概要
保護地域(ホームエリア)は宮城県。
親会社は総合IT企業の楽天である。運営会社名は楽天野球団。チーム名が長いため『楽天イーグルス』を公式略称とし、球場でもこの呼び名が使われる。通称は『楽天』又は『イーグルス』で、英字略称もGではなくEを採用している。「ゴールデンイーグル」は、東北地方にも生息する猛禽類のイヌワシの英名である。チームカラーは、えんじ色やクリムゾンレッドを暗く濃くしたような赤紫系の色である。
2024年現在の本拠地は、1軍は仙台市宮城野区の宮城球場(2024年現在の愛称は『楽天モバイルパーク宮城』)。
イースタン・リーグに所属する2軍は利府町の「利府町中央公園野球場」であるが、近年の公式戦は専ら仙台市泉区の「楽天イーグルス泉練習場」のグラウンドにて行われる。
現在、東北地方に本拠地を置く唯一の球団だが、実はそれ以前にも東北地方に本拠地を置いていた球団がある。
50年ぶりの新球団参入として2004年に創立し、現行12球団では最も若いチームである。成立経緯については球団史を参照のこと。
また、現存する12球団で唯一、チーム名の変更および本拠地球場の移転を行ったことがない。
これまでにリーグ優勝と日本シリーズ制覇をそれぞれ1回ずつ達成している。
また親会社の楽天は、19年オフに台湾CPBLリーグのLamigoモンキーズを買収し楽天モンキーズを発足させた。日本野球機構は「親会社が海外リーグの球団を持つ事については協約に抵触しない」としている。実際、千葉ロッテマリーンズの親会社のロッテグループも、韓国KBOリーグのロッテジャイアンツを以前より保有している。
球団史
50年ぶりの新球団参入と辛酸をなめた1年目
2004年オフ
オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズとの合併問題から端を発したプロ野球再編問題の中で、同年9月に楽天が新規参入を表明。ライブドアとの競合の末チームを設立し、東北楽天ゴールデンイーグルスを誕生させ、初代監督に田尾安志を据える。
分配ドラフトでオリックスから金田政彦、大島公一、中島俊哉らを、大阪近鉄からは福盛和男、吉田豊彦、藤井彰人、高須洋介、吉岡雄二、礒部公一、川口憲史、牧田明久らを獲得。また分配ドラフトでオリックス入りを拒否した岩隈久志も獲得している。ドラフト会議では一場靖弘、渡辺恒樹、西谷尚徳、塩川達也、大廣翔治、平石洋介の6人を獲得。また山﨑武司、関川浩一、飯田哲也らをトライアウトで獲得した。
ロッテとの開幕戦では近鉄の元大エース・岩隈の好投もあり勝利で飾ったものの、続く2戦目は26-0、打者27人1安打に抑えられる大敗を喫する。そこでケチがついたのか、その後はすさまじいペースで敗戦を重ねていき、シーズン100敗こそ免れたが38勝97敗1分、5位の日本ハムからも25ゲーム差離されるというぶっちぎりの最下位と惨敗。なお、開幕戦で敗れたロッテのボビー・バレンタイン監督は開幕戦後「岩隈が投げた時はいいチーム」と語ったが、その岩隈はチーム最多の9勝を挙げ、バレンタイン監督の言う通りとなった。田尾監督はわずか1年で辞任し、野村克也が後任監督に就任した。
この年の投壊の反省から、楽天のドラフトは投手を最優先で獲得していくことになる。
野村「ボヤキ」野球の浸透
新たにホセ・フェルナンデス、土谷鉄平らを獲得。この年も最下位に沈むが、ドラフトで田中将大を4球団競合の抽選の末に獲得。他に永井怜、嶋基宏、渡辺直人、中村真人ら後の主力選手を獲得して来シーズンに備えた。
2007年は健闘を見せ、初の最下位脱出を決め4位に浮上。翌2008年は順位こそ5位となるも岩隈が投手タイトルを総なめする活躍を見せた。この年には小坂誠、中村紀洋を獲得。
岩隈・田中・永井の先発3本柱に打線がかみ合い、球団史上初のAクラス入りを決めた。クライマックスシリーズでは第1ステージで福岡ソフトバンクホークスを破りファイナルステージに進むも、第1戦で4点差から一点返されて満塁にされた末に逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれる(福盛の21球)と、勢いは一気に衰えて敗退。
CS終了後に野村監督は退任。後任にはマーティ・ブラウンが就任。
ブラウン・星野時代、東日本大震災とイーグルス
前年の勢いとは一転、負けが込むようになり、ブラウン監督の1年での解任が決定。しかし青山浩二、ダレル・ラズナー、小山伸一郎といったリリーフ陣の整備には一定の効果を示した。
星野仙一が監督に就任。岩村明憲、松井稼頭央ら元メジャーリーガーを獲得。
しかしこの年の3月11日に東日本大震災が発生、本拠地のKスタ宮城も被害を受けるなどした大きな打撃を被る。新人の塩見貴洋らの奮闘はあったもののこの年は5位に終わる。
シーズン終了後、エースの岩隈久志が海外FA権を行使、メジャーリーグ・シアトル・マリナーズへの移籍が決定した。
球団初の本拠地開幕を迎えたが、千葉ロッテマリーンズの前に敗戦。シーズン成績は4位だったが2009年以来の勝率5割をマークした。オフに元メジャーリーガー・斎藤隆らを獲得。
悲願の初優勝
4月は投打ともに振るわず一時は日本ハムと同率の最下位にまで転落していた。しかし昨年からの連勝記録を伸ばし続ける田中を牽引力として徐々に盛り返していき、7月にロッテを抜いて単独首位に立つ。
それ以降は勢いが衰えることなくほぼ独走状態となり、9月26日の西武戦にて遂に球団創設9年目にして初のリーグ優勝を果たした。日本シリーズでも読売ジャイアンツを4勝3敗で下し、球団史上初の日本一に輝いた。
この年24勝無敗という驚異的な成績をあげ、クライマックスシリーズ、日本シリーズでも大車輪の活躍を見せた田中はMVP、ルーキーの則本昂大は15勝をあげ見事新人王を獲得した。
優勝からの最下位へ
投の大黒柱であった田中将大、打の大黒柱であったケーシー・マギーの大リーグ移籍により昨年とはうって変わりチャンスでの一打、ここというところでの粘りが減りシーズン中はBクラスに甘んじ、最終的に最下位となってしまった。
それでも松井裕樹らルーキーの活躍が見られ、2015年以降のさらなる活躍を期待できる場面や、銀次が打率パ・リーグ2位に付ける等、来年に繋がる所も多かった。
また、昨年新人王の則本が最多奪三振のタイトルを獲得した。
この年で星野監督が勇退しシニアアドバイザーに就任、大久保博元氏が新監督に就任した。
前年ドラフトの目玉だった
前年安樂智大を獲得。機動力野球を掲げ、春季キャンプから練習を積んできたが、ソフトバンクなどの選手層の厚さの前になかなか浮上のきっかけを掴めなかった。当初、先発入りを目指していた2年目の松井裕樹は制球難を克服できずにいたがクローザーに抜擢されて奮闘し、球団のセーブ記録を塗り替える活躍を見せた。交流戦では健闘したが、7月に入るとオーナーの現場介入が報道され、田代富雄打撃コーチが退団するまでに発展。これが災いしてか、チームは黒星を積み重ね、8月25日の対オリックス戦での敗戦で初の最下位転落。その後は脱出と転落を繰り返したが、10月3日の対ロッテ戦に敗れ、2年連続の最下位が確定した。この責任を取り、大久保監督が一年で辞任。新監督には近鉄、日本ハムを率いた野球評論家の梨田昌孝氏が就任した。この人事に加え9月には星野仙一氏が球団副会長に就任した。
生え抜き野手の躍動
前年のドラフトでオコエ瑠偉を1位、吉持亮汰を2位、茂木栄五郎を3位、足立祐一を6位に指名、いずれも貴重な戦力となった。特に2本のランニングホームランを放った茂木は遊撃に定着、長年、不振にあえいでいた島内・岡島もレギュラーに復帰し野手陣は堅調な活躍を見せるものの、投手陣は一年を通じてローテーションを守った投手がエース・則本以外におらず、長年抱えていた課題をこの年も払拭することができなかった。
チーム創立以来、年をまたいで活躍した投手が大リーグに移籍した岩隈久志、田中将大のほかにはエース・則本のみであるという原因不明の構造的欠陥を克服するために、西武からFAで岸孝之を、巨人からトレードで小山雄輝を獲得したほか、ドラフトでも藤平尚真をはじめとする投手8人を指名、下位からの浮上を目指しシーズンに突入、一時は則本・岸・美馬らが活躍しリーグトップを独走、夏以降もソフトバンクとのマッチレースになると思われたが、8月になると急失速、西武にも抜かれ3位に終わった。
その後のクライマックスシリーズでは第1ステージで西武を破り第2ステージに進出、王者・ソフトバンクに2連勝したが、その後の3試合に3連敗して惜しくも日本シリーズ出場を逃した。
しかし茂木・島内が生え抜き史上初の二桁ホームランを、ゼラス・ウィーラーが久々の30本を記録。また2番を打ったカルロス・ぺゲーロが超攻撃的2番として話題となり、ウィーラー・ぺゲーロ・ジャフェット・アマダーがNPB初の外国人20本トリオを形成するなど大きな手応えを感じさせる1年となった。
シーズン前の同年1月に星野仙一球団副会長が死去。しかも開幕から絶不調の嵐で、開幕からわずか31試合で自力優勝の可能性が消失。打者は3割打者がおらず、チーム得点圏打率も.201とダントツの最下位。投手陣は先発陣は好調なものの、チームの絶対的守護神である松井裕樹が大乱調。他リリーフ陣も総崩れで、QSを達成しても勝てないという有様で、気がつけば6月16日には借金20となっていた。同日に梨田監督が引責のため自ら申し入れて電撃辞任。後任は平石洋介が監督代行として選ばれた。代行とはいえ、球団初の生え抜き監督が誕生した。監督交代後の初戦では8得点と打線が息を吹き返し、今後の巻き返しに期待がかかる再発進となった。
しかし、監督が代わっても前半戦の借金20が足枷となり、順位を浮上させることは出来ず、更には主砲のアマダーがドーピングの陽性反応で出場停止処分となったことが追い討ちをかけ、3年ぶりの最下位となった。翌シーズンも引き続き平石が指揮することとなった。
石井一久GM体制
前年8月よりGMに就任した石井一久の計らいにより、西武からFA宣言した浅村栄斗を引き入れ、更に新外国人としてジャバリ・ブラッシュとアラン・ブセニッツの2名が加入。ドラフト会議では立命館大学・辰巳涼介、大阪商業大学・太田光、立正大学・小郷裕哉、明治大学・渡邊佳明らを獲得、一軍の戦力としている。
主力投手の岸と則本が離脱し、バッター陣の一部の主力が故障で離脱するなど厳しい船出を迎えるも、前半戦途中までは首位についていたが、6月のセ・パ交流戦を機に徐々に打線陣が不調に陥り、リリーフ陣が打ち込まれて逆転負けを喫することが増えた。そこで、シーズン途中には広島と巨人との間にトレードを行い、広島から下水流昴を獲得し三好匠を放出、巨人から和田恋を獲得し古川侑利を放出した。
8月からはAクラスとBクラスを浮き沈みしながら徐々に勝ち星を重ね2年ぶりの3位へ。また、松井裕樹がシーズン中8度の逆転負けを喫しつつも、自己最多の38セーブを挙げ自身初のセーブ王を獲得。CSでは第2戦の先発投手・美馬の乱調と打線陣の不調が重なり、ソフトバンクに逆王手をかけられ、1勝2敗でファイナルステージ進出とはならなかった。
2年ぶりのAクラス入りについては高く評価されるも、平石監督は1年契約に留まってそのまま退任、後任として三木肇二軍監督が昇格した。平石は「2軍総括」という新ポストを用意されるも、その案を蹴った上でそのまま退団となり、シーズンオフよりソフトバンクの野手総合コーチに転身する。
腰痛の悪化も重なって成績不振に陥っていた嶋が自由契約となり、シーズン途中より目の病気で戦線離脱していた今江、同シーズン限りで戦力外通告を受けた戸村と西宮が現役引退、一部の首脳陣メンバーも相次いで退団、10月30日には首脳陣の大幅な入れ替えが正式に発表された。
前年のシーズンオフに、自由契約となった嶋と同年限りで戦力外を受けていた今野龍太が東京ヤクルトスワローズへ、今野と同様に戦力外通告を受けていた西巻と、FA宣言をしていた美馬がロッテへの移籍を表明した。その後、長らくセットアッパーとして活躍していた助っ人のハーマン、後述する鈴木大地の人的補償として小野郁もロッテに移籍した。
ロッテからは入れ替わりで、FA宣言をした鈴木大地が、酒居知史がFAで移籍した美馬の人的補償として、涌井秀章が金銭トレードで加入移籍した。また、海外でプレーし自由契約となっていた牧田和久、契約面で折り合わずオリックスを退団となったステフェン・ロメロを獲得した。
2月11日、チームの2代目監督を務めた野村克也氏が死去。
シーズン途中には、巨人との間に2度トレードを行い、池田駿・髙田萌生を獲得し、新外国人の台頭により出番が少なくなっていたウィーラーと、数年成績が低迷していた高梨雄平を放出した。更には金銭トレードで巨人より田中貴也が加入し、広島からはD.J.ジョンソンが移籍した。
しかし、昨年時に比べて生え抜きの先発投手や野手陣が至って不調で、中継ぎ陣の疲弊も相まって逆転負けを喫する回数が増え、徐々に失速。終盤にはAクラスの地位を目指し追い上げを見せた西武に順位を明け渡し、4位でシーズンを終えた。また、ウィーラーが去った後の助っ人外国人も、ブセニッツやロメロ以外は大きな成績を残せず、ブセニッツや宋、王を除く助っ人陣は全員同年限りでの契約終了、ロメロも契約面で折り合いがつかず同年限りでオリックスへ出戻りした。
また、同年限りで初期からブルペン陣を支えてきた青山浩二が現役引退、また岩隈も現役引退を宣言したため球団創設時の選手が全員引退したことになる。
シーズン終了後三木が再び二軍監督へ配置替えとなり、後任として石井GMが一軍監督と兼務することになった。
その一方では、シーズン終盤直前に中継ぎに配置転換されるまで先発ローテーションを担っていた松井が先発として3勝を飾ったり、浅村が自身初の本塁打王タイトルを獲得したり、単独トップとはならなかったものの、涌井が日本プロ野球史上初めて3球団で最多勝利投手のタイトルを獲得するなど明るい話題も見られた。
1月28日、大リーグ・ニューヨーク・ヤンキースに移籍していた田中将大が8年ぶりに球団復帰、背番号もヤンキース移籍前までつけており長らく空き番となっていた「18」を改めて着けることが決定した。
田中・則本・涌井・岸というエース揃いの先発陣、酒居・牧田・辛島・松井の充実した中継ぎ陣、FA組の浅村・鈴木大と並べて、もはや疑似的オールスターとも呼ばれるような鉄壁の選手陣から、非常に高い下馬評のもとでのシーズン開幕となった。7月上旬には巨人からの金銭トレードで炭谷銀仁朗も加入し、ますますオールスター色が濃くなった。
田中は規定投球回をクリアしリーグ4位となる防御率3.01を記録するも、何故か彼の登板試合では打線の援護が無く4勝9敗。一時期は優勝争いに絡んだものの3位で終了し、CSもファーストステージで1敗1分けで敗退した。
前年のシーズンオフに、日本ハムを自由契約となった西川遥輝が加入。序盤は彼を1番打者に据えて、球団新記録となる11連勝を記録。一時期勝ち越しが最大18あったが、去年からの懸念材料であった「左打者ばかりの打線」が影響し5月中旬以降失速。8月初旬には勝率が5割へ下がり、更には「ブラックフライデー」と呼ばれる金曜日の連敗が5月13日からシーズン終了までの19週に渡って続き、4位でシーズンを終えた。30試合以上消化時点で一時勝率8割以上へ到達する事ができたチームは歴代では1位・2位フィニッシュのケースしか無かったが、史上稀に見る大失速により初めてのBクラス入りとなってしまった。
石井GMはこの年監督専任となった。「左打者ばかりの打線」を解消すべく、トレードなどで阿部寿樹らを補強した。(場当たり的な補強でのチーム作りで)若手の出番が少なく、レギュラーシーズン終盤はAクラス争いが出来たものの最終戦で敗北したことで4位で終了。シーズン終了後石井監督は任期満了で退任し、今江敏晃打撃コーチが監督に昇格した。
球団創設20年目で初めてのセ・パ交流戦優勝を成し遂げた。レギュラーシーズンは去年と同じく4位で終了した。シーズン終了後今江監督との監督契約を解除し、後任に三木肇二軍監督が再び昇格した。
順位の推移
年 | 順位 | 監督 |
---|---|---|
2005年 | 6位 | 田尾安志 |
2006年 | 6位 | 野村克也 |
2007年 | 4位 | 野村克也 |
2008年 | 5位 | 野村克也 |
2009年 | 2位 | 野村克也 |
2010年 | 6位 | マーティ・ブラウン |
2011年 | 5位 | 星野仙一 |
2012年 | 4位 | 星野仙一 |
2013年 | 1位(日本一) | 星野仙一 |
2014年 | 6位 | 星野仙一 |
2015年 | 6位 | 大久保博元 |
2016年 | 5位 | 梨田昌孝 |
2017年 | 3位 | 梨田昌孝 |
2018年 | 6位 | 梨田昌孝→平石洋介(代行) |
2019年 | 3位 | 平石洋介 |
2020年 | 4位 | 三木肇 |
2021年 | 3位 | 石井一久 |
2022年 | 4位 | 石井一久 |
2023年 | 4位 | 石井一久 |
2024年 | 4位 | 今江敏晃 |
pixivでは
タグはフルネームがかなり長い事から、楽天、イーグルス、楽天イーグルスが多い。
選手一覧
(2024年6月20日現在)
監督・コーチ
一軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
98 | 今江敏晃 | 監督 |
74 | 渡辺直人 | ヘッドコーチ |
93 | 後藤武敏 | 打撃コーチ |
89 | 川島慶三 | 打撃コーチ |
83 | 永井怜 | 投手コーチ |
81 | 青山浩二 | 投手コーチ |
82 | 的場直樹 | バッテリーコーチ |
86 | 塩川達也 | 内野守備走塁コーチ |
76 | 岡田幸文 | 外野守備走塁コーチ |
二軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
88 | 三木肇 | 監督 |
84 | 雄平 | 打撃コーチ |
95 | 横尾俊建 | 打撃コーチ |
80 | 石井貴 | 投手コーチ |
75 | 小山伸一郎 | 投手コーチ |
91 | 久保裕也 | 投手コーチ |
96 | 田中雅彦 | バッテリーコーチ |
92 | 奥村展征 | 内野守備走塁コーチ |
85 | 牧田明久 | 外野守備走塁コーチ |
87 | 真喜志康永 | 育成総合コーチ |
90 | 鷹野史寿 | 育成コーチ |
所属選手
投手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
11 | 岸孝之 | 右 | 右 | |
13 | コディ・ポンセ | 右 | 右 | 日本ハムから移籍 |
14 | 則本昂大 | 右 | 左 | 投手キャプテン |
17 | 古謝樹 | 左 | 左 | 2023年ドラフト1位 |
18 | 田中将大 | 右 | 右 | |
19 | 荘司康誠 | 右 | 右 | |
20 | ニック・ターリー | 左 | 左 | 広島から移籍 |
21 | 早川隆久 | 左 | 左 | |
22 | 小孫竜二 | 右 | 右 | |
28 | 酒居知史 | 右 | 右 | |
29 | 高田孝一 | 右 | 右 | |
31 | 渡辺翔太 | 右 | 右 | |
38 | 弓削隼人 | 左 | 左 | |
40 | 櫻井周斗 | 左 | 左 | DeNAから現役ドラフトで移籍 |
41 | 伊藤茉央 | 右 | 左 | |
43 | 宋家豪 | 右 | 左 | |
45 | 松井友飛 | 右 | 右 | |
46 | 藤平尚真 | 右 | 右 | |
47 | 藤井聖 | 左 | 左 | |
49 | 西垣雅矢 | 右 | 左 | |
52 | 津留﨑大成 | 右 | 右 | |
53 | 坂井陽翔 | 右 | 右 | 2023年ドラフト2位 |
54 | 日當直喜 | 右 | 右 | 2023年ドラフト3位 |
56 | 鈴木翔天 | 左 | 左 | |
57 | 瀧中瞭太 | 右 | 右 | |
58 | 辛島航 | 左 | 左 | |
59 | 泰勝利 | 左 | 右 | |
61 | 松田啄磨 | 右 | 右 | 2023年ドラフト5位 |
64 | 林優樹 | 左 | 左 | |
67 | 大内誠弥 | 右 | 右 | 2023年ドラフト7位 |
69 | 内星龍 | 右 | 左 | |
71 | 吉川雄大 | 右 | 右 | |
72 | 宮森智志 | 右 | 右 | |
79 | 清宮虎多朗 | 右 | 左 | 育成から支配下登録 |
017 | 王彦程 | 左 | 左 | 育成選手 |
062 | 西口直人 | 右 | 右 | 育成選手・62から背番号変更 |
130 | 古賀康誠 | 左 | 左 | 育成選手 |
138 | 小峯新陸 | 右 | 左 | 育成選手・68から背番号変更 |
155 | 竹下瑛広 | 右 | 右 | 育成選手 |
捕手
内野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
0 | 小深田大翔 | 右 | 左 | |
3 | 浅村栄斗 | 右 | 右 | 野手キャプテン |
4 | 阿部寿樹 | 右 | 右 | |
5 | 茂木栄五郎 | 右 | 左 | |
7 | 鈴木大地 | 右 | 左 | |
23 | マイケル・フランコ | 右 | 右 | |
24 | 黒川史陽 | 右 | 左 | |
30 | 平良竜哉 | 右 | 右 | |
34 | 山崎剛 | 右 | 左 | |
39 | 伊藤裕季也 | 右 | 右 | |
42 | 山田遥楓 | 右 | 右 | 育成から支配下登録・日本ハムから移籍 |
48 | 渡邊佳明 | 右 | 左 | |
60 | ワォーターズ璃海ジュミル | 右 | 右 | 2023年ドラフト4位 |
63 | 入江大樹 | 右 | 右 | |
66 | 村林一輝 | 右 | 右 | |
68 | 青野拓海 | 右 | 右 | 2023年ドラフト8位 |
78 | 辰見鴻之介 | 右 | 右 | |
131 | 永田颯太郎 | 右 | 左 | 育成選手 |
141 | 澤野聖悠 | 右 | 左 | 育成選手 |
外野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
8 | 辰己涼介 | 右 | 左 | |
9 | 吉野創士 | 右 | 右 | |
25 | 田中和基 | 右 | 両 | 選手会長 |
27 | 岡島豪郎 | 右 | 左 | |
32 | 中島大輔 | 右 | 左 | 2023年ドラフト6位 |
35 | 島内宏明 | 左 | 左 | |
36 | 前田銀治 | 右 | 右 | |
50 | 武藤敦貴 | 左 | 左 | |
51 | 小郷裕哉 | 右 | 左 | |
142 | 柳澤大空 | 右 | 右 | 育成選手 |
144 | 大河原翔 | 右 | 右 | 育成選手 |
OB
あ行
今江敏晃(年晶)
か行
さ行
な行
則本佳樹※
は行
ま行
や行
わ行
外国人
永久欠番
10・ファンナンバー(スタメン9名に次ぐ事から。通常はマスコットのクラッチが背番号10を着用)
77・星野仙一(史上唯一監督としての功績によるもの)
公式マスコット
球団歌
球団歌として『羽ばたけ楽天イーグルス』を定めている。スタジアム最寄りの宮城野原駅の発車メロディにも使われている。