プロフィール
経歴
投手をしていた双子の兄と共に岐阜県にある中京高等学校へ進学後、高校通算61本塁打を記録。2年生の時に兄弟で夏の甲子園に出場したが、初戦で敗退している。亜細亜大学では遊撃手から三塁手へコンバートされ、1年春から主砲として活躍した。
2005年オフのドラフト会議にて、希望入団枠で福岡ソフトバンクホークスに入団。
1年目・2006年から開幕一軍入りしたが、実際にレギュラーとして頭角を現すようになったのは2008年から。2011年には全試合に出場し、チームの日本一に貢献した。
2015年はヤフオク!ドームにホームランテラスができたことによってホームランが激増。自己最多の35本塁打を記録し、チームは優勝と日本一を達成した。以降2019年までレギュラーシーズン全試合に出場、三塁手として史上最多の通算8度のゴールデングラブ賞を受賞している。
2020年からは打撃不振に陥り、スタメン落ちする機会が増えた。チームの若返りの方針から2022年シーズン終了後ソフトバンクを退団、その後チーム成績低迷で「ムードメーカー」的役割が出来る選手を探していた読売ジャイアンツとの契約に合意した。
「プロ入り前はジャイアンツファン」であったことを明かしていた彼は1年間プレーしたが、「環境を変えても良い成績を残せなかった」として2023年シーズン限りで現役を引退した。
人物
- 愛称は「マッチ」。また、それに掛けて出囃子が近藤真彦(ニックネームがマッチ)の曲『ギンギラギンにさりげなく』等になっていた。
- 2015年・2016年のソフトバンクは、チームスローガンに「熱男」(あつお)を採用。自身はホームランを打つたびに「熱男ォォォ!!」パフォーマンスを取り入れた結果、「熱男」そのものが新たな彼の愛称になった。
- 「日本一厳しい大学野球部」と名高い亜細亜大学野球部出身だが、大学時代に関しては2019年のインタビューで「よく、亜細亜の野球部は厳しいと言われますが、僕は厳しいって思ったことはないですね。人間的に成長させてもらいました。あの4年間が、今を作っている、頑張らせてくれていると思っています」と前向きに捉えている。参考一方で父親には無理に明るく振舞っているように見えたたため「あんなところ入れなければ…」と後悔の念を漏らしていたという話もある。