久保が福岡ダイエーを逆指名して入団。
レギュラー定着は2年目の1995年。当時のポジションは二塁手だった。この年本塁打王のタイトルを獲得(28本塁打)し、イチローの六冠王を阻止する(六冠王という偉業自体、世界の野球全体でも1909年にMLBデトロイト・タイガースのタイ・カッブしか成しえていない)。1998年以降は三塁手へとコンバートされホークスを代表する選手に成長する。
しかし2003年のオープン戦で大けがを負い、この年一軍出場は無し。シーズン終了後に読売ジャイアンツに無償トレードされる(いわゆる小久保事件)。
巨人時代は低迷するチームの中孤軍奮闘。そして2006年オフにFA権を行使して福岡ソフトバンクホークスに復帰。松田宣浩の台頭で一塁手にコンバートされたものの、2012年までチームの中軸として活躍を続けていた。
2012年6月24日に史上41人目の通算2000本安打を達成した。
同年8月14日に、このシーズン限りでの引退を表明。
2013年には全日本代表監督に就任した。
小久保裕紀
こくぼひろき
福岡ソフトバンクホークスに所属していた内野手。
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