小さな声を、聞く力。
概要
1964年11月17日に結成された。
1999年から2009年までおよび2012年以降、一時期は他党も含めながら自由民主党との連立政権を形成する与党。前の党首は山口那津男(2009年9月8日~2024年9月28日)、現在の党首は斉藤鉄夫。
創価学会を支持母体とすることから、「政教分離」に反するという指適もある。実際、結党初期は創価学会幹部が議員を兼ねたり、綱領に宗教用語が使用されたりしているなど現在よりも創価学会=公明党の要素が露骨だった。しかし、1969年から70年>1970年にかけて起きた言論出版妨害事件を期に公明党と創価学会の組織を完全に分離し「政教分離」が、一応徹底された。
余談だが、「政教分離」は特定の宗教を排斥または優遇することを禁止することで、宗教団体が政治的活動を禁止するものではないというのが日本政府の公式見解である。
現在の公明党代表は斉藤鉄夫(2024年11月9日~)。盤石な支持基盤からその票読みの精度は高い。しかしその票読みも2020年代に入ってから一部地域ではブレが生じるようになる。
公明党所属議員のほとんどが、創価学会員だが、創価学会員でなくとも党員になることは可能である。実際、池坊保子のように創価学会員ではない国会議員もいた。
また、設立直後に「もし、公明党が政権与党となった場合は、憲法の政教分離の規定に違反するのではないか?」と云う指摘が共産党からあった為、「公明党から出馬して政治家となれる創価学会員は、創価学会内では何の役職・権限もない一般会員のみであり、公明党所属の政治家になった創価学会員は、それ以降、創価学会内の役職に就く事は出来なくなる」と云う規定が設けられた。
要は「公明党出馬の政治家である時点で、それこそ公明党幹部であっても、創価学会内の基準では一番の下っ端会員。それも単なる下っ端ではなく、創価学会内での出世は絶望的な下っ端」と云う状況であり、このせいで「公明党所属かつ創価学会員の政治家を一番口穢く罵っている報道機関は聖教新聞」と云う事情を知らない者からすると奇怪極まりない事態も起きている。
つまり、政治家ではない創価学会員からすれば、公明党所属の政治家は「自分達が所属するコミュニティ内で絶対に自分達より上の階級になる事がない≒絶対に自分達に対してざまぁをする心配がない相手」でありどんな扱いになるかはお察しくださいである。
公明党所属の地方議員は、2019年現在で2900名以上おり、意外にも自民党より多いが、地方議会では自民党籍を持つ保守系議員が無所属で出ていることが多いため、「地方での公明党は自民党よりも強い」と結論づけるのは早計である。
保守・革新のいずれにも与しない「中道」を標榜し、結党当時政治が扱うべきではないとされてきた福祉に力を入れ「福祉の党」とも呼ばれる。55年体制下で日本社会党、民社党とともに社公民路線を推進するなど、かつては保守勢力とは対立関係にあったが、55年体制の崩壊後は自民党に接近する。結党から29年間は野党であり続けたが、1993年発足の細川護熙内閣において連立の枠組みで初めて与党に汲みいって以来、常に政界のキャスティングボートを握ってきたとされる。続く羽田孜内閣でも与党であり続けたが連立政権の瓦解により下野した。しかし、引き続き、創価学会員の票は、選挙区で公明党が、直接、候補者を立てない時、重要な票となっている。
1994年から5年ほど、「公明新党→新進党」「公明」の2党体制を敷いていた時期もあった。
羽田内閣の連立政権が瓦解して下野したものの、1999年に自民党および自由党と連立を組み与党に復帰。以降は他党の連立離脱はあったものの公明党は自民党と共に連立政権を維持してきた。2009年~2012年の下野期間の初期は距離をおいた時期もあったが、2012年の衆院選では選挙協力を行い勝利、同年から自民党とともに政権与党の座にある。
日本共産党とは創立当時から激しい対立関係にある。1970年代に相互理解、敵視をしない旨を定めた協定が結ばれたこともあったが、創価学会側が反発し有名無実となった。
創価学会員の芸能人、はなわ/ナイツ/久本雅美などが度々選挙の応援に出ている。
大阪
大阪府は公明党の結党の地であるため、特に力を入れている拠点である。
それは衆議院議員選挙においても大阪で4つの小選挙区で議席を持つことから窺える。
しかし2010年以降、党の求心力が下がる中で大阪で台頭してきた大阪維新の会が推し進める大阪都構想において住民投票の実施には賛成した。
その見返りとして維新は公明党が議席を持つ大阪の4つと兵庫の2つの小選挙区に候補を擁立しなかった。
2015年に実施された住民投票は反対多数で否決された。(公明支持者や創価の信者の多数が反対に入れた)
その後維新は再度新しい都構想に着手するが、2018年末に公明は協力を拒否したうえに、反維新に転じた。
2019年4月に行われた統一地方選にて大阪府知事・大阪市長選は維新が勝利し、大阪府議選は過半数まで行ったが、市議選は過半数に届かなかった。
大阪府知事に就任した吉村洋文やかつての維新のトップ橋下徹は「今後公明が協力しないというなら、衆議院の6つの選挙区に候補を立てる」という旨を話した。なんとしても小選挙区の議席を守りたかったのか、上記の橋下、吉村の発言を受けて掌を返すように都構想に「全面賛成」する事になった。
しかし上層部があからさまな保身に走った事に対して大阪市内に住む公明党支持者や創価学会員の有権者の多くは都構想に反対してた。前述したように選挙対策のために立場を180度転換したため、支持者に不信感をもたせてしまった。2020年の住民投票で否決されたことで都構想は決着したが、これらの経緯と党員、支持者の高齢化に伴い今後の選挙では盤石な支持基盤が崩れる恐れがある。
2021年10月に行われた衆議院総選挙では日本維新の会は公明党の選挙区に候補を立てなかったのでひとまず安心と思われていた。しかし公明の選挙区に住む自民党支持者である有権者が「維新と協力する公明党を支持できない」という声から西成区を拠点とする自民党の柳本顕が小選挙区大阪3区から無所属で立候補すると表明。前回の選挙において「誰も支持できない」という意思表示である白票率が15%という異例の票数であることも柳本氏を後押しした。(全国平均は2%程度)
これを公明の山口代表は「全国の自公連携が崩れる」とやんわり批判。実際公明の応援無しでは落選する自民党の候補者が多く「柳本顕が大阪3区で出馬するはら、公明党は全国の自民候補を推薦しない」とカマをかけた。
自公連立を揺るがす事態に自民党本部は抑え込むかたちで柳本に「比例名簿近畿ブロックの第2位」という異例の厚遇で収束を図った。
結果、公明は従来通りの戦いができたため小選挙区は全勝、比例も微増し公示前より議席数を増やした。
一方連立相手の自民党は大阪の小選挙区で立てた候補は維新に全敗。さらに柳本顕を厚遇した反動で近畿の比例票が減ってしまい、比例復活当選も15名中2名のみという結果になった。
2022年8月、日本維新の会の新代表に馬場伸幸氏が就任したが、その際「都構想での協力関係はこれでリセット。次の総選挙では公明党が議席を持つ小選挙区に維新が候補を立てるつもりでいる」と話しており、今後の対策次第では維新との激突が避けられない状況になった。
2023年4月に行われた統一地方選挙(大阪府知事選、大阪市長選、大阪府議選、大阪市長選)では2つの首長選は共に維新が取り、府議選・市議選は共に維新が過半数を取り「維新の圧勝」となった。
これにより2023年6月25日、日本維新の会は公明党が議席を持つ大阪の4つと兵庫の2つの小選挙区に候補を擁立する事を正式に表明。対立は決定的となった。
2024年10月27日執行の第50回衆議院議員総選挙においては兵庫の2つの選挙区は公明党が死守したものの、大阪の4つの選挙区は日本維新の会に奪われてしまう。他の小選挙区でも愛知16区、埼玉14区・16区で現代表・石井啓一氏を含む公明候補3名が落選してしまい、議席数も公示前より8議席減という結果になってしまった。
公明党の選挙 比例得票数
選挙(年) | 得票数(票) |
---|---|
衆議院(2000年) | 776万 |
参議院(2001年) | 818万 |
衆議院(2003年) | 873万 |
参議院(2004年) | 862万 |
衆議院(2005年) | 898万 |
参議院(2007年) | 776万 |
衆議院(2009年) | 805万 |
参議院(2010年) | 763万 |
衆議院(2012年) | 711万 |
参議院(2013年) | 756万 |
衆議院(2014年) | 731万 |
参議院(2016年) | 757万 |
衆議院(2017年) | 697万 |
参議院(2019年) | 653万 |
衆議院(2021年) | 711万 |
参議院(2022年) | 618万 |
綱領
『新宣言』にそっての綱領となった。
- 〈生命・生活・生存〉の人間主義
- 生活者重視の文化
- 福祉国家
- 人間と自然の調和
- 人類益をめざす「地球民族主義」
- 世界に貢献する日本
- 草の根民主主義の開花
- 地方主権の確立
- 民衆への献身
- オピニオンリーダー(大衆への世論形成者・世論先導者)