大引啓次
おおびきけいじ
神社の宮司の次男坊。ちなみに実家の神須牟地(かみすむち)神社は創建2000年の歴史を持つ、らしい。
浪速高、法政大を経て2006年大学・社会人3位でオリックス・バファローズに入団。なお、ドラフト前に東京ヤクルトスワローズとの試合で大引の阪神入りを熱望したファンが背番号8のついたレプリカユニフォームを作って観戦したのが話題になり、虎の恋人と呼ばれていた。結果は怒りの撤退だったが。
プロ入り後
1年目の2007年、ルーキーながら後藤光尊以来となる新人開幕スタメン出場を果たし、さらに斉藤和巳からプロ初安打、さらにプロ初盗塁を決める。この年は終盤に後藤にスタメンを譲ることも多かったが最終的に126試合に出場。規定打席にはわずかに2つ足りなかったが打率は.274をマークした。
2008年は開幕直後に打撃不振に苦しみ、さらに6月にはケガで戦線離脱。88試合出場に終わった。
2009年は107試合に出場し打率.278をマーク。続く2010年は再び出場機会が減少し85試合出場に終わった。この年は山﨑浩司(現埼玉西武ライオンズ)、金子圭輔(現福岡ソフトバンクホークス)と併用されていた。
2011年も序盤は控えに回ることが多かったが交流戦頃にスタメン復帰。打率こそ.244に終わったが自身初となる規定打席到達を達成。
2012年はプロ入り以来最低となる打率.224。しかし本塁打だけは自己最多の6本を放っている。オフに木佐貫洋、赤田将吾と共に八木智哉、糸井嘉男とのトレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。
2014年末に国内FA宣言を行い、東京ヤクルトスワローズと契約。翌年から開幕スタメンとして活躍し、ケガに苦しみながらも、14年ぶりの優勝に貢献した。
なお、この時横山徹也、一輝(現横浜DeNA)、迎祐一郎(現広島東洋)とで悲壮感も勝手に作っていたが作ってから3日後にオチが必要だろう、ということで麻生太郎首相(当時)の解散総選挙に引っ掛けてこちらも解散している。ちなみにファンフェスタで羞恥心と悲壮感のクイズ対決も行われていた。
- 上述の小瀬が2010年に急死した直後にはブログでその悲しみと悔しさを書き綴っている。