概要
川内高、亜細亜大学を経て2002年自由獲得枠で読売ジャイアンツに入団。主な同期入団選手は久保裕也、矢野謙次。
後にオリックス、日本ハムでチームメイトとなる赤田将吾とは同郷出身の同級生。
ルーキーイヤーの2003年は10勝を挙げて新人王。しかし翌2004年は不振に陥り、2005年、2006年は未勝利に終わる。
2007年に自己最多12勝を挙げて復活を果たすが、2008年は後半戦二軍暮らし。
2009年はわずか1試合のみの登板で、オフに高木康成とのトレードでオリックス・バファローズに移籍した。
オリックス移籍1年目の2010年はムエンゴに悩まされながら先発ローテーションを守り抜き、3度目の2ケタ勝利となる10勝を挙げる。2011年は自身初の開幕投手を務めるが、シーズンでは2勝7敗に終わる。
2012年は防御率2.60を記録するも強烈なムエンゴに遭って5勝(9敗)止まり。この年のオフに赤田、大引啓次と共に糸井嘉男、八木智哉との交換トレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。
2013年は史上12人目の全球団(近鉄を除く)からの勝利を達成するなど9勝を挙げる。しかしその後は振るわず、2015年で現役を引退し古巣巨人のスカウトに転身。
人物
謙虚な性格と真摯な姿勢から、周囲に慕われている。「木佐貫のような聖人がどうやって地獄のような厳しさで知られる亜細亜大学時代を切り抜けられたのか?」と驚かれることも。
2011年に九州新幹線が全線開通した際には、宣伝活動に燃えていた。ちなみに巨人時代の2004年には川内駅の一日駅長を務めたことがある。
北海道のローカル情報バラエティ(日ハムに精通した番組)の企画で、路面電車を1両借り切って撮影。
さらに一般人は立ち入り禁止の車両基地にも立ち入らせてもらい、相当ご満悦と言った表情を見せた。