概要
経歴
NPB時代①
2002年オフのドラフト会議にて、自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(→福岡ソフトバンクホークス)へ入団。
早稲田大学時代は多田野数人(当時立教大学、現北海道日本ハムファイターズスカウトスタッフ)とライバルだったらしい。また、早川隆久(現東北楽天ゴールデンイーグルス)は大学の後輩にあたり、彼にチームの垣根を越えて指導をする等交流がある(ちなみに2度対戦したことがあり、いずれも和田が勝利を収めている)。
新人の2003年から先発ローテーションの一角を担い、その年の日本シリーズでは胴上げ投手になっている。
ソフトバンク時代は杉内俊哉と共に「Wエース」と呼ばれていた。2010年にはシーズンMVPを獲得している。
MLB時代
2012年に海外FA権を行使たメジャー挑戦を表明。ボルチモア・オリオールズと契約したが、後半は肘の手術で登板できなかった。
2013年オフにオリオールズを自由契約となり、シカゴ・カブスとマイナー契約。2014年6月に念願のメジャーデビューを果たし、5回5安打無失点の好投を見せた。
NPB時代②
2015年オフにカブスを自由契約となり、古巣のソフトバンクに復帰した。
2019年日本シリーズでは16年ぶりに日本シリーズ最終戦の勝利投手となる。
2021年に同世代の松坂大輔が引退したため最後の「松坂世代」となり、2022年にチームメイトの明石健志が引退したため最後のダイエー戦士となった。
2022年5月29日の交流戦対広島3回戦(PayPay)で、41歳にして自己最速となる149km/hを記録。時代が進んだことによる投球理論の進歩が加齢による衰えを上回った好例である。
2024年シーズン終了後、現役を引退。本人の意向により引退試合は開催されず、また和田の引退をもって松坂世代の現役選手は全員NPBから居なくなった(中日を戦力外になった中島宏之の移籍先が決まらなかった場合は20世紀のドラフト選手も同時に終焉を迎える)。
2024年の人的補償問題
2023年に、ソフトバンクが西武から山川穂高を獲得した際、西武側が人的補償として、和田を指名。これは和田がプロテクトリストから漏れていたためであるが、結局和田ではなく、プロテクト入りしていた甲斐野央が西武に移籍することとなり、ファンの間では「裏取引があったのではないか」と物議を醸した。
通常、人的補償として球団から移籍を命じられた選手はこれを拒否することはできない(拒否すれば引退するしかない)ため、ファンや関係者の間では、和田が引退を仄めかしたため、慌てたソフトバンクが西武に泣きついて和田の身代わりとして甲斐野を引き取ってもらったのではないかとする見方が有力である。
なお、こうした事例は前例がないわけではなく、過去には日本ハムが中日へとFA移籍した大野奨太の人的補償として岩瀬仁紀を指名した際にも岩瀬の移籍ではなく金銭的補償で決着が図られ、様々な憶測を呼んだことがある(なんJでは「岩瀬式プロテクト」と呼ばれている)。
ソフトバンク・西武・和田のいずれも、現状ではこの一件に対して口を噤んでいるため真相は不明であるが、「ゴネ倒しで移籍を拒否できるのであれば、人的補償のシステムそのものが破綻してしまう」として、球団側だけでなく、一連の事件における和田の対応を批判する意見も多い。