曖昧さ回避
- 同姓同名。山口県出身のプロサッカー選手については、「久保裕也(サッカー選手)」の記事を参照。
久保裕也(野球)
沖学園高校、東海大学を経て2002年自由獲得枠で読売ジャイアンツに指名されて入団。主な同期入団選手は木佐貫洋、矢野謙次。
ルーキーイヤーとなる2003年は38試合に登板して6勝7敗、防御率4.27だった。
2004年はイースタン・リーグ開幕戦でノーヒットノーランを達成。一軍では先発・リリーフとフル回転し、35試合に登板。続く2005年は林昌範とともにセットアッパーとして起用され、64試合に登板して7勝4敗7セーブ。
2006年も引き続きセットアッパーとして起用されるに後半に失速。その後先発に再転向するも結果を残せず、2009年までは一軍での登板が少なくなった。
2010年に復活し、敗戦処理からセットアッパーに返り咲いた。この年は自己最多79試合に登板し、32ホールドをマーク。オールスターゲームにも初出場した。
2011年は途中からクローザーに定着。途中20試合連続無失点の球団新記録を樹立し、20セーブをマークした。2012年は右ひじ痛で2試合登板にとどまっている。
2015年オフに戦力外通告を受け、横浜DeNAベイスターズに移籍。2016年は救援投手として一軍公式戦9試合に登板したが、同年オフに再び戦力外通告を受け、トライアウトに参加して東北楽天ゴールデンイーグルスへ入団した。
2017年は一軍公式戦27試合に登板したが、右手指の血流が悪化したことを受けてシーズン終了後一旦育成契約に切り替えられた。支配下復帰後2018年・2019年は一軍公式戦20試合前後の登板となったが、防御率が良かったことを受け契約更改が出来た。
2020年シーズンをもって現役を引退。引退後も二軍投手コーチとして楽天に残っている。