概要
1983年10月9日生まれ、宮崎県出身。
日南学園高時代は井手正太郎と同級生。宮崎県内では神内靖と並ぶ屈指の好投手だった。そして3年夏の甲子園大会予選ではノーヒットノーランをマーク。甲子園では154km/hをマークした。
その後のIBAFワールドカップでは高校生で唯一日本代表に選出。
2001年ドラフト会議では福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)から1位指名を受け、抽選の末福岡ダイエーに入団。
ルーキーイヤーは開幕を二軍で迎えたものの、一軍で初登板初先発を果たす。この年は6勝をマークした。2003年には初完投勝利をマーク。先発ローテ入りし斉藤和巳、和田毅、新垣渚とともにSWATと言う名のグループを結成した(ただし4人そろっての活動はしていない)。この年は7勝。2004年、2005年は故障に苦しみ未勝利。2006年に3年ぶり勝利を挙げるものの3勝どまり。オフに多村仁志とのトレードで横浜ベイスターズに移籍する。
移籍1年目の2007年は自身初の規定投球回到達、二ケタ勝利をマークし12勝。2008年には開幕投手に指名され、その後クローザーに転向。チームが低迷しており登板機会は抑えとしては少ないものだったが22セーブをマークしている。2009年は先発に復帰したが、けがに泣いて2勝どまり。2010年には登録名を寺原早人に変更したが4勝どまり。オフに高宮和也とともに山本省吾、喜田剛とのトレードでオリックス・バファローズに移籍。
オリックス移籍1年目の2011年は古巣・福岡ソフトバンク相手に2007年以来の完封勝利をマーク。その後も金子千尋、西勇輝らとともに先発ローテの一角として12勝をマーク。チームのクライマックシリーズ争いに貢献した。2012年はケガに泣いて6勝どまり。同年オフに福岡ソフトバンクホークスへFA移籍し、主にリリーフとして起用されていた。
2018年シーズン終了後、福岡ソフトバンクから戦力外通告を受け東京ヤクルトスワローズへ移籍。翌2019年は先発投手として4試合に登板し2勝を挙げ、同年現役を引退した。
引退後は独立リーグでコーチ(野球指導者)となり、琉球ブルーオーシャンズ(独立リーグ非所属)や福岡北九州フェニックス(九州アジアリーグ)で投手コーチを歴任。福岡北九州在籍時の2022年には、投手陣が逼迫している状況を改善すべく一時現役復帰している。
2023年現在は福岡ソフトバンクホークスの三軍投手コーチ。