経歴
1940年(昭和15年)9月20日、福岡県生まれ、東京都育ち。炭坑王の家系麻生家に生まれる。1979年に初当選し、家業の経営を弟の泰に譲り政治家に転身。 父親は三池炭鉱を開いた三池潘立花家の血を引いている。
第92代内閣総理大臣(在任:平成20年(2008年)9月~平成21年(2009年)9月)。リーマンショック後の景気対策に尽力し一定の成果を得るも、平成21年(2009年)8月30日の第45回衆議院議員総選挙の結果を受けて、自民党総裁辞任を表明。特別国会における首班指名選挙では若林正俊を首班として投票する異例の事態に。
2012年の第46回衆議院議員総選挙を経て発足した第二次安倍内閣では、副総理兼財務大臣兼金融担当大臣として入閣した。
首相就任前には経済企画庁長官、経済財政政策担当大臣、総務大臣、外務大臣も歴任。福岡で専門学校やセメント会社等を傘下に置く「麻生グループ」のオーナー一族である麻生家の出で、麻生セメントの元社長。モントリオールオリンピックにおいてはクレー射撃日本代表として出場。
学習院大学政治経済学部卒業後、スタンフォード大学大学院、ロンドン大学政治経済学院に留学。なお、スタンフォード大学大学院では学位取得直前に祖父である吉田茂よりカリフォルニアなまりの英語が気に入らなかったため留学先を変えられたのだという。
政治家として
リーマンブラザーズの経営破綻直後に首相就任。結局経済対策に追われるままに退陣する結果になってしまったため果たされなかったが、彼の日本の将来、有力政治家としての日本の行き先についての構想は、首相就任前に出版された『とてつもない日本』にて表現されている。メディアとコンテンツ産業を中心とした経済・産業の再構築を構想していた。
また、自民党の政治家の中でも、特に公明党・創価学会と太いパイプを持つ。2008年の自民党総裁選では、公明党・創価学会が異例の支持表明をした。統一教会と親しい政治家の一人でもある。
自民党政権奪還の際には野党時代の総裁の谷垣禎一ではなく、彼の再登板を望む声も少なからずあった。メディアの世論調査で、「首相に相応しい人物」というアンケートに対し、一度退陣した元首相の名前が挙がることは非常に珍しく、しかも基本的には田中角栄や小泉純一郎のような長期安定政権時の首相に限られる。
これらは後述の失言など様々な非難を浴びる一方で、リーマンショック時において国際的なリーダーシップを発揮したこと、退任後には産経新聞より「あえて首相の方を持ちたい」と前置きしたうえで「麻生政権は外交・内政ともに政策面で大きな瑕疵はなく、少なくとも及第点は与えられるのではないか」と評されたほど。
もっとも本人は「二度とやりたくない」とは思っているとか。
漫画・アニメ関係の資料散逸を防ぎ調査研究する目的の「国立メディア芸術総合センター」の設立案を打ち立てたが、「国営漫画喫茶」(但し公表されていた案は漫画喫茶とはほど遠いものであったが)との揶揄や反対意見もあり、賛成派の里中満智子などの後押しもあったものの、政権交代により中止となった。のち、再登板を果たした安倍晋三の内閣でこの案は活かされることとなる。
なお高祖父に維新の三傑の1人にも数えられる大久保利通が、祖父に吉田茂・元内閣総理大臣がいる。このことから世襲議員扱いされているが、彼はもともと財界出身であり直接政治基盤は引き継いでいない(下記にもある様に目先の損得に目が眩む稚拙さや失言の数々だけ見ても、大久保利通や吉田茂の功績や力量とは雲泥の差がある)。ただし一族には政治家や官僚が多いことは事実である。
いろんなこと
失言王
本人が「生まれはいいが、育ちは悪い」と認めるとおり、べらんめえ口調(とよく言われるが、彼の物言いはただ乱暴なだけで江戸言葉ではないので厳密には誤りである)と遠慮のない毒舌が持ち味。衆議院選挙に初出馬した1979年の演説で開口一番、支援者に対して「下々の皆さん」と発言したことは語り草となっている。また、当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対して「年寄り代議士が何人か死ねばね」と答えている。
2008年には「同年代は病院通いのよぼよぼした老人が多い。私の方が税金は払っている。飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と発言し、「病気は本人の自己責任という発言だ」と批判され謝罪に追い込まれた。 また、2009年には「若者に結婚するだけのお金がないから結婚が進まず、その結果、少子化になるのでは」という質問に対して「金がないのに結婚はしない方がいい」と答え、様々な議論を巻き起こした。...このほか物議を醸した発言は数限りもないが、詳しくはググっていただきたい。
大のマスコミ嫌いであり、国内外問わずメディアの報道内容に苦言を呈することもしばしば。記者会見会場でブラックジョークを飛ばし、記者を「お前」「あんた」呼びして説教や嫌味を垂れる独特のキャラクターには「麻生節」としてファンも多い一方、尊大・傲慢・軽薄として嫌悪を示す向きもまた強い。
だがこれは、麻生も当選当初より「マスコミに受けた人で偉くなった人はいない」というがあり、「人に嫌われてもいいから日本の方向を間違えないような政治家になりたい」という考えに基づいていると思われる。
2013年7月29日櫻井よしこが主宰する民間シンクタンクである公益財団法人「国家基本問題研究所」の月例研究会における講演で日本国憲法改正について「誰も気が付かずにワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか」という発言が国内外で問題となった。なお、ワイマール憲法はナチス政権下の「全権委任法」で廃止されないまま死文化されたのであり、ナチス憲法なるものは存在しない。そもそも「ワイマール憲法の停止」と「全権委任法の成立」は「反対派となる共産党の議員を採決の投票資格者としない」法律を前もって成立させるなど、大変な狂騒の中で行われたものであり、その点は「麻生自身の誤解」である。
なお、この麻生の発言を「反面教師」などととらえる向きもあるが
「『狂騒、狂乱』『喧騒』の中で(現行憲法の改正を)決めてほしくない」
(ワイマール憲法から「ナチス憲法」へは)
「『騒がない』で、納得して変わっている」
(その)
「手口を学ぶ」
という関係にある。
「『現行憲法から静かに変えてほしい』から『騒がないで静かに変わったナチス憲法』の『手口を学ぶ』」という意図以外の発言として国語文の標準的な読解を用いた場合に、発言から読み取ることは不可能であり、それ以外の「発言意図」を文面から主張し「反面教師」などと言った意図で発言したなどということは「過剰な忖度」でしかない。
「本当にコッソリ変えるつもりならば発言するつもりはない」などという逆説的擁護も「そもそもが、別段正式な記者会見でもなく比較的クローズな会合である」こと「そもそもが放言・失言の癖が麻生にある」ことからすれば、擁護としては苦しい。そして、重ねていうが、ナチスが「こっそり改憲した」歴史的事実もナチスや支持者以外が「納得して」変わっている事実もない。
2020年から『COVID-19』が世界中で流行する中でも度々、的外れな発言を繰り返しては国民のひんしゅくを買っている。
ローゼン閣下
秋葉原で「オタクの皆さん」と呼びかける街頭演説を行たびたび行った。国会でも『ゴルゴ13』を絶賛するなどの発言を繰り返した。麻生のこうした言動は賛否両論で、学習院大学の同級生である宮崎駿には「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」と痛烈に批判された。
空港の待ち時間に売店で『ローゼンメイデン』を読んでいた、という目撃談があったことからネット上では「ローゼン閣下」なる二つ名を奉られる。強面の壮年男性とゴスロリという取り合わせが笑いを誘ったために急激に広まったが、実際にはたまたま手に取ったところを見られただけであり、別段ファンというわけではない。ファンであると公言している漫画は『ゴルゴ13』と『風の大地』。どちらもオジサン向けの作品である。
2ちゃんねるユーザーであることを最初に公言した首相である。
彼の顔を表すアスキーアートも存在する。
なお、「有害コミック規制運動」が激化した1991年、麻生は「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」の会長に就任し、自主規制を促している。また、2013年に浮上した『はだしのゲン』閉架問題については、「もっと規制すべき漫画があると思う」と述べ、表現規制推進派であることを明確にしている。
クレー射撃
スキーとクレー射撃の名手であり昭和51年(1976年)のモントリオール夏季オリンピックでは日本代表として出場している。現在、オリンピック出場経験のある史上唯一の内閣総理大臣である。
しかしこの競技生活中で銃の大きな音を耳元で聞き続けたため左耳が不自由になっており補聴器を使用している。(なお、現在は質のいい耳栓が多数販売されているため選手にそこまでの障害が残る事態は減っている)
体形とファッション
元スポーツ選手であったせいか70歳を越した現在でもすらりとした姿勢を保ち、その体形にオーダーメイドのスーツを着こなすため「マフィア風ファッション」と呼ばれネタにされることがある。
体力づくりにも余念がなく選手時代から御用達の鍼灸院でケアを行い、バランスボールでトレーニングを行なっている。
本人も自分の体形維持に自信を持っているためか、新聞記者の前で田中康夫を引き合いに出して「醜く太っていて嫌な体形だ。年を取ってああはなりたくない」と嘲笑ったことがある。
ただし煙草はやめられておらず、野田毅率いるたばこ議連のメンバーとして規制に抗する立場でありこの点では山東昭子らの禁煙派女性議員と主張が対立している。
宗教
カトリックの信者で、洗礼名はフランシスコ。ロザリオをいつも身に付けている。しかしクリスチャンの割に異なる宗教にも寛容というかいい加減なところがあり、上述のとおり、カトリック教会から邪教扱いされている統一教会と関係が深いほか、神道の団体(神社本庁)から献金を受けている。
家系、自宅
「社長上がりのお坊ちゃん」と言われるが、彼が社長に就任した頃の麻生鉱業(現・麻生セメント)は日本産業の脱・石炭化で激しく傾いていた。同業他社が次々と倒産する中、セメント産業の将来性に目をつけて同社の建て直しの牽引役となった豪腕の持ち主。現在は会社を実弟の泰に譲っている。
東京・渋谷の閑静な住宅街に、2400平方メートルの広大な敷地に木造三階建ての洋館が聳えるという大きな自宅を保有している。首相在任時には同私邸見学ツアーと称した自宅付近での事実上のデモ行進が発生している。
普段は東京住まいであるためこちらの「自宅」の方が住みなれていると言われているが、地元福岡の飯塚には更に巨大な麻生本邸をかかえている。他にも飯塚には曽祖父が大伯父のために建立したという大浦荘という別宅が存在し、こちらは公式に公開され一般人の見学が可能である。
上述の通り母方の祖父は吉田茂、高祖父に大久保利通を持つ。また実妹の信子は三笠宮家の若宮(長男)寬仁親王と婚姻し皇族となった。
妻は元内閣総理大臣の鈴木善幸の三女であり、鈴木の長男・俊一は義弟にあたる。ニュースキャスター・参議院議員で武見太郎日本医師会会長の息子である武見敬三ははとこ(又従兄弟)であると同時に、武見の姉と麻生の弟・泰が結婚しているため姻族の関係である。
麻生の実の曽祖父、牧野伸顕は大久保利通の次男で、大久保家から牧野家へ養子へ行った。牧野もまた外務大臣や内大臣を務めている。牧野の長男の妻は、皇后美智子の入内当初の東宮女官長をつとめた。なおこの牧野家は映画界に一大血脈を築いたマキノ家とは同姓の別族であり、直接の血縁は無い。
元内閣総理大臣細川護煕の実弟近衛忠輝と、麻生の義弟である寬仁親王の姉(つまり麻生の妹の義姉)・寧子内親王が婚姻しており、皇族(三笠宮家)を挟む間接的な縁戚関係にあたる。
他にも麻生に関わる閨閥関係を書けば枚挙に暇がないほど大量の著名な親戚が見つかるほどである。2018年時点での内閣総理大臣・安倍晋三も系譜を辿ることで縁が繋がっているほど。
また、ガチャピンのモデルである野田昌宏は父方の従兄弟にあたる。
その他もろもろ
また同じ福岡を地盤とする同党の古賀誠(安倍晋三とも対立している)や、民主党の松本龍とは因縁の対立関係にあったが、2012年第46回衆議院議員総選挙においては子分筋の元福岡県議井上貴博を立て自身も強力に支援し当選させ、松本は比例復活もならず議席を失った。
2014年の第47回衆議院議員総選挙では古賀の推す新開裕司と井上の公認争いにより双方とも無所属扱いでの出馬となり、古賀と麻生の代理戦争の様相を呈した。結局このときは井上の勝利となって井上は当選後追加公認を受け、こちらでも麻生が勝利を収める、という二連続での「仁義なき闘い」の立役者ともなっている。
一方、同じ福岡の6区においては、同区選出であった鳩山邦夫の死去に伴う補欠選挙で県議会の重鎮藏内勇夫の息子謙を強力にバックアップしたものの、藏内は邦夫の次男・鳩山二郎に敗北した。
この戦いでは県連のドンとも言われた勇夫への恩義からか県連単位、つまり古賀との呉越同舟の形でのバックアップとなったが、邦夫の弔い合戦を掲げて立候補し、党本部の支援も受けた二郎相手には大敗することとなった。
生前の鳩山は麻生の総裁選推薦人を務めていたこともあったが、その後の麻生内閣において日本郵政社長進退問題を受けて大臣辞任を余儀なくされ、後に離党したこともあり、関係の悪化が指摘されていた。
今日では首相候補としてより、政界における「キングメーカー」「ドン」としての存在感が前に出ているとも言われる。前述の福岡6区での争いは、自民党幹事長に就任した二階俊博との新たな主導権争いの一環でもあった(鳩山二郎は後に自民党の派閥・二階派に加盟している)。
二階率いる二階派(志帥会)と、麻生率いる麻生派(為公会→志公会)は共に自民党復権移行の拡大が激しく、既存三大派閥(清和会・平成研究会・宏池会)を追い上げつつある。
特に麻生派は2017年にはかつての三木武夫の系譜に繋がる番町政策研究所(合流直前は山東昭子派)と合流することで党内第2派閥にまで拡大する急成長を見せた。
なお、大元は河野洋平率いるを麻生が事実上継承することで発足しており、元々は宏池会から分裂した派閥である(前述した岳父・鈴木善幸も宏池会出身)。意外なこととも思われるが、党内でも反骨心が高いと言われた河野太郎は(洋平の長男という縁もあるが)一度も派閥離脱をせず麻生派一筋に所属を続けている。のちに外務大臣に就任したのも麻生の後ろ盾があったから故、と言われている。
一方で、麻生自身が相当な高齢に達したのも、首相候補としては見られなくなった一因と言える。2018年現在、当選13回・年齢77は自民党衆議院議員では伊吹文明・二階に次ぐ古株高齢議員(当選回数は野田毅に次ぐ党内2位)である。
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